第15話 エルザス王国王都モゼール⑥
手を叩き拍手をしながら、近づいてくる男の姿を見て、イアルの全身には冷や汗が出る。
強い。
先ほどまでの男達とは比較にならない。
その男は、本物だ。
今のイアルでは、どうあがいても勝てないことが一目で分かった。
勝てるイメージを作れなかった。
「本当に、見事な立ち回りでした。まだ、若いその年で、あの3人を、特に、リーダーのあの男を倒す人がいるとは、思いもよりませんでしたよ。彼は、ここのふごろつきにしては、なかなかいい腕前だったんですけどね」
まるで、敵意がないかのように、話しかけてくるが、まったく油断をすることは出来ない。
イアルは、全神経を集中させて、男と向き合う。
「あなたは、あの男達の仲間、ですか?」
「仲間、とは違いますね。私はブローカー。仲介人です」
「ブローカー?なら、なんでここにいるんですか?」
まずは、時間を稼ぐために会話に付き合おうとする。
すると、いきなり
「
男が、周囲に、水の弾丸を放つ。一発で周囲の建物の壁を貫く。それだけで、建物は崩れるていく。もともと、スラム街には頑丈な建物は無い。
が、それでも、男の魔法使いとしての実力を推し量るには十分な威力だ。
「え・・」
イアルの傍で、少年が怯えたような、呆然とした声を上げているが、しょうがない。
当てる気がないことは分かっていたので、イアルは周りを観察しつつ、いざという時の為に力を溜める。
これまで秘密にしていた力なので、使いたくはないが、このまま使わないと殺される可能性がある。命には変えられないと覚悟を決める。
建物が崩れ、煙が収まると、それまで、周りにいた観客達は、クモの子を散らすようにいなくなっていた。彼らは、自分の命の危機には敏感だ。男の魔法の威力を見て、少しでも離れておかないといけないと察したのだろう。
娯楽には飢えていても、自分たちの命の軽さもその大切さも、彼らは分かっている。
まして、基本の4属性の魔法を使えるのは、少数の例外を除いて、貴族だけだ。その例外も、ことごとく、いずれかの貴族か教会の元にいるのが常識だ。
つまり、先ほどの攻撃は、目の前のこの男が貴族かそれに準ずる存在だということの証明にもなっていた。
スラムの人間が関わりになりたい相手では決して無い。
そこまで考えて、先ほどの攻撃は、観客に退場を促すためだけに放ったらしいことが分かった。
「私は、今度の依頼は彼らで問題なく達成できると判断して、依頼主に彼らを紹介したのです」
さっきの攻撃がまるで無かったかのように、平気で会話の続きをし始めた男に、イアルのイヤな予感が増す。
話が通じる相手ではなさそうだ。
「それが、キミの出現によって、失敗してしまった。つまり、このままだと、私のブローカーとして信用が落ちてしまうんですよ」
「それで、わざわざ、尻拭いのために自分で?」
「可笑しいですか?」
「現場に来れるなら、最初から自分で依頼をすれば良いのではと、思ってしまいますね。あなたが、自分でこなした方が確実でしょう」
「そこは、ほら、悪の組織としての掟みたいなモノがありまして。後は、私の趣味ですね」
「なるほど、趣味なら仕方ないですね」
悪の組織。
目の前の男が、どこまで本気で言っているのかイアルにはまったく分からない。
話を続けながらも、どうにかして、逃げ出せないか隙をうかがうが、当然そんな隙はない。
「ところで、その首輪、キミは奴隷のようですが、どの家に属しているのですか」
奴隷という言葉に、少年が驚いたようにイアルを見上げる。男の言葉で、初めて、分かったようだが、イアルには、それに反応している余裕はなかった。
「気になるんですか?」
「ええ。キミはまだ、若い。恐らく、13、4でしょう。しかし、キミには、既に十分な実力がある。王立学院の生徒かとも思いましたが、今のあの学院にあなたほどの腕がある人間がいれば、私の耳に入る。しかし、キミの存在を今まで私はまったく把握出来ていなかった。これでも、事情通のつもりだったんですけどね。キミが相手陣営の隠し球だったのか、それとも、キミの主は、私たちがこれまで認識していなかった第3勢力として、これから参加するのか、気になりますねぇ」
