第42話

 

 何故。

 今日、2度目の驚きだ。だが、アウグストに、奴隷だと言われた時よりも衝撃は大きい。何故、ヨアヒムはイアルが精霊術師だと知っている?

 一番最初に思いつくのは、テーニアが話した可能性だ。

 それなら、大きな問題ではない。それほど、ヨアヒムについて詳しく知っているわけではないが、無意味に吹聴して回る人とは思っていない。

 しかし、それだとおかしい。水以外の精霊についてはこの国の誰も知らない。知るはずがない。なのに、ヨアヒムは知っていた。

 いきなりの指摘に混乱しているイアルのことを楽しげに見ていたヨアヒムだが、あっさりと答えを教えてくれた。


「不思議に思ってるだろうが、なんてことはないさ。人から聞いた、それだけだ」

「・・どなたから聞いたんですか?」


 イアルは自分の胸の動悸が早くなるのを自覚した。可能性があるとしたら、エデン王国のフィリペ王子の配下。それが一番可能性が高い。彼らなら、エルザス王国の王族と秘密裏に接触していてもおかしくない。

 イアルはそう思っている。


「あの日。ヴァルターが、誘拐された日、俺はある人と約束があって会っていた。その人が、街で精霊術師と出会ったと言っていた。驚いて、詳しく話を聞くと、一緒にいたのがアイラ先輩だと推測出来た。その時に、ちょうど、先輩が、誘拐されたヴァルターを家人が追いかけていると知らせてくれた。その時、俺はその家人が精霊術師だと確信した。最初に会った時から、俺は、クロトが精霊術師だと思っていた。だから、魔法学園への入学を薦めた。エモット家の奴隷であった、クロトが、間違ってもエルザス王国から出て行かないようにな」


 やはり、ヨアヒムがイアルが奴隷だったと知っていた。だが、問題はイアルのことを、精霊術師だと分かった人のことだ。

 

 あの日、街で出会った人。

 なら、フィリペの部下ではないだろう。

 そう考え、イアルの頭の中に1人の顔が思い浮かんだ。ティエント商会からの帰り道に、ザルムート公爵家への道を尋ねて来た1人の男。その後ろにいた、女性。あの時もどこかで見覚えがあると思った。それを唐突に思い出した。


「ナタリア姫・・」


 ノウスフォール地方の東側にある大国、リューベル帝国。エルザス王国と同じく、500年前に英雄が建てた国の一つ。

 その帝国で傾国の美姫と謳われる姫。風の精霊術師、ナタリア=リューベル。


「ほう、知っていたのか」


 イアルが呟いたその名前に、今度はヨアヒムが驚きの声を上げる。


「ナタリア様は見たことがない、初めて見る相手で、あんな精霊術師がいたのか驚いていたが・・」


 ナタリアがイアルのことを見覚えがないのは当たり前だ。

 イアルとして、会ったことは一度もない。

 イアルがジョアンの影武者として、魔法でその姿になっていた時に、何度か挨拶をして、話をした事がある。

 エデン王国、第1王子フィリペ=エルドラドの婚約者である、ナタリア=リューベルに、将来の弟として。それだけだ。

 イアルも彼女のことはずっと忘れていた。フィリペの関わりを疑ったからナタリアのことを思い出せたのかもしれない。


 彼女が精霊術師を見て分かるとは知らなかったが、彼女ならそうであっても不思議ではない。


「なるほど。ナタリア様でしたか。うん、納得です。あの人なら、私のことを分かってもおかしくない」


 納得の声を上げるイアルに対して、今度はヨアヒムが怪訝そうな顔をしている。


「クロトはナタリア姫と知り合いなのか?」

「いえ。私が一方的に見たことがあるだけですよ。ただ、話はいろいろと聞いたことがあったので」

「そうか。前はリューベルにいたのか?」

「いえ、リューベルに行ったことはありません」


 ヨアヒムからその疑問が出たことで、イアルは、自分がエデン王国の人間であることまでは知られていないと安心した。

 しかし、別の疑問が出て来た。

 なぜ、ヨアヒムは、リューベル帝国の姫と会っていた?出会う約束をしていたという。彼女は、ヨアヒムを擁立していた、ザルムート公爵家への道を聞いて来た。今のリューベル帝国の状況をイアルは知らないが、エルザス王国との仲がいいとは聞いたことがない。聖戦の最中も、この2国はもめているという話をよく聞いた。

 そんな王国と帝国の要人が会っていた。城でない場所であっていたということは秘密の会合だった場合がある。

 イアルの思考を遮るように、ヨアヒムが話を進める。


「そうか。まあいい。それで、どうだ。俺に仕える気はないか?立場は保証する。実は、もうゼーレンには、貰ってもいいかと話しはしている」

「それは・・」

 

