第26話
入学式も無事に終わり、今日は授業などは一切なく、学園の中の案内だけだ。
その間、イアルは誰とも話すことなく、ただ案内の先生に付いて、場所や道を覚えることに専念した。
結局、イアル達今年の新入生は、全部で53人いた。
この数が多いのかどうかはイアルには分からないが、生徒の顔と名前は覚えられる気がしなかった。平民は、イアルだけで、他の生徒はみんな、貴族だ。
イアルが、案内に従って歩いている間、ヴァルターは、多くの生徒から話しかけられて大変そうだった。
付き添っていた生徒も、他の生徒を制御出来ず、しばしば、案内の邪魔になっていた。
話しかける彼らも、王族の機嫌を取ろうと必死なのだから、悪いとは言えない。そのことが分かっている、案内役も、何も口を挟まなかった。
イアルは、そんな中に入れるはずがなく、ヴァルターとは一言も話せていない。
恐らく、これからも、同じような生活が続くだろう。
身分の差は貴族社会では絶対だ。
学園内の案内も終わり、最後に生徒が住む寮へと案内された。
寮は全員に個室が与えられている。これは、魔法使いである以上は必須のものだ。しかし、個室の大きさは、貴族の格や寄付金の多寡によって変わる。そして、平民出身の生徒には、貴族達とは別の建物が用意されている。
それが、平民と同じ建物で寝食をしたくない貴族の要望なのか、学校以外では貴族とは別れて生活をしたい平民の希望なのかは知らないが、イアルにとってはありがたいことだった。
立派な建物の貴族用の男子寮と女子寮の後に、最後にイアルだけが、平民用の寮に案内される。
アイラの話では、今、この寮には4人住んでいて、5人目がイアルのはずだが、今はまだ誰も、建物の中にはいないようだった。
その建物は、貴族用の寮とは比べると質素だが、普通の平民からしたら十分に豪華だ。イアルには十分だった。
1階が、寮生共通のスペースになっていて、2階と3階が生徒の部屋だ。
部屋の鍵を預かり、2階の与えられた部屋に入る。思っていた通り、一人で暮らすには広い。
ベッドなどの必要な家具も部屋についている。
イアルは、少ないが、それでもエモット邸から持ってきた荷物を整理していると、寮の中が騒がしくなる。
他の寮生が帰ってきたようだ。
1階に下りると、3人の生徒がいた。
「あっ、キミが新入生?」
降りてきたイアルに最初に気づいた女性が声をかけてくる。
「はい。そうです。クロトと言います。これからよろしくお願いします」
初対面で挨拶をするイアルにその人は、目を瞬かせると、苦笑いをする。
「そんなに固くならなくていいよ」
「いや、それは」
「と、いうか、ごめん。寮では楽にしたいからそういうのは、なしにしてほしいな」
その言葉で、意味が分かった。
「ほら、私たち、みんな平民出身だからね、分かるでしょ」
「はい。ただ、敬語がしみついていて・・」
「そうなの?まあ、その話し方に慣れてるならそれでいいけど、あんまり、固くはなりすぎないで欲しいな」
「気をつけます」
今度はイアルが苦笑いを浮かべる。
その気持ちはよく分かった。
貴族に囲まれた学園で生活をしているのだ。気疲れは多いだろう。平民だけの、対等な身分だけの寮でまで、そんな生活はしたくないと思っても当然だ。
リビングに集まり、4人で挨拶をする。
「改めて、私はフィル。年は15歳で、学園は5年目。風クラスよ」
「俺はトーマス。13で、火クラスだ」
「俺はクロト。年は14歳ですけど、今年からの入学で、水クラスの予定です」
フィルという名前はアイラに聞いていた。ティエント商会のことを教えてくれたという生徒だ。
3人が名乗り、まだ、名乗っていない一人に視線を向ける。
「・・サハラ。土クラス」
小さい声でサハラはそういうと、用は終わったとばかりに部屋を出て2階へと上がっていった。
