第44話
「俺の部下になれ」
迷いのない目で、ヨアヒムはイアルのことを勧誘する。
それは、本当に、イアルがエルドラド王家の血が流れていることを気にしていないようだった。
最初は答えを引き延ばそうと思っていた。
ヨアヒムが何を考えているのかを見極めるべきだと思ったが、自分のことを見るヨアヒムの目を見て、そんな甘い考えは許されないと思った。
「ヨアヒム殿下。私は、あなたに仕える気はありません」
イアルは、ヨアヒムにそう宣言した。
「そうか」
天を仰ぐヨアヒムのことをイアルは何も言わずに、見守っていた。
そのとき、イアルは殺気を感じて、反射的に風の防壁を張る。
キィン
剣が何かに弾かれた音がした、そちらを見ると、それまで、ほとんど話もせずに、じっと聞いているだけだったアロイスが剣で切り掛かろうとしていた。
イアルが張った見えない防壁に、防がれ、驚いているが、すぐに、次の攻撃に移ろうとする。
しかし、その前に、マリーネの言葉が飛ぶ。
「待ちなさい、アロイス」
アロイスは剣を構えたまま、一切隙を見せないが、動きは止まった。
「なんのつもり、いきなり切り掛かるなんて」
「お下がりください、マリーネ様。その男は危険です。エルザス王国に仕える気がないのなら、出来る限り早く消すべきです」
「なっ、早急すぎる。勝手な行為は控えなさい、アロイス=ドゥルガ」
マリーネの言葉も無視して、片手で、マリーネを押しのけると、イアルの隙を伺おうとするアロイス。イアルも、油断なくアロイスを見ている。
2人の間に緊張が高まっていく。
「辞めろ、アロイス」
だが、その緊張は、一声で解消された。
「殿下」
納得出来ない声を上げるアロイスだが、ヨアヒムはそちらを見ていない。
観察するように、イアルの方を見ている。
「アロイス、お前は、完全に不意打ちで、クロトに切り掛かり風の精霊術で攻撃を防がれた。その時点で、格付けは済んだ。今の俺の部下で、一番強いのはお前だが、それよりも、クロトは上だ。今のお前では、どうあがいてもクロトには勝てない」
「ですが」
「クロトの気が変われば、すぐにお前は殺されるぞ」
容赦のない主の言葉だが、アロイスもそれは分かっていたのか、何もいい返さない。
「今、お前を失ったら俺が困る。剣を引け」
「承知しました」
ようやく構えを解いた、アロイスに、これ以上かかって来る様子はないと判断して、イアルも警戒を解く。
「悪かったなクロト。部下の暴走、謝罪する。アロイスには罰を与えるので、今日のところは許して欲しい」
「いえ・・。主君を思ってのその行動は私も覚えがあるので」
「そうか。俺も、そのお前の主も、そんな部下を持って幸せだな。俺は、これで帰るとする。気が変わったのならいつでも俺の元に来い」
ヨアヒムは一度、アロイスを見たが、すぐにイアルの方を向いて別れを告げる。今日は、本当にイアルのスカウトのために来たようだ。
「それと、アウグストが試験中に余計なことを言っていたか?」
「奴隷の分際で自惚れるなと」
「そうか。それも悪いな。情報を集めるのに、ザルムート公爵の力を借りていた。その時に、アウグストにも手伝わせていたんだ。広言はするなと言っておいたが、我慢が限界に来たか。余計なことは広めさせたりはしないから安心しろ」
ヨアヒムの言葉にイアルは安心する。
アウグストが単独で、イアルの事情にたどり着いたとかではなく、ヨアヒムに協力していたのなら、納得だ。
「わかりました。私はともかく、エモット伯爵やアイラ様に迷惑がかからないようにしてもらえればありがたいです」
「ああ。そこは心配するな。今、エモット伯爵が没落しても国に何の益もない。そんなことはしない。俺も、個人的にアイラ先輩には世話になってるしな」
「ありがとうございます」
「ああ」
そう言い残して、ヨアヒムは帰ると思われたが、イアルに背を向けたまま立ち止まった。
「クロト」
「なんですか?」
「いつか、フィリペ=エルドラド王子について、話が聞きたい」
意外な話だった。フィリペに会ったことがあると言っていたが、何かその時に会ったのだろうか。
「ヨアヒム様。その役は私ではないと思います」
イアルの言葉が意外だったのかヨアヒムが振り返る。
「どういうことだ?」
「そう遠くない将来。そうですね。いまから、2年以内にフィリペ王子の意を受けた者がエルザス王国に訪れるはずです」
「何?」
