第19話 エルザス王国

 

 エルザス王国。


 およそ、500年前、第1次聖戦の終結後に、伝説の勇者と一緒に戦った英雄が建てた5つの国の一つ。ノウスフォール地方で、最も長い伝統と歴史を持つ国。魔王領域の出現により、ベルフォール大陸の他の地方との連絡手段が一切なくなり、孤立状態になっているノウスフォール地方では、中心的役割を担い続けてきた国。水の精霊である、ウンディーネを奉り、守護されている。


 現国王の名前は、エヴァルト=エルザス。1年前に、兄である、ハインリヒ=エルザスの死に伴い、跡を継いだ。

 しかし、現在、王には実権はなく、2つの公爵家による権力争いが行われている。


 元々、エルザス王国は、国王の元で、3つの公爵家が力を持ち、バランスを保っている国だった。

 しかし、5年前に、エデン王国との戦いで、当時の国王と公爵家当主の1人が亡くなった。聖戦の終結後に起こった、国王の突然の死によって国が混乱する中、王太子であったハインリヒが後を継いだ。

 当主が亡くなった公爵家は、跡継ぎ争いが起こり、力を大きく落としてしまった。また、王家も、国王と共に国王派と呼ばれていた多くの貴族を失くしたため、国を建て直すためには、残った2つの公爵家の力に、これまで以上に頼ることになった。その中で、新しく国王になったハインリヒは、迅速に国の立て直しをはかった。


 その当時、ノウスフォール地方は、全ての国が混乱に陥っていた。

 理由は、エデン王国の滅亡。そして、その戦争によって、多くの国が指導者を失った。これは、全ての国にとって予定外だった。

 第2次聖戦の終結により、魔族に脅威は無くなり、魔物の出現も散発的な物になる。それは、予定されていたことだった。その後、人類は、魔族の脅威を感じずに、繁栄の一途をたどると希望を持っていたのが、エデン王国の反撃で全ての予定が狂ってしまった。

 その影響で、当時は、ノウスフォール地方の全ての国が他国に目を向ける余裕は無く、自国のことに集中していた。


 その空白の期間で、ハインリヒは見事に国を建て直した。

 2つの公爵家のパワーバランスをうまく利用して、エルザス王国は少しずつ、かつての力を取り戻し、ハインリヒは国王として、実権を握った。

 それと時期を同じくして、各国も立て直しの時が終わり、周りに目を向け始めた。


 争乱の時代の幕が静かに上がりはじめていた。


 ハインリヒは父王の跡を継いで国王になって4年が経った去年、初めての他国との戦争を行い、国王としての初陣を華々しい勝利で飾った。

 そして、その帰り道、突然の発作によって倒れた。

 死因は病死とされているが、それまで、病一つない健康だった国王・ハインリヒの突然の死は、多くの憶測を呼んだ。

 そして、エルザス王国は、次の国王が誰にするかで、国は割れ、2つの公爵家を中心に内乱寸前までいった。


 次期国王の候補は2人いた。

 グラフ公爵家が推したのが、ハインリヒの弟である、エヴァルト。

 ザルムート公爵家が推したのが、ハインリヒの嫡子、ヨアヒム。

 王位継承権は王太子だったヨアヒムの方が高かったが、当時15歳で、まだ、魔法学園の卒業を控えていた時期だったため、突然の国王の死に混乱している国を治めるのには力不足と思われた。そのため、王弟のエヴァルトを推す声が貴族の中では多かった。

 ハインリヒの元では、国を立て直すために協力をせざるえなかった2つの公爵家はそれぞれの候補を擁して、権力争いを続けた。結果は、ヨアヒムが叔父との争いが、国民の血を流す内乱に発展することを恐れ、自ら王位の継承を辞退したためエヴァルトが王になり、争いは表面上収まった。


 その結果、王位に就くことになった現国王、エヴァルト=エルザスだが、グラフ公爵家の力を大きく借りることになったため、宰相を務めるウィーラック=グラフに逆らうことが出来ず、王としての力は必然弱かった。

 エヴァルトを擁立し国王につけることに成功したグラフ公爵家は、エルザス王国で最も強い力を持ち、その勢力を日増しに増大させていた。

 そして、ヨアヒムを擁立していたザルムート公爵家は、ヨアヒムの辞退による決着に納得が出来ずに不満を日々募らせていた。

 それに加えて、現国王、エヴァルト=エルザスが、自分の子供である、ヴァルター=エルザスを王太子にせずに、その地位を空位にしていることから、次期国王がヨアヒムになるのではないかという憶測が流れている。