長々と、話をしているが、どうやら、この少年の家は大きな勢力争いのまっただ中にいるらしい。
そして、少年の家は、その争いの中心にいるため、この子が何らかの取引の材料になっている。
偶然、見かけたから、身体が動いてしまい、助けただけのイアルにとって、完全に予定外だった。
イアルが思っていたよりも遥かに大ごとなようだった。
イアルは、そんな争いの渦中、しかもその中心付近に、自分から飛び込んだのだ。
イアルが巻き込まれるのは自業自得だ。自分から、関わってしまったのだから。
しかし、このままでは、エモット伯爵家をその勢力争いに巻き込んでしまう。イアルは、エモット伯爵がエルザス王国内でどのような立場なのか知らない。もしかしたら、この男の依頼主とエモット伯爵は同じ派閥に属している可能性もあった。
その可能性にようやく思いたり、イアルは対峙している男に対するのとは別の理由で、冷や汗が出てきた。
自分の浅慮がイヤになる。
エモット家の奴隷であることがバレることが今の状況では一番問題だ。
ただでさえ、奴隷の存在をエルザス王国は禁止している。もちろん、その決まりを無視をして、手駒として飼っている貴族は大勢いる。名前だけは変わっていても、実質的な奴隷がいない貴族なんていないだろう。しかし、それは表に出てこない限りなんの問題にもならないのだ。
それが、今回のように、街で暴れたイアルが、エモット家の奴隷であることが見つかったら、それだけで大問題になってしまう。そのうえに、派閥の問題まで絡んできたら、イアルのせいでエモット家が没落の危機になる。
イアルは、エモット家には何の思い入れも無いが、この2年お世話になったことには変わりないし、何よりもアイラがいる。
彼女の将来が、魔法の真理や精霊の真理を知りたいという夢がイアルのせいで閉ざすのはイヤだった。
「どうです、教えてくれませんか。私達がその主を殺したら、キミは奴隷じゃなくなるかもしれませんよ」
「先に、あなたの依頼主を教えてくださいよ」
「教えたら、あなたの主のことも教えてくれますか?」
「かも、しれませんよ」
イアルの返事に少し考える様子を見せる。即座に断られるかと思っていたので、意外だった。
しかし、思い直す。
目の前の男は仲介人。
実際に勢力争いをしているのはこの男ではない。勢力争いをしているのは、この男に誘拐を依頼した別の人間だ。
「やめておきましょう。これからも、この国での権力争いは続いていく。そのときに、キミの主は更に舞台を盛り上げてくれるかもしれない。そうすれば、お祭りはもっと盛りあがります」
つまり、この男は、エルァス王国で起こっている勢力争いを面白がって眺めているだけで、直接、関わりがあるわけではない。むしろ、他国の人間で、エルザス王国の力を削ぐための活動の可能性もある。
いろいろな可能性がある。そのすべてを探ることは不可能だ。
なら、エモット家の奴隷であることだけを隠せれば良い。そして、この少年のことは守る。
その結果、エモット家が多少の不利益を被ることになっても、目の前の子供を見捨てるよりは良いとイアルは決める。
そのためには力も使う必要がありそうだ。
「キミの主には他の隠し球を期待して、キミにはここで退場してもらいましょう。それとも、キミ、私たちの側に来ますか?」
「は?」
覚悟を決めて、行動しようとした時が、相手の言葉に意表をつかれる。
何を言われたのか分からなかった。
どういう意味だ。今までの流れで、素直に勧誘とは思えない。
「もしも、味方になってくれるなら、その首輪、外して差し上げますよ」
この首輪は、何か特別な物で出来ているわけではない。
ただ、少し固くて、魔法を封じるだけのものだ。
だから、奴隷商や飼い主が持っている鍵がなくとも、強い力で壊すことも出来る。
イアルにも、それが出来る人の心当たりはある。というか、精霊の力を使えば自分でも壊すことは出来る。
していなのは、まだ、動く必要がないと思っているからだ。