 現状、イアルの主はエモット家当主であるゼーレンだ。

 奴隷から家人に立場は変わっても、そこは変わっていない。

 そのゼーレンが認めたなら、イアルに拒否権はない。けれど、このままヨアヒムに仕えることには抵抗があった。嫌な予感があった。


「今は、叔父上が王位についているが、その後はヴァルターではなく、俺がエルザスの王になる」


 聞き用によっては大問題になりかねないことをヨアヒムはあっさりと言いきった。それがイアルには信じられなかった。何かがこの国で起ころうとしているのかもしれない。いや、ヨアヒムが引き起こそうとしているのか。


「たとえ、お前が、エデン王国の生まれであろうと俺は気にしない。そのことについて、何か言って来る人間がいたら俺が守ってやる」

「・・」


 やはり、ゼーレンは、イアルがエデン王国の人間だと知っていたのだ。

 先ほどの安心が一瞬で霧散した。

 だが、ヨアヒムはどこまで本気なのだろうか。エデン王国の精霊術師だと分かっているならそれがエルドラド王家の血筋だと想像はするはずだ。

 マリーネやテーニアはその段階で、リスクが大きすぎると判断して何もしないことを決めたが、ヨアヒムはそれを飛び越えるつもりなのか?


「クロト。俺は本気だ。エルザス王国をかつての強国に戻すためなら、劇薬でも呑む。その覚悟は俺にある。お前は、」


 ヨアヒムが中途半端に言葉を区切った。

 イアルが急によそを向いたからだ。


「どうした、クロト?」

「人が来ます」

「何?

 アロイス」


 イアルの言葉に、ヨアヒムが、これまでずっと何も言わずに傍にいた護衛に声をかける。


「何も感じませんが・・」


 アロイスは一度、離れると、それほど、時間をおかず戻って来た。


「あっ、いた。こんなところで何してるの?って、兄様?なんでクロト君と一緒にいるの?」


 テーニアが明るく、話しかけてくる。その横にはマリーネの姿もある。


「テーニアか、それにマリーネも。どうした?」

「どうしたって、クロト君を捜してたの。ねっ、マリーネちゃん」

「ええ」

「なんだ。2人揃ってクロトに用か」

「うん。でも、ちょうどいいや、兄様、ちょっとこっち来て」


 テーニアは言うやいなや、ヨアヒムを引っ張って、どこかに行ってしまう。

 その手はもう片方でアロイスのことも引っ張っていて、イアルとマリーネだけが残される。

 いきなりすぎて、イアルはまだ思考が追いついていない。


「まったく、あの子は」


 小さくマリーネが呆れたように呟いている。テーニアのことだろうか。何か呆れてる。


「あの。マリーネ達。何か御用があったのでしょうか?」

「ええ。クロト。先ほどの試験での戦いは見事でした」


 マリーネの言葉には苦笑いが浮かぶ。


「いえ。作戦と慣習を無視した行為だと、クラスメイトから怒られました。その説教の最中に、ヨアヒム様と話をするために抜け出したので、明日からもいろいろと言われるでしょうね」

「・・そうですか」


 マリーネが複雑な表情をする。困らせてしまったようだ。


「それで、マリーネ様はどうしてこんなところまで?」

「ああ、ごめんなさい。試験に合格したということで、ヴァルターと一緒に食事をと思ったのですが、クロトも参加しませんか?」

「えっ・・」

「忙しい、ですか?」

「いえ。でも私も、参加していいのですか?」


 誰が参加するのか。本来なら、1番気にしないといけないマリーネやテーニアは、アイラの研究室で何度も一緒に過ごしている。なので、それほど気にならないが、他の貴族がいたら、微妙な空気になること間違いない。


「ええ。身内だけでの食事会です。アイラ先輩が研究室を使っていいとのことなのでそこでいつものメンバーに、ヴァルターが入るだけの」

「そうですか。ですがそれなら、なおさら、私は邪魔になりませんか?ご兄弟や家族だけでやられたら」


 王族との茶会にいつものメンバーと数えてもらっていることへの違和感が自分で凄い。

 そんなことを考えていたイアルだが、その手をマリーネが掴んだ。そして、少し見上げるように頬を赤らめながら、マリーネが再度誘ってくる。


「いえ、私は、クロトにも参加して、欲しいな、と」


 その表情に少しドキッとしながら、王族の誘いは断れないと考え受けることにする。


「分かりました。誘っていただいて、ありがとうございます。私も参加させてもらいますね」

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