第9話 まさか! 白浪小僧の正体は!?

 なにか、引っかかった。


「そういえば……」

「どうしました? お美津さん」

「あ、いえ」


 先生が首を傾げる。先生は、全く動揺していないようだ。

 私の頭の中に浮かんだことなんて、絶対妄想に決まっている。


「先生、大丈夫ですか? 結構ひどく打ったとか……」


 だから、なんでもないことのように言ってみる。


「ええ、大丈夫ですよ。本も積みすぎはよくないですね」


 ふふ、と先生は笑う。

 それから、私からすまなそうにしている頭をたれている子どもの方へと向き直った。


「それより、いきなり立ち上がったりしたら危ないですよ。きちんと周りは見ましょうね」

「はい、ごめんなさい」


 先生にぶつかった子がしょげながら謝っている。


「今度からは気を付けてくださいね。ああ、その習字が上手く書けたんですね」

「あ、そうだった! 先生、見て見て!」


 泣きそうな顔だと思っていたのに、その子は先生の言葉に急にぱっと顔を輝かせて半紙を見せる。


「うんうん。よく書けていますね。素晴らしいです」

「へへ」


 先生に褒められて嬉しそうだ。


「すぐに先生に見せたくて、俺……」

「わかっていますよ。けれど、今度からは手を上げて知らせてくださいね。すぐに見に来ますから。慌てて立たなくても大丈夫ですよ」

「はいっ!」

「では次の文字も書いてみましょうか」

「がんばりますっ」


 先生にぶつかって、さっきまではものすごくしょんぼりしていたのに、すごく元気になった。よかったよかった。

 それにしても先生がちょっと心配だ。本がぶつかるのは結構痛い。脇腹を角でがつんとかやったとかだったら今日もまだ痛んでいてもおかしくない。しかも、紙で手を切るのもかなりのダメージだ。のわりには擦りむいたような傷だった。転んで畳で擦りむいたということだろうか。


「? お美津さん。まだなにか聞きたいことでもありましたか?」


 じっと先生を見つめてしまっていたらしい。先生が私の顔を見て首を傾げている。


「あ、いえ。なんとなく見ちゃってただけで」

「そうですか?」

「は、はい!」


 私は慌てて答える。


「お嬢様」

「ん?」


 今度は隣から弥吉が話しかけてくる。


「今、先生に見とれていたんですか?」


 見とれていたというか、気になって見てしまっていたというか。


「うーん、なんか気になって」

「……お嬢様。まさか先生みたいな人が好みなんじゃ……」

「え、なんて?」


 考え事をしていて、呟くような弥吉の声はよく聞こえなかった。


「い、いえ、なんでもありませんっ」


 なにを言ったのかわからないけれど、弥吉は答えてくれずに慌てたように机に向かってしまった。


「えー、気になるよ」

「なんでもないですっ」


 いつも素直な弥吉だが、今はもう一度言ってくれる気はなさそうだ。なにを言っていたんだろうと思っていると、


「お嬢様、私もたくさん本を読むことにします」


 弥吉が言った。

 それを伝えたかったのだろうか。先生が本を読んで夜更かししていたと言っていたことに感化されたのかもしれない。


「おお、それはいいことだと思うよ」

「おいら、がんばりますから」

「うん。応援してるよ」

「はいっ!」


 なんだかよくわからないがやる気が出たのはいいことだ。

 私はといえば、


「うーむ」


 思わず首をひねってしまう。

 先生の怪我は、昨夜の白浪小僧のものとそっくりだ。先生が押えていた脇腹は私が千両箱をぶつけてしまったところと似ている。そして、手を擦りむいているのも一緒だ。

 だけど、


「うまく出来ましたか?」


 子どもたちに微笑みかけている先生は全くと言っていいほどいつもどおりだ。もしも、先生が白浪小僧だったとしたら、白浪小僧として私と会っておいて普段通りにしていられるだろうか。

