第13話 エルザス王国王都モゼール④
ティエント商会を出た、イアルとアイラは一度、並んで建物を振り返る。
「ティエント商会、いいお店だったわね」
「そうですね。予想よりも、凄い品揃えでした。場所が場所だったので、どうかなと思ってましたけど、店員の対応も含めて、よかったですね。特に、トラブルもありませんでしたし」
新興、古くから商会自体はあったので正確には違うかもしれないが、の商会がスラム街に出した店としては、破格と言っていい出来の商会ではないだろうか。
お店の周りには入った時と変わらず、今も、平民やスラム街の住人が溢れていて賑やかだ。
「次は、取り寄せの物が届いたときかしら。そのときも、ついてきてね、イアル」
「はい。早く届くといいですね」
「そうね。でも、材料が手に入り次第だから気長に待つしかないわ。それから、次は、もう少しゆっくりお店を見て回りたいわ」
アイラがイアルの視線を向ける。見られたイアルは、難しそうな顔をする。
「場所が場所ですからね。私の立場で長居は薦められませんよ」
「そうね。建物の場所を知ったら、お父様にうるさく言われるでしょうね。それに、間違っても、ルーカスには知られないようしないと」
「ほどほどにしてくださいよ」
「・・」
イアルの言葉にアイラは微笑みだけ返して、何も言わない。
イアルも、それ以上は何も言わずに、商会やその周りに背を向けて、イアルとアイラは、帰り道を見る。
スラム街よりも多くの人がいて、立派な格好をして、歩いている人が多く見える。
今の時期は、建国祭で、他の国や都市からの観光客も多く来ることが見込めるため、いつもよりも出店も多い。
まずは、ティエント商会に行くと決めていたため、行きはどこにもよらなかったが、まだ陽は高い。時間はあるので、寄り道は十分できる。
「それじゃ、次は、いろいろなお店を回りましょうか」
「はい」
「私ね、行きたいお店が・・」
アイラの言葉を遮ってイアルが前に出る。
「おや、申し訳ない。警戒させてしまいましたかな?」
そう話しかけてきたのは、温和な顔をしたおじいさんだった。
ただ、その人が身体を鍛えていた人だと言うのはすぐに分かった。
後ろに、顔を隠した女性とその従者とおぼしき人がいるので貴族に仕えている人に間違いない。
「いえ。どこか、探しておられるのですか?」
「はい。エルザス王国の建国祭に合せてきたのですが、人が多くて、恥ずかしながら迷ってしまいまして。ザルムート公爵のお屋敷に伺いたいのですが、道を知っていたら教えてもらえないでしょうか?」
この時期に公爵家のお客人といことは、他の国の偉い貴族だろう。
フードをかぶっているアイラのことを貴族だと思ったことと護衛が一人だけのため話しかけやすいと判断されたと思いながら、イアルは、アイラの方を見る。
アイラは、頷いてから公爵家までの道を説明する。
「丁寧にありがとうございます」
「いえ。わざわざ、建国祭のために来ていただいたのです。楽しんでいってください」
その人は、頭を下げて主の元に戻っていった。
すると、その主もアイラ達に向けてぺこりと頭を下げる。
その時に見えた女性の顔にどこか見覚えがある気がした。
どこで見たんだろうと、思い出そうとしたが思い出せない。
その時、
「あれ?」
アイラが呟いた。
イアルはどうしたのかとアイラの方を見て、それからその視線の先を追う。
そこには、商会に行くまでの道と、ティエント商会の中で見た子供と同じ格好をしている子供がいた。ここからでは、同じ少年かはわからないが、イアルの勘は、あの少年だと告げていた。
彼は、イアル達とすれ違い、スラム街の方へと向かって歩いていく。
これまで見た時は、一人でいたが、今、彼は、3人の男に囲まれた歩いている。
いかにも、ごろつきといった格好で、体格のいい1人の男に手を引っ張られて、その後ろを3人の男が歩いている。
その姿は、どう見ても、貴族と護衛という関係ではなかった。
真っ先に、浮かんだのは、誘拐犯と被害者。