ヨアヒムが驚きの声を上げる。ヨアヒムからしたら、5年も前に死んだ人間からの使者など意味が分からないだろう。だが、イアルには確信があった。その時が来たら、必ず、フィリペの部下達は動き出す。彼らが、フィリペの意を違えることはあり得ない。だから、その前にイアルも動き出さないといけない。
現状、間違いなく、彼らはイアルよりも前にいるのだ。
「その時に、その訪れたモノから話を聞かれたらいいと思います」
「フィリペ=エルドラドの意志はまだ生きていると、お前はそう言うのだな」
「少なくとも、今のこのノウスフォール地方の状況は、フィリペ王子が死の間際に思い描かれた図からそれほどズレていないと思います」
「・・」
イアルの言葉に、何かを考えていたヨアヒムだが、しばらくすると、何も言わずにアロイスを連れて立ち去った。
「クロト、大丈夫ですか?」
ヨアヒムが立ち去り、その姿が見えなくなると、マリーネが真っ先に、イアルに駆け寄り声をかけてくる。
「ええ。特に怪我とかをしたわけではないので」
「そうですか」
それでも、マリーネは心配そうにイアルの身体を触っている。
テーニアも覗き込むようにイアルの顔を見てくる。
「ねぇー、クロト君。2人のとき兄様なんか言ってた?」
「ヨアヒム様が、ですか?」
「うん。なんか、いつもと少し、様子が違ったから。ちょっと興奮してた?」
ヨアヒムのことを一番よく知っているテーニアの言葉だが、イアルにはいつもとの違いは分からない。
だが、次の王になるなど、危ない発言は多かった。それらの発言は言わない方がいいだろう。
ヨアヒムがそこまでイアルに話した意図は分からないが、エルザス王国の問題にあまり首を突っ込むのはこれからのことを考えると得策ではない。
「どうですかね。いつもとの違いというのは分からないです。ただ、私の予想以上にいろいろと把握されていて、圧倒されてました」
「そうだねぇ。まさか、クロト君が精霊術師だってこと、兄様が把握してるとは思わなかったよ」
「結局、ヨアヒム様はそれをどこで知ったのですか?それに、先ほどの風の精霊術は?」
「すいません。それについては、アイラ様もいる場所で説明させてもらいますね」
「そうですね。先に移動しましょう」
イアル達が3人でアイラの研究室に向かうと、ノエルを中心に、食事の用意をしてくれていた。
用意をしてもらった食事を食べながら、イアルはこれまで隠していた、水以外の精霊術も話す。
風以外の土と火はまだ隠せる可能性もあったが、ヨアヒムにはこちらも知られている可能性があったので、隠す意味がないと判断した。
ここで話さなかった場合、後でバレた時にはもう弁解が出来なくなってしまう。
これまでの歴史上でも、4属性全ての精霊と契約をしているのは、極めて限られた人間だけだ。ジョアンが死んでからは、現在はいないと思われていた。
そんな人間が身近にいたことにアイラは興奮し、同時に、これまで隠されていたことにショックを受けていた。
そんなアイラにこれからは、精霊についての研究に関して全面協力するとイアルがご機嫌を取っていると、いろいろと手札を隠しすぎだし、まだ隠していることがあるのではないかとマリーネに詰め寄られる。
残っているイアルの秘密としては、精霊をジョアンから貰ったことと、そのジョアンの遺言でもある異世界からの勇者や妖精についてぐらいだ。後は、曽我黒斗の前世の記憶とおぼしきモノ。
これらは、イアルだけの問題のため、話すことではない。というよりも、イアル自身も誰かに説明出来るほどの理解が出来ていない。
なので、もう秘密はないと弁明するが、なかなか信じてもらえない。
それでも、この2ヶ月、毎週顔を合せて、一緒にお菓子を食べてきた仲である。マリーネも納得はしていなくても、イアルが話さないと判断し棚らと引き下がってくれた。
ヨアヒムが、リューベル帝国の姫と会っていたことには、テーニアもマリーネも驚いていた。
イアルの記憶通り、エルザス王国とリューベル帝国の仲はいいとは言えず、交流もなかったらしい。
ヨアヒムが、何を考えているのかは、誰にも分からなかった。
ただ、イアルはもうそれほど気にしてはいなかった。
ヨアヒムはこの世界での強者になる素養がある。
ならば、エルザス王国の正義はきっと、ヨアヒムの手の中にあるのだから。
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