第3話 大黒屋も天下太平

 大黒屋の店先まで帰ってくると、いつもの光景があった。

 おとっつぁんが動物園の熊みたいに店の前でうろうろしている。私が帰ってこないのを心配するあまり、外に出て待っていたのだと思われる。私はその姿に駆け寄った。


「おとっつぁん! ただいまー!」

「おお、美津!」


 おとっつぁんが私の顔を見てパッと笑顔になる。と言っても、他の人にはちょっとわかりにくいと思う。なにしろ、私のこの世界でのおとっつぁんはものすごい悪人顔だ。時代劇の悪徳商人の顔と言えばわかりやすいと思う。私に向かって微笑む顔は、どう見たって悪徳商人が黄金色の菓子を悪代官に渡しているときのそれだ。

 けれど、私はあの笑顔が本物だということを知っている。最初はかなり誤解してしまって申し訳なかった。


「無事に帰ってきてよかった。芝居はどうだったかい?」

「すっごく楽しかったよ!」

「そうかそうか。それはよかった」


 おとっつぁんは本当に嬉しそうだ。


「ご苦労だったな、弥吉」

「はい!」

「清太郎も、ありがとう」

「い、いえ」


 機嫌が悪そうだった清太郎だったが、おとっつぁんに話しかけられると恐縮してしまっている。


「ごめんね、清太郎」

「なにがだよ。美津は悪くねぇだろ」


 悪くないと言いながら清太郎はやっぱり不機嫌そうだ。


「お芝居、楽しくなかった?」


 そういえば、お芝居のとき舞台に集中しすぎて清太郎のことをまったく気にしていなかった。それも怒っているのかもしれない。私はちょっと夢中になりすぎて周りとかまったく気にしてなかった。というか、隣に清太郎がいることすらお芝居中には忘れていた。


「私ばっかり、はしゃいじゃってたかな」

「別に。美津が楽しかったならいいんだよ」

「そう?」

「俺もちゃんと楽しかったから大丈夫だって」

「なら、よかった」


 本気でほっとした。せっかく清太郎が取ってくれた木戸札だったのに、清太郎が楽しめていなかったら困る。私のように楽しそうに歓声を上げてはいなかったけど、清太郎は落ち着いて芝居を見るタイプだったみたいだ。

 それなら、なおさら。


「うるさくしちゃってごめんね」

「気にすんな。別にうるさかったのは美津だけじゃないだろ」

「確かに」


 うんうん、と思わず頷いてしまう。

 白浪小僧人気で周りも、ものすごい熱気だった。


「すごかったんですね、お芝居」


 感心したように弥吉が呟いている。


「本当にすごかったんだよ。本物の白浪小僧みたいで! 小判を投げるところなんてもう最高でね!」

「美津、そろそろ家の中に入りなさい。空が暗くなってきたよ」

「あ、本当だ」


 おとっつぁんに言われて気付く。いつの間にか、カラスが鳴く時間になっている。


「お芝居ならいいけどね、本物の盗賊が出たらさすがに危ないじゃないか。清太郎も気をつけて帰るんだよ」

「はい」


 清太郎はおとっつぁんに頭を下げる。

 そして、


「じゃ、またな」

「うん、じゃあね」


 名残惜しそうではあるが清太郎は私に背を向けて歩き出す。

 そうだった。映画を観た後とか舞台を観た後は、一緒に行った友達と内容についてしゃべりたくなる。

 清太郎が名残惜しそうなのはそれかもしれない。私ばっかり興奮していて気付かなかった。

 今度は気をつけよう。うん。


「清太郎! また遊ぼうね!」

「遊ぶってなんだよ!」


 思わず現代で友達にするように声を掛けたら、馬鹿にするような返事が返ってきた。でも、清太郎は笑っている。よかった。が、さすがにこの言い方は子どもっぽすぎたかもしれない。