そう思ったら、すれ違った、その時に、少しだけ見えた、少年の横顔は、涙をこらえていたのではないかと思えた。
勘違いかもしれない。見間違いかもしれない。
けれど、そう思った時には、イアルの身体は、動き出そうとした。
「ちょっと、イアル」
アイラの言葉に足が止まる。
次の言葉はなく、アイラはじっとイアルのことを見ている。
イアルも、アイラを見て、視線を合わせる。
アイラの視線も迷うように揺れていた。
どう対応するべきか迷っているのだ。
どれだけ、そうしていたかは分からない。イアルが先に視線を逸らす。
イアルが少年の方を探すと、彼らは既にスラム街に入っている。このままだと、見失ってしまう。
そう思うと、イアルの身体はもう動き出した。
「すいません、アイラ様」
そういって、イアルは駆け出した。
「もう」
後ろで、アイラが呆れたような声を出している。申し訳ないと思いながら、イアルの足はとまらない。
今の自分の立場で許されないことだとは分かっている。
エモット家に飼われている奴隷であるイアルと今日偶然、見かけただけの少年に関わりはまったくない。実際に、まだ何が起こっているのか分かっているわけではないのだから、放っておいてもイアルには何も問題はない。
けれど、イアルは目の前で起こっていることを放ってはおけなかった。
少年達を見失わないように駆け寄りながら、イアルは状況を考える。
相手は、大人が3人。
男達は、大柄だが、それほど荒事になれていなさそうに見える。スラム街にいる多くのごろつきと似たようなものだ。イアルの目にはそれほど、強い相手には見えない。しかし、魔法があるこの世界では、見た目だけでは強さの判断が出来ない。
イアルは、肉体強化の魔法も使うことが出来ないので、相手の中に魔法が使える人間がいれば、それだけで厳しい。
手元にあるのは、今日、アイラに預けられた剣一つ。まだ、一度も抜いたことがない。
裕福な家庭で育てられた子供が、王都の端に近づいてしまい、スラムに住む男たちに狙われる。どこにでもある、ありふれた話だ。
そんなところにきた子供が悪い。目を離した親が悪い。一人で来させた家族が悪い。
今日、ここで子供を1人助けたところで明日もまた、違う誰かが同じ目にあうだけだ。
イアルの頭の中には、馬鹿な行動を止めるための言葉がいくつも思い浮かぶ。
けれど、イアルの身体が止まることはなかった。
頭ではこんなことをしても意味がない。間違っていると分かっている。
なのに、自分の中にある余計な記憶がその過ちを間違っていないと認める。
目の前の泣いている子供を助けて間違っているなんてことはない。
まずは、2人の男の間をすり抜けて、少年の手を引いている男に身体ごとぶつかる。
後ろからの衝突を男は予想していなかったのか、イアルの予想よりもうまくいき、男は倒れて、掴んでいた少年とも手が離れた。
(あぁ、またやってしまった)
頭の中で、口先だけの後悔の言葉が産まれるのは、無視をして、すぐに状況を確認する。
イアルが身体ごとぶつかった男は、まだ、倒れている。その仲間の2人はまだ、何が起こったのか理解が出来ていない。
彼らを無視して、イアルが男に体当たりをしたせいで、引っ張られて一緒に倒れてしまった少年の方を見る。
それまでフードで隠れていた水色の髪とその顔が見えている。男に掴まれていたのが、突然衝撃とともに、放り出されて、何が起きたのか理解が出来が追いついておらず、呆然としているが、その顔には、涙の後が残っている。
そして、そんなイアル達を取り囲むように、周りには、多くのスラム街の住人がいる。
彼らは、騒ぎを起こしているイアル達を見ながら、決して誰とも目を合わせない。
スラム街に住む彼らにとって、裕福そうな格好をした子供の誘拐なんて、日常茶飯事だ。国の法律なんて、ここには存在しない。だから、彼らは、子供が大人に連れて行かれそうになっても、何もしない。身近で騒ぎがあっても、ただ、自分の被害が及ばないようにする。それが正しいと思っている。
