第10話 今日の豊次さんはトヨさんです
「みなさん、さようなら。また明日、元気出来てくださいね」
「はーい」
「先生さようなら-」
「お美津さん、寄り道はいけませんよ。気を付けて帰ってくださいね」
「はーい」
返事をしておいてから、なんだか昨日誰かに同じことを言われたような気がした。
先生じゃなくて誰か。
誰だっけ? と頭を捻る。
「あ」
「?」
私はじっと先生を見る。
「なにか私の顔に付いていますか?」
「い、いえ、なにも付いてないです。さようならっ」
私は思わず慌ててしまう。今日は先生のことを見過ぎだ。これでは変に思われてしまう。
わたわたしていたら、弥吉が隣から先生に声を掛けた。
「先生、さようなら」
「はい、さようなら。弥吉さん」
「行こうか、弥吉」
「はい。帰りましょう、お嬢様」
私が動揺していることに気付いてくれたのか、弥吉が私の手を握る。
「弥吉?」
「早く行きましょう」
「うん」
「おみっちゃん、またねー」
「またねー」
子どもたちに挨拶されながら、私は弥吉に手を引かれる。
「お嬢様、先生がそんなに気になるんですか?」
「あー」
寺子屋でずっと隣にいる弥吉には、先生を気にしていることを気付かれてしまうらしい。そういえば、さっきも先生のことが気になっているのか聞かれてしまった。白浪小僧かもしれないと疑っていることには気付かれていないみたいだったけど。
「気になるというか、うーん」
上手い言い訳が思いつかない。
「今日はなんとなく見てただけだよ。先生も眠そうだったし、なんか怪我もしてたみたいだったし。ちょっと、気になっちゃって」
「確かに、そうですね。今日の先生の様子は私も気になりました」
「でしょでしょ」
「はい……。それなら、いいんです」
「いいの?」
「あ、は、はい!」
なぜか、弥吉は慌てた様子で返事をする。
とりあえず、白浪小僧のことは気付かれなくてよかった。先生と決まったわけではないし、もし先生だとしたら、きっと正体は隠したいに決まっている。なにしろ、まだ誰も顔を見たいことがない天下の義賊なのだ。私も、もちろん顔を見ることは出来ていない。だけど、あんな風にしゃべったことがあるのは私だけだと思う。
もし先生が白浪小僧だったら、ものすごく意外な人が実は! な感じであまりにも時代劇な展開だ。
「ふふ」
思わず笑いが漏れる。
「お嬢様、どうされたんですか?」
「なんでもないっ」
「む」
秘密にされたのが嫌なのか弥吉がなんだかむくれている。
「あ、そうだ」
私は弥吉と繋いでいる手をほどいて懐を探ると、持ち歩いている飴を取り出した。
「ほら、これあげる。美味しいよ」
「私は、飴が欲しいわけではなくて……」
「はいっ」
ぼそぼそと言っている弥吉の口の中に飴を放り込む。
「あっ。……甘い。美味しいです」
「うんうん」
私は頷いてから、自分の口にも飴を放り込む。甘くて美味しい。
「………子ども扱いしないでください」
「ん?」
飴を食べながら弥吉がもごもごとなにかを言った。
「ふぁんだった?」
「いえ、なんでも……」
「飴が美味しかった?」
「……そう、です」
「じゃあ、帰ったらたえちゃんにもあげるね」
「はい。きっと喜びます」
「じゃあ、早く帰ろう」
今度は私の方から弥吉の手を取って歩き始めた。
いい感じにカラスも鳴いている。
◇ ◇ ◇
家に帰ると、
「美津ちゃん、おかえりなさい」
トヨさんがいた。今日は店の人たちの髪結いをしに来る日だったらしい。
「また髪が崩れちゃってるじゃない。さっそく触らせてもらうわよ」
「お願いしまーす」
日本髪はみんな自分で結っているらしいが、私にはさすがに出来ない。
私が帰ってくる時間がわかっていたのか、トヨさんはすでに私の部屋でスタンバイしていた。弥吉も一緒なので、大体いつも寄り道しないでまっすぐ帰ってくる。ちょっと遅れただけでもおとっつぁんがめちゃくちゃ心配するので、終わったらちゃんと帰って来るというのもある。寄り道していたくらいで、また家から出してもらえなくなった大変だ。心配性すぎるのも困ったものだ。