何か気に触ることをしてしまったのかと気にしながら、イアルが何も言えずに見送っていると、こうなることが分かっていたのかフィルとトーマスは笑っている。
「気にしないでいいよ。サハラはあんな感じだから」
「ああ。クロトのことを嫌がってるわけじゃないからな。去年入ってきた時から、あんな感じだ」
「そう、ですか」
「うん。すこし、人と話すのが苦手なだけの、大人しい子だから。まあ、会ったら挨拶はしてあげて。時間をかけて、仲よくなってくれたらいいし」
「はい」
「これで、寮にいる全員ね」
イアルも、過度な干渉がなければ、寮での生活はそれでいいと思っているのでサハラのことはそれでよかった。
しかし、フィルの言葉はおかしくないか
「4人いると聞いてたんですけど、後の1人は、まだ帰ってきてないんですか?」
「ん、ああ。ウルマね。彼は、貴族寮の方で生活してるから、こっちには帰ってこないわ。部屋だけは、そのままあるけど」
その言葉に、イアルは目を丸くする。
平民が貴族寮で生活するのが許されているのか。
「ウルマの家は商人なの。それで、入学前から関係あった貴族の人と仲が良くて、一緒に入学して、その人のと部屋に住まわせてもらってるの。14歳で水クラスだから、クロトと一緒ね」
「そういうのもあるんですね」
「まあ、彼は例外よ。私たち3人は、教会の洗礼を受けて、その推薦で入ったけど、彼は、実家の力で入学してるからね。それでも、寮の中では、下働きみたいなものもさせられてるみたいだけど」
「ああ」
「それでも、豊かな商人の子供だった彼にとってはこの寮で暮らすよりは貴族寮の方がよかったのよ」
貴族寮に平民がいることに、クロトは驚いていたが、フィルの説明に納得がいった。
寮ではメイドなどを連れてくることが一切禁止されている。
王族も禁止されていて、最低限の身の回りは自分でしないといけないことになっている。実際は、側近の貴族がしてるらしいが。
爵位が低い貴族が雑用を押し付けられるという話はアイラから聞いていたのでそれと同じだと思うと、理解出来る。
それでも、魔法使いが、同じ部屋に人を住まわせるのは危険が大きいとイアルは思うが。
イアルは、そのウルマという人と、泊めている貴族に少し興味がでてきた。
「馬鹿だよね。ウルマの奴。ここにいたら、女子と同じ屋根の下で生活出来るのに」
「・・」
トーマスの言葉には、フィルの冷たい視線だけが待っていた。
「それで、クロト。これから、私たちは、この寮で一緒に生活するから、よろしく。寮での生活を教えるから。クロトも分からない事あったら、何でも聞いてね」
「はい」
フィルがトーマスに何も触れずに、次の話に行ってしまう、トーマスが悲しそうにしていた。
「ここの寮は、貴族寮と違って、食事が用意されないから自分たちで用意しないといけないの。私たちは、朝は各自で食べて、夜は3人交代制で料理を作って一緒に食べるようにしてるんだけど、クロトはどうする?」
「食材とかはどうしてるんですか?」
「貴族寮の方には、毎日、商人が食材を持って来てるから、その人に頼んでる。3日に1回、こっちにも持ってきてくれることになってるから、そのときに、3日分届けてもらってるわ」
「そうですか」
「料理が出来ないなら、最初は私たちの手伝いだけでもいいわよ。しばらくしたら、一人でも担当してもらうけど」
イアルは料理はしたことがない。
エデン王国のときはもちろん、奴隷商や、エモット邸でも、食事は出されていて、台所に入ることを許されていなかった。出されたものの中には、残飯に近いものも多かったが、体調を崩したことはなかった。
一方で、曽我黒斗の記憶では、よく料理をしていた。母親の看病のために覚えたり、農家でもあった祖父母から、いろいろと教えてもらっていた。
そのため、一人暮らしをしてからも不自由なく自炊をしていた。
この世界では、日本ほどの調理器具はないので、同じようにとは期待出来ないが、問題はないだろう。