「イヤ、それだと面白くないですね」
イアルが何か言葉を返す前に、あっさりと前言を引っ込めると、男は、その言葉が終わると同時に相手の手を前に突き出す。
「
先ほどの水弾に比べると、威力は低いが、数が多い。それに、何発も直撃すれば、一時的な行動不能にはなる。それぐらいの威力はある魔法だ。
「やはりここで、死んでください」
それらが、一斉に、イアルと少年と、それから、イアルに切られて、意識を失っている男に向かって飛んでくる。
完全に制御されたその魔法が、男が、ただ魔力が高いだけの人間ではなく、優れた魔法使いであることを証明していた。
「ひぃ」
自分に向かって飛んでくる水球に少年は怯えたような声を上げる。
「大丈夫」
イアルは少年に声を掛けると、目の前に水の壁を構築する。
「
ジョアンから貰った水の精霊を使うイアルには魔法使いのように詠唱などは必要ない。ただ、精霊から力を借りて、自分の想像を形にするだけで発動は出来る。
しかし、それを知られるのはまずい。
なので、魔法を使っているふりをする。
「ほう」
「すごい」
男の驚愕の声と少年の感嘆の声が重なる。
「奴隷の立場で水属性の魔法使い。キミは、没落貴族かな?いや、奴隷の首輪には、魔法阻害の効力もあるはず。まさか・・」
イアルが作った壁は、イアルと、少年とそれからついでに意識を失っている、男を完璧に守りきる。
男は攻撃を全て防がれたことに対する、驚きを隠さずにいる。
男には、今のが精霊術だとバレたかもしれない。
まあ、魔法阻害の首輪をつけながら、戦えるのは精霊術師ぐらいしかいないから当然だが。
それでも、使わなければ命が危なかったし、男がどう思おうが、少年が魔法だと勘違いをしてくれれば今は問題ないはずだ。
しかし、ますます男の興味は引いてしまったらしい。
「いや、熟練の魔法使いなら、その状態でも、魔法は使えます。精霊術師とは、まだ・・」
相手の男が、ぶつぶつと呟いているのを無視して、イアルは、今度は、周囲に先ほどの男が浮かべたのと同じくらいの大きさの水球を男の数倍浮かべる。
「
「これは・・」
その水球の数に、先ほどまであった余裕が男の表情から消える。
「いけ」
イアルの言葉に応じて、水球は自由自在に飛んで男に襲いかかる。
全ての攻撃を直線に飛ばしていた男と違い、イアルのモノは直線に進むモノから曲がりながら男に向かうモノまでいろいろな攻撃が含まれている。
「凄い。姉様みたいだ・・」
少年は、イアルの攻撃を見て、そう呟いた。
イアルは、攻撃を放つと、その結果を見届けること無く、少年を抱えて、その場から逃げる。
走りながら、後ろに目を向けると、男は、足を止めて、イアルが放った攻撃を完璧に防いでいる。
イアルの攻撃は、男に、傷一つつけることが出来ずに、さばかれてしまった。
ただ、足止めとしては、十分に役目を果たしたようで、男が攻撃が防ぎ、周囲を確認した時には、イアルと少年の姿はなかった。
イアル達が去った場所に残っているのは、少し息を乱しながらも全ての攻撃を防いだ男と、イアルに倒された3人の男達だけだ。その内の2人は、まだ、意識を失っている。
「この国は、これから面白くなりそうですね」
そう呟いた男に、まだ、一人意識がある男が話しかける。
「お、おい、あんた。依頼主が言ってたブローカーなんだろ。なら俺たちを助けて・・」
「うるさいですよ」
男が最後まで言葉を発することは出来なかった。
ブローカーを名乗った男は、話しかけて来た男を見もせずに殺す。
そして、しばらくその場に立ち尽くして考えごとをすると、3人の中でリーダーだった、男だけをつれて、その場から立ち去った。
男の頭の中には、もう、依頼主のことも、誘拐のターゲットだった少年のことも無かった。意識を失いながら。まだ、生きている目の前の男のことも、もう忘れていた。
その男は、自分の攻撃を防ぎ、攻撃を仕掛けてきたイアルだけを見ていた。
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