そして、自分から、騒ぎに首を突っ込む人間のことを、この世界のことを何も分かっていない人間だと判断し、馬鹿にして、面倒を持ち込む厄介な相手とは関わらないようにする。
その一方で、日々を生きていくのに、精一杯の彼らにとって、自分が関わらない騒動は娯楽の一つだ。だから、騒動が起こったと敏感に察知して、多くの視線がイアル達に向けられ、取り囲むようにあっという間に人が集まり始める。
この世界で生きていくための正しい生き方だとイアルも思う。
「うぅ。痛ぇな。何が・・」
イアルが周りを確認していると、うめき声が聞こえる。そちらを見ると、倒れていた男が起き上がろうとしている。
そのため、イアルは、慌てて身体だけをなんとか起こし、状況が分からず周りをきょろきょろと見ている子供の手をつかむ。その手を引っ張り、強引に立ち上がらせると、そのまま手を引いて、走り出す。
「逃げるぞ。ついてこい」
「えっ。あ、はっ、はい」
少年は、まだ、何が起こったのかは理解出来ていないだろうが、その場に居続けるのはまずいと思ったのか、突然現れて、手を掴んできたイアルに抵抗はせずに寧ろ、自分から大人しくついていく。
混乱はしていても、取り乱さずに、付いてきてくれた、少年にイアルは驚く。状況の説明などでもう少し手間取ると思っていたのだ。
初対面のイアルのことを、敵ではないと判断したのか、少なくとも、先ほどまでの男達よりも信頼出来ると判断したのかは分からないが、イアルにとって、少年のその判断は大いに助かった。
その時、イアルはようやく後ろを少し振り返る。
今日は、アイラの護衛として、ここまで来た。なのに、それを放り出して、また騒ぎに自分から頭を突っ込んでしまったことに申し訳なさを感じつつも、それでも、アイラなら、分かってくれると信じて、そちらを見る。
イアルの目に映ったアイラが浮かべていたのは、驚きと困惑の表情だった。
アイラが何故そんな表情をしているのか気になったが、それを確認している余裕はなかった。それに、無関係の人が、野次馬として集まる始めていて、すぐにアイラの姿は見えなくなってしまう。
スラム街から出て元の道に戻るには、邪魔な人が多い。
イアル一人なら問題ないが、子供を一人連れてだと、間違いなく男達に追いつかれるため、諦めてスラム街の中に逃げる。
逃げ出したイアル達に、状況がつかめず、固まっていた男達も、獲物が逃げたことはすぐに理解し、立ち上がり、追いかけるくる。
「待て。ガキ。おい、その子どもを逃がすな」
「すぐに、捕まえろ」
「追いかけるぞ」
イアルと少年とそれから3人の男の追いかけっこが始まった。
少年の手を引いて走りながらイアルはまたも自己嫌悪に堕ちる。
中途半端な自分がイヤになる。
エデン王国で生まれ育ったイアルならば、誘拐されそうになっている少年を見かけても、かわいそうとは思っても、助けに入ったりはしない。ここはそういう世界だと受け入れる。
なのに、今、助けるために身体が動いてしまったのは、イアルではない曽我黒斗の記憶のせいだ。
曽我黒斗の、目の前の相手を助けたいという甘い考えが、イアルを突き動かして、身体を動かす。
ただ、少年を助けることが出来るなら、イアルはそれでも良いと思っている。
助けられる力とその意志があるのなら。
イアルがイヤになるのは、自分の行動の甘さだ。
本当に、少年を助けるならば、最初に相手の男に対して、剣を使えばよかった。
イアルが本気で少年を助けようとしていたら、後ろから剣で襲いかかる。
けれど、その選択肢をイアルは取らなかった。取れなかった。
誘拐犯である男ですら、殺すことをためらっている。
少年を助けるためならば、男達3人を殺す覚悟を持たないといけない。
ここはそういう世界だ。
なのに、曽我黒斗の記憶に引っ張られるイアルは、少年を助けながら、人殺しもしない道を選ぼうとする、
そんな甘い行動をする自分にいつものようにと惑いを覚えながら、イアルは少年を連れて逃げる。
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