「そうですね。一度、料理させてもらって、それで問題なければ、俺も順番に入れてください。料理に問題あれば、すこし、勉強する時間を貰えれば」
「分かったわ。他は、お風呂ね。そういえば、クロト、水クラスに入るのよね。もう、水も出せるの?」
そこまで言われたら、何が言いたいのかは伝わる。
「出来ますよ。お風呂用にみ・・」
「本当に」
「本当か」
最後まで言わせてもらえなかった。
フィルだけでなく、ずっと、しょげていたトーマスまで食い気味だ。
「いままで、貴族寮の近くにある井戸まで、ずっと、水を汲みにいってったんだ。何往復もしないと行けないし、大変だったんだ」
「ええ。しかも、汲みにいったところで他の生徒の絡まれることも多くて」
2人して、水汲みがどれだけ大変な作業だったかを説明してくる。
「本当に、水、出せる」
「はい」
「水出してくれるなら、もう、料理当番とか担当しなくていいから」
「そうだぞ。俺が代わりにやってやるからな」
ありがたい提案をしてくれるが、これからのことを考えると、料理も出来るようになっておいた方がいいだろう。黒斗の記憶がどこまで使えるのかも、確認しておかないといけない。
「いえ、俺も料理出来るようにはなりたいので」
「いい子だ。クロト、あなたいい子ね。生意気で、下品なトーマスとは大違い」
「な、何いってんだ」
「人が身体を拭いているのを覗こうとしてきた最低に男のことを言ってるのよ」
「ち、違うぞ。あ、あれはだな、お前達は、男が覗きたいと思うほど、魅力がある女だということを教えてやろうと」
「・・最っ低」
フィルの言葉が今日一番低くなった。
「なあ、クロト。お前からも言ってやれ。男なんだから、覗きくらい当たり前だよな」
縋るようにイアルを巻き込もうとするトーマスだが、巻き込まれたくない。
「いや、俺は」
「いい子ぶってんじゃねえぞ。お前はそれでも男か。見損なったぞ。覚えてろ」
トーマスは、涙を流す振りをしながら、部屋から出て行った。
フィルが呆れたように見送っているので、前も似たようなことがあったことが予想出来る。
「トーマスは放っといたらいいからね。晩ご飯には、何事もなかったように来るから」
「あっ、はい」
フィルの言葉にイアルも頷く。
フィルもトーマスもお互いのことを分かっている。
きっと、トーマス達は、こういった関係をこの寮の中で気づいてきたのだろう。
羨ましいなと思いつつ、イアルは、自分はそういう関係を築くのは難しいだろうと諦めてもいる。
「それと、さっそくだけど、お風呂に水、入れてもらってもいい?」
「はい」
フィルに案内してもらい、お風呂場に行く。
そこにあるのは大きな水を溜める桶だ。
「ここに水を作ってもらっていい?後で、トーマスに言って、火をつけてもらって湧かすから」
「分かりました。一杯入れておいたらいいですよね」
「ええ。お願いしていい」
「もちろんですよ」
イアルは、精霊術を使えば、お湯の状態で出すことも出来る。
しかし、水の魔法使いが出せるのは冷たい水だけだ。魔法使いとして入学したのだから、ここで自分からバラすようなことをするわけにはいかないので、水を出す。
トーマスには無駄な手間をかけさせる事になるが、自分の身が一番だ。
その後は、フィルが作ってくれた料理で簡単な歓迎会を開いてくれた。
仲良くするのが難しいと思っていたサハラも、これからはイアルが水を作るから水汲みに行かなくていいと知ると、イアルに抱きついて喜んでくれた。
人見知りの彼女は、水汲の際に貴族の絡まれるのが一番の苦痛だったそうだ。
その後の自分の行動に気がついて、照れた様子も可愛かったので、これからは仲よくやっていけそうだ。
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