 そのため、今もグラフ公爵家とザルムート公爵家の権力争いは、激しく行われている。


 今のイアルの格好で、王城に来るのは問題があるということで、身なりを整えてから、王城に行くことになった。

 なので、イアルは、アイラとともにエモット家への帰路についていた。

 イアルとしては、ヴァルターと少し話して、口止めをしたかったが、残念ながらその余裕はなかった。

 そして、帰り道の間に、イアルはこれまで興味を持っていなかったため知らなかった、現在の、エルザス王国の状況について説明を受けていた。


 そして、話が国王の息子、ヴァルターの話になると、イアルは震えた。


 今日、イアルが助けた子供だ。

 話の流れで、おおよその検討はついていた。

 ヨアヒムのことが分かった時点で、王族だとは思った。

 しかし、改めて現国王の子供だと言われると、イアルがとったいろいろな行動に問題があった気がしてきて身体中から冷や汗が出る。


 エデン王国では、王子であるジョアンやフィリペと当たり前のように接していたし、国王も、気安く話してくれた。

 違う国の王族だとそれとはまったく違う。


 これから、どうなるのか、不安しか無い。

 逃げ出したかった。


「イアル、大丈夫?殿下に失礼なことしていない?」

「・・大丈夫だと思います」


 不安そうにアイラに問われても自信は無く、そう答えるしかない。

 少なくとも、ヴァルター自身の機嫌を損ねることはしていない、はずだ。


 しかし、話を聞いて、ヴァルターの一部の態度に納得する。

 兄さんと呼んではいたが、父親と権力争いをしている従兄との関係は気まずいものがあるだろう。

 もしかしたら、ヴァルターは、ヨアヒムが誘拐犯の裏にいた犯人だと思っていたのかもしれない。

 そして、その可能性もまったくないとは言えない。


 聞いたところでは、現国王の正室の息子はヴァルターのみ。異母弟はいるそうだが、まだ幼い上に、母親の地位が高くない。

 ヴァルターがいなくなれば、ヨアヒムが次期国王になる可能性は高いように見える。

 

 エルザス王国の説明を受けているとエモット家の屋敷についた。

 屋敷について、一息つくと、別れてからの状況をお互いに話す。


 アイラは、イアルが男に飛びかかりヴァルターのフードが捲れて、顔が見えた時に、攫われていたのがヴァルターだと気がついたらしい。

 ヴァルターの存在に驚いているうちに、イアルが、ヴァルター連れて、スラム街の方へ逃げ出してしまった。

 王子である、ヴァルターが誘拐犯とおぼしき男達に連れられていたのは、問題だ。そして、その王子を助けるために飛び出した自分の家の奴隷があろう事かスラム街へと、王子を連れて行ってしまった。

 アイラは頭を抱え、悩んだ。すぐに、助けにいかないといけないが、王子の誘拐事件が明るみになれば大事になり、それも大きな問題になりかねない。エルザス王国は、今もまだ混乱から脱出していないため、いらぬ火種になる可能性は十分にある。騒ぎを大きくせずに、迅速に解決しないといけない。

 どうするか迷ったアイラは、王立魔法学園での教え子でもある、ヴァルターの姉、マリーネに会うために城を訪れようとしたところ、建国祭の準備で、街に出ていた、ヨアヒムに出会った。

 アイラとヨアヒムは、王立魔法学園で一つ違いの先輩後輩にあたり、交流があった。

 現国王・エヴァルトとヨアヒムの関係性を知っているアイラは、ヴァルターのことを話すかどうかを迷ったが、ヨアヒムのことを信用し、事情を話した。

 内容は、男達に連れ去られて、スラム街に入っていくヴァルターを見たため、家人に後を追わせている、ということにした。

 それを聞いたヨアヒムは、迅速に動き、一部の兵を動かして、内密に、スラム街でヴァルターの捜索をした。

 そして、新しい戦闘の跡があり、そこに、1人の死体と怪我をした男が見つかったとの連絡を受けて、ヨアヒム自身も、建国祭の見回りと称して、アイラと一緒にその場に行こうとしたところで、イアルやヴァルター達と出会った。


 そこまで、聞いて、イアルは背筋が凍る思いだ。


 すでに思っていたよりも、大事になっている。

 イアルが戦ったのは3人と1人だ。ブローカーを名乗った男が姿をくらましていることに疑いはないが、見つかった2人というのが気にがなる。


 そもそも、何故、自分は、こんな事件に関わっているのかと、自分の行動を顧みる。


 ヴァルターを助けたこと自体は後悔は無い。

 行動は間違っていなかった。


 しかし、もしもこうなることが分かっていたら、ゲルトに切り掛かられた時に、精霊術を使ってでも、逃げればよかった。

 あのときは、ゲルトがヴァルターに味方か分かっていなかったから、後から言っても仕方ないが。

 結局、他に、どうすれば良かったのか思いつかないので、最初にヴァルターを見捨てるか、こうなるかしか無かった。

 そして、ヴァルターを助けるよう、身体が動いてしまったから、しょうがない、と自分に言い聞かせながら、またも後悔がにじむ。

 けれど後悔はしても結局反省はしていない。

 また、同じことがあれば同じことをすると分かっているから。


 そうやって、イアルは、未だに、この世界になじめない、曽我黒斗の記憶と折り合いを付ける。


 イアルの行動は間違っていない。


 間違っているのは世界だ。


 けれど、正しいことが何かを決めるのは世界だ。


 だから、イアルのとった行動は間違っている。


 そのことを自覚しながら、イアルは、曽我黒斗の影響を受ける自身の行動を受け止める。


 大事なのはこれからだ。

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