 隣を見ると、おとっつぁんも苦笑している。

 けれど、すっと目を細めると、


「昔のように仲良くなったんだなあ。よかったよかった」


 しみじみと呟きながら頷いた。

 優しいおとっつぁんのことだ。親の事情で私と清太郎の仲が悪くなってしまったことを気に病んでいたに違いない。


「うん! すっごく仲良しだよ!」

「それはよかった」


 私とおとっつぁんは顔を見合わせて笑う。

 色々誤解もあったけれど、今はみんな幸せだ。

 と、思ったけれどなんだか今度は弥吉が不機嫌そうな顔をしていた。


「わ、ごめん。ずっと待ってて疲れたよね」

「おお、そうだそうだ。もう今日は休んでいいからね。ご苦労だったね、弥吉」

「ありがとうございます、旦那様」


 一応おとっつぁんにお礼は言ったものの、むっつりしたまま弥吉が行ってしまう。

 やっぱり、お芝居の間ずっと待っていたのは疲れたに違いない。


「弥吉には無理をさせすぎたかな。美津も疲れただろう? ちゃんと休むんだよ」

「え、私は元気だよ」

「いや、お前のことだから力一杯役者に掛け声なんか掛けていたに違いないからな」

「う」


 よくおわかりで。


「さすがおとっつぁん」

「それくらいわかるに決まっているよ。大事な娘のことなんだからね。けれど、そんなに楽しめたならよかったじゃないか。さ、部屋に戻って休みなさい」

「はーい」


 おとっつぁんに言われて私は自分の部屋へと向かう。その途中で、


「おかえりなさいませ、美津様」

「雪ちゃん! ただいま」


 奉公人の雪ちゃんがいた。

 雪ちゃんは私と同じくらいの歳の女の子だ。ということは、話も合って話しやすいということで、


「白浪小僧のお芝居どうでしたか?」

「すっっっっっごくよかった!」

「わぁぁぁあ」


 開口一番、聞いてきてくれたのが嬉しかった。やっぱり、清太郎には悪いけれどこういうのって女の子同士で話すのがすごく楽しい。


「美津様が行かれると聞いて気になってたんです! 帰ってきたら感想を聞こうとお待ちしていましたっ!」


 どちらかといえば大人しめの雪ちゃんでも白浪小僧のことになるとミーハーな感じなっている。それほどまでに白浪小僧は江戸っ子に人気なんだなと実感する。


「めちゃくちゃかっこよかったよー。口上とかすっごくよかったし。小判をばらまくところなんて、もう夢みたいに綺麗でね」

「やっぱり白浪小僧は二枚目なんですね」


 うっとりとした顔で雪ちゃんが頷いている。

 こういう盗賊は二枚目だと時代劇なら相場が決まっている。雪ちゃんもそいうものだと思っていたらしい。


「本物も見てみたいなぁ」

「さすがにそれは危ないですよ。義賊とはいえ盗賊なんですから。だから、みんなお芝居で我慢してるんです。それに、本物はどんな顔かわかりませんし……」

「そっかぁ、そうだよね」


 時代劇の中だから本物も男前だと思っていたけれど、ただの中年のおじさんかもしれない。


「おじさんかもしれないもんね」


 私が言うと、


「そんな……」


 雪ちゃんがなんだかショックを受けた顔をしている。私も自分で言ってしまってダメージを受けた。


「いや、でも、渋みのあるおじさまとかなら!」

「あ、そ、そうですね! それなら!」


 今度は雪ちゃんも目を輝かせる。

 それはそれでいい。

 私の大好きな時代劇のヒーローも若いときもかっこよかったが、歳を重ねて渋みを増してきたのがまたいい人だっている。というか、時代劇は最近あまり新作が作られていなかったから、見ているのは大体再放送だった。だから、時代劇だけ見ていて若くてイケメンだと思っていた人が今の姿を見たら結構なお年なことが多いのだ。それがまた、渋みのある素敵なおじさまだったりするから、まあ、よし。

 うんうんと、私と雪ちゃんが目を見合わせて頷いていると、


「楽しそうですね。なんの話をしているんです?」


 廊下の向こうから手代の政七さんがやってきた。


「政七さんっ!? あの、ええと……」


 なんだか、雪ちゃんが慌てた様子だ。

 私はピンときた。雪ちゃんと政七さんは恋仲だ。

 楽しそうに白浪小僧がかっこいいなんて話をしていたら、政七さんがヤキモチを妬くと思ったに違いない。

 雪ちゃん、可愛い。

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