第29話


 マリーネに精霊術師だとバレた可能性が高い。

 それからは、授業の内容など覚えていない。

 イアルは、どうするかを考えていた。けれど、何も良い考えは思い浮かばない。いっそ、このまますぐに行方をくらませようかと安易な方に考えがいってしまう。

 そんな事を考えていると、あっという間に授業が終わった。

 今日は、これで終わりなので、寮で頭を冷やしてから、考えようと、イアルは席を立とうとする。

 マリーネも、そんなすぐに、どうこうはしないはずだ。軽軽に動く人ではない印象だ。そう思いたい。


 立ち上がったイアルの肩が叩かれる。

 振り返ると、アウグストが立っている。

 その手は、イアルの肩をつかんで離さない。


「おい、平民、もう帰るのか」


 アウグストは話しかける前から、怒っている。

 イアルには何に対して怒っているのかが分からない。

 平民のイアルの存在が気にくわないのは確かだろうが、彼は、ウルマと近くの席にいて、同じグループのように見えた。

 出自だけで判断する人ではないのだろうか?

 何を考えているのだろう。


「はい。授業は終わりましたので、寮に帰ろうと思ってます。それでは失礼します」


 どう答えても一緒だろうなと思いつつも、見逃してもらえる事を祈って挨拶をする。

 イアルとしては、今もこちらの様子を伺っているマリーネの様子が一番に気になる。


「おいおい、平民君。そんに慌てずにゆっくりしていけよ。それにお前、授業中も、ぼけっとしてろくに聞いていなかっただろ」

「そのようなことは」


 精霊が出てきてから、授業に集中出来ていなかった事は事実だが、認めるわけにはいかない。

 しかし、アウグストは、難癖を付けるために適当に言っているのか、本当に観察していたのか。どちらだろう。


「これから、俺がエルザス王国の貴族として、平民のお前に指導をしてやるよ」


 結局は、指導が目的だったようだ。

 指導の内容は分からないが、イジメみたいなものだろう。

 思っていたよりは、回りくどくない。

 しかし、同級生に絡まれる事はある程度覚悟していたが、まさか、初日に上級生に絡まれるとは。


「私のような下賎のもののためにそのような提案をしていただき、ありがとうございます。ですが、私のために、アウグスト様のお時間をとらせてしまうのは申し訳ありません。貴族の皆様の足手まといにならないよう、これからは一層、私は出来る努力をさせていただきます。それでも足りないと判断されましたら、その時に、ご教授いただいてもよろしいでしょうか?」


 丁重に断る。

 これで少しでも時間を稼げれば良いのだが。


「俺の申し出を断ると?」


 ギロリと睨まれる。

 ダメだった。

 当たり前か。


「アウグストさん」

「これは、ヴァルター様、どうかされました」

「彼は、僕と同じ今年の新入生。まずは、僕に、我が国の民を導く機会をくれませんか。それで、僕の指導が行き届かなければ、先輩方のお力を借りられれば」


 しかし、そこに救いの手が現れた。

 王族のヴァルターの言葉を貴族のアウグストは無視出来ない。

 が、簡単には引き下がらない。


「ヴァルター様。そのように考えられるなんてご立派です。さすがは、エルザス王国を束ねる王家に連なるお方。ですが、王族であるあなたが、貴族相手ならともかく、こいつのような平民の相手をする必要などありません。平民の指導は、私のようなものにお任せしてもらえれば」