 無理だ。

 あんな風ににこにこ笑っていられるわけがない。

 それに、先生はどちらかと言えば文系といった様子で屋根の上を颯爽と走っている姿はあまり想像できない。

 今も、


「あっ」

「先生、大丈夫?」

「大丈夫ですよ。ちょっとつまづいてしまいまして」


 なにも無いところでつまづいて、子どもに心配されている。白浪小僧だったら、なにもないところでつまづいたりなんかしなさそうだ。もっと身のこなしも軽い。昨夜見た白浪小僧がそうだった。


「んー」


 でも、わからない。時代劇の世界だから、普段は善良な町民のふりをして身を隠しているというのもありえる。


「でもなぁ」


 あの先生が?

 なんて首をひねっていると、弥吉がじっと私のことを見ていることに気付いた。


「お嬢様、やっぱり先生のことが気になっているんですね……」

「!」


 私が先生のことを疑っているのがバレてしまったのだろうか。


「え、ち、違うよ。全然、気になってなんかないからね。白浪小僧とか、その」


 思わず口に出してしまった。


「白浪小僧?」


 その話ではなかったのか、弥吉が不思議そうな顔をする。


「あ、もしかして私が先生の怪我を怪我を気にしてるとか、そういうこと?」

「あ、そ、そうです」


 なるほどそういうことだったか、と私が先生を白浪小僧かもしれないと疑っていたことに気付かれていなくてほっとしていると、


「白浪小僧! 昨日また出たんでしょ!?」

「うんうん。瓦版読んだよ」

「昨日もうちには来なかったなー、白浪小僧」


 白浪小僧、という言葉に反応して子どもたちが騒ぎ出していた。

 そういえば、今日はまだ瓦版を読んでいなかった。なにしろ、本物の白浪小僧に会ってしまって、話したりしてしまったんだから、人づての情報なんて聞かなくてもいい。というか、今日もまた寝坊してぎりぎりだったせいで瓦版なんて読んでいる暇がなかった。


「おみっちゃんは瓦版見た?」

「え、私は今日寝坊しちゃって見てないんだー」

「おみっちゃんらしい」


 くすくすと子どもたちが笑う。

 あはーと私も笑ってみせる。今ここで、本当は瓦版なんかよりももっとすごいものを見てしまったとか言いたい。けど、言えない!

 それよりも、と、私はバッと先生の方を見る。

 もし、先生が白浪小僧だったら自分の話なんかされていたら平常心でなんかいられない、はずだ。いつもなら軽く流していても、私の方を気にしているはず。

 と、思ったのだが、


「みなさーん、今は勉学の時間です。おしゃべりの時間ではありませんよ」

「えー」

「はーい」


 なんて、私のことなんか全く見ずに子どもたちに向かって注意を引くようにぽんぽんと手を叩いている。


「私も白浪小僧が出た話は気になりますよ。ですが、それは別の時間にしましょうね」


 先生は白浪小僧のことをまるで他人事のように話す。やっぱり、思い過ごしっぽい。

 会ったと言っても背格好は暗くてわからなかったし、声も覆面の下からだとくぐもっていて本来の声なんかよくわからなかった。布越しに聞くだけで、意外と人の声は変わって聞こえるものだ。ましてや、覆面のせいで顔も全く見えなかった。目の部分はもちろん開いていたけれど陰になっていてよく見えなかった。

 先生に似ていたかと言われれば、わからない、だ。

 ただ、同じところを怪我していたというだけで疑うのもおかしな話だ。きっと偶然だ。

 そういえば、話し方も先生みたいに意外と丁寧だったけれどそれも偶然に違いない。丁寧に話す盗賊だっている、んだと思う。お芝居の役者さんは割と江戸っ子口調だったから不思議に感じただけのことだ。

 うんうん、と私は頷く。

 それから、もう一度確かめるように先生をちらりと見る。

 先生は子どもたちに気付かれないようにか、声を上げないように小さくあくびしていた。

 昨日夜更かししてしまったというのは本当らしい。


「ふぁ」


 お陰で、今度は私の方にあくびがうつってしまった。

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