私が鏡の前に座ると、トヨさんはさっそく私の髪をほどき始めた。
「なにもしてない割には綺麗な髪なのよねー。羨ましいわぁ」
「えへへー。ありがとうございます」
特に自分の手柄ではないのに褒められると照れてしまう。
「さらさらで、黒が濃くていいのよね」
「てへへ」
「若いってことかしらねぇ」
ふう、とトヨさんが羨ましげにため息を吐く。
こうして話していると、トヨさんが男性だということを忘れてしまいそうになる。完全に女性と話しているような感覚だ。
「トヨさんの髪だって綺麗じゃないですか」
「アタシはカツラだもの」
「違いますよ。元の方のことです」
「あら」
私は一応小声でひそひそと言う。
「元の姿のときの髪も艶やかで綺麗だと思います。あと、月代もいつも綺麗に剃っていて素敵ですし」
「かーーーーっ! 嬉しいじゃねぇか! ……あ」
トヨさんが一瞬、豊次さんに戻った。褒められたのが嬉しかったのか、思いのほか大きな声が出てしまったのかトヨさんが照れ隠しのように笑う。
「うふ」
「ふふ」
「しー、ね」
「トヨさんこそですよー」
私たちは顔を見合わせて笑ってしまう。
それから、
「そういえば、トヨさんは白浪小僧を追いかけてるんですか」
再び私は小声で言う。
一応、私の部屋の周りには誰もいないはずだが念のためだ。
「ああ、最近はそうだな。いつ出るかもわからないから大変だぜ。なかなか休みも取れねんだ」
「わあ、それなのにうちにまで来てもらっちゃって」
「そっちの仕事は夜だからいいんだよ」
豊次さんは軽く言ってくれる。
「だったらいいんですけど、無理しないでくださいね」
「はいよ」
「あ、でも、来なくなるのは困るかも、です。私、トヨさんじゃないと嫌なんで」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
「だって、トヨさん上手いから」
「ふふ」
それに、私はどちらかというと現代でも美容院をあまり変えない方だった。自分のことをよくわかってくれている人の方が安心する。美容師さんが変わったら、また最初からどういう髪型が好きかとか伝えなければいけない。
それに、
「トヨさん、私がなにも言わなくてもいつも素敵に仕上げてくれるから」
「それはよかったわ」
「私、そういうの疎くてどういう髪型がいいとかわからないから」
という、事情もあるのだった。
他の髪結いの人が来て細かく伝えなければいけなかったりしたら困る。
「全く年頃なのにしょうがないわね」
そう言いながらも、トヨさんは笑っている。
さっきは豊次さんだったのに、髪を触っているときはトヨさんの口調になるようだ。変わり身がすごい。
「って、そういやぁ」
こっちの口調は豊次さんだ。
「昨日の夜、白浪小僧を追っている途中で年頃の女を見かけたってやつがいたらしいんだけどよ」
「!」
私はぎくりと身体を硬直させてしまう。
「最近物騒だからな。悪いこと言わねえから、おめぇは夜にふらふら出歩いたりするなよ。危ねぇからな」
「は、はい!」
「もしかして、嬢ちゃん。おめぇじゃねぇよな」
「あは、あはははは。まさかー、私なわけないじゃないですかー」
「そうだよな。けどよ、おめぇは危険なところでも突っ込んでいきそうで危なっかしいんだよなぁ」
確かに、私には前科がある。
が、さすがに昨日のことで私だとはバレていないようだ。私の顔を知っている人じゃなくてよかった。もし私だとバレて、おとっつぁんにでも言われたら、こっそり夜に抜け出すことすら出来なくなってしまう。それどころか昼にすら出してもらえなくなりそうだ。それは困る。
「あんまり危ないことはするんじゃねぇぞ」
「はーい」
実はそれは私で、しかも豊次さんが追っている白浪小僧と一緒にいたなんて絶対に言えない。
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