「そんな」

「王族であるヴァルター様にお役目があるように、私ども、貴族にも、礼儀がなっていない愚民の教育という役目があるのです」


 ヴァルターは、しばらく、アウグストの顔を合せる。

 貴族同士の腹の探り合いをしているのだろうか。

 しかし、ヴァルターにも上からではないが、あたりまえに意見を通そうとするとは、アウグストはそれなりの家格なのだろう。

 当事者にも関わらず、放置されているイアルはそんな事を思いながら聞いていた。


「なるほど。では、ジャン。あなたにお願いしても良いですか」

「俺、ですか」

「なっ」


 ヴァルターが、振り返って、一緒にいた生徒を指名する。

 王族ではなく、貴族が教えるならそれでいいとヴァルターは判断したのだろうか。それは、間違っている気がするが・・

 指名されたジャンは驚いたようだが、ヴァルターの命令に逆らう事など出来ない。

 それどころか、なんだか張り切っているように見える。

 その顔がイアルには少し不気味に移った。


「分かりました。俺が、彼を、クロトをこの学園にふさわしく生徒に指導してみせます」

「ええ。お願いします。では、アウグストさん。まずは、ジャンの手並みを見るという事で」

「・・分かりました。愚民の指導はしっかりとお願いしますね」


 納得はしていないようだが、王族の威光は凄い。

 アウグストはジャンを見定めるように観察した後、頷いた。

 とりあえずは、アウグストの指導は今日は逃れる事が出来たようだ。


 アウグストは、イアルを一度睨んでいく事を忘れずに、教室を出ていく。

 彼のグループも、続いて出て行くが、その中で、ウルマだけは、笑ってイアルに手を振ってから出て行った。

 イアルは、とりあえず、頭を下げて、見送る。


 いつの間にか、教室にほとんど人はいなくなっている。

 マリーネも既にいなかった。


「クロトさん。大丈夫でしたか?」

「ヴァルター様。ありがとうございます」

「いえ、そんな。助けられたのなら、よかったです」


 久しぶりに話をするヴァルターは嬉しそうだ。

 イアルも助けてくれたのは嬉しい。だが、


「ヴァルター様。今回は、わざわざ、あなたが口を出すような問題ではありません。何故、声をかけられたのですか?」

「ジャン。でも、クロトさんが困っていたんですよ?助けてあげるべきだと」

「あの程度は、どこにでもある問題です。クロトが平民である以上、これからも必ず起こります」

「だから、そうならないように・・」

「ヴァルター様は今日、上級生を相手に口を挟まれました。しかも、ザルムート公爵家のアウグスト様を相手に平民をかばうかのように振る舞われた。王族である、ヴァルター様が、一度口を挟まれたらこれからも、同じようにしなければなりません。他の貴族のときも同じように」


 アウグストがザルムート公爵家の人間だと知ってイアルは驚く。

 しかし、公爵家の人間がいてもおかしくはないが、問題が一層深まる。ザルムート家はヨアヒムを擁立しようとした公爵家。国王になったエヴァルトとは対立していた家だ。そこの息子と、ヴァルターの仲が悪くなるのは、国としてよくないだろう。


「それは・・」

「ヴァルター様にそれが出来ますか?毎回、ヴァルター様はエルザス王国の王族。その立場、もう少しお考えください」

「はい」


 ヴァルターがジャンの言葉にショックを受けたようにうつむく。

 しかし、今回はジャンの方が正しいように見える。

 

 けれど、ジャンの言葉には、それほどヴァルターへの敬意を感じない。

 ジャンはヴァルターの側近かと思っていたが、それほどうまくいっていないのかもしれない。


 本当なら助けてもらったイアルが、何かを言うべきなのだろうが、適切な言葉が思いつかない。けれど、このまま何も言わないと、更にヴァルターは落ち込みそうだ。


「おい、クロト。明日から、この俺がお前を直々に扱いてやる。そのつもりでいろ」


 しかし、イアルより先にジャンの方が口を開いた。

 イアルの指導についてジャンは本気で取り組むつもりだろうか?

 

「はい。ジャン様。お手を煩わしてしまい、申し訳ありません。学園にふさわしい生徒になれるように努力させていただきます」

「ふん」


 どうやら、イアルはジャンにも嫌われているらしい。

 だが、これくらいは貴族の態度としては当たり前だ。

 

 誘拐犯から助けたとはいえ、最初の時に平民だと、その後に奴隷だと分かったのに普通に接してきたヴァルターがおかしい。


「そういえば、クロト、魔法を発動させてみろ」

「えっ・・。

 今、ですか?」

「そうだ」


 いきなりで、ジャンの意図が分からず、聞き返す。


「お前も、魔法学園に入学してきたんだ。それくらいは出来るだろ」

「出来ますが、教室で許可なく発動していいのですか?」

「それは・・」

「ジャン。学園の校舎内での無断の魔法使用は禁止です」

「ヴァルター様。分かりました。では、クロト。お前達の寮に行くぞ」

「寮に、ですか。何故・・」


 魔法の力量を見たいのは分かったが、今度は寮に行く意味が分からない。

 ますます、わからず、イアルは当惑する。


「平民寮は、学園の領地ではない。だから、お前達平民が住む場所として認められている。だから、魔法の使用も可能だ。そこで、お前の魔法使いとしての素質を俺が見極めてやる」


 知らなかった。

 昨日、イアルは、魔法でお風呂用の水を作ったし、トーマスは沸騰させるための火を熾した。

 それは、平民寮には、教師や見回りがないため、違反をしてもバレる事がないから学園内でもやっていいのだと勝手に思っていたが寮は、普通に魔法が許されているのか・・


「分かりました」


 寮に、貴族を連れて行っていいのかと思ったが、その貴族の要望だ。断る事も出来ない。


「僕もついていきます」

「ヴァルター様、だめです。平民寮に赴かれるなど」

「大丈夫ですよ」


 ヴァルターとじゃんが言い争っているが、結局、ヴァルターが押し切り、ジャンと3人で寮に行く事になった。

 ルベール伯爵家のジャンはともかく、王族のヴァルターを寮に来るのは騒ぎになると思ったが、本人が行くと言って聞かない。

 どうにでもなれという気持ちで、ジャンにずっと睨まれながら、会話もなく気まずい雰囲気の中、寮に向かう。


「あっ、帰ってきた」


 イアルがヴァルター達と一緒に寮に帰ると、寮の前で待っていたトーマスとサハラが駆け寄ってくる。

 なんだか慌てている様子だ。

 それに、わざわざ、寮の前に立っていた。何かあったのだろうか。


「クロト、おまえ、何をやらかしたんだ」


 トーマスが、イアルの肩をつかんで、がたがたと揺らされる。


「トーマスさん、落ち着いてください。いったい何の話ですか?」


 どうしたのだろう。

 

「どんな、不敬を働いた。怒らないからお兄さんに正直に話しなさい」


 トーマスが何を言っているのか分からない。

 とりあえず、ヴァルター達がいるので、その事を伝えようとしたが


「マリーネ様とテーニア様が来てるの」


 サハラの言葉に、イアルは固まった。

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