第14話 白浪小僧がそんなことするわけがないっ!
「家まで送りましょうか?」
蕎麦を食べ終わった後、先生はそう申し出てくれた。
「そんな、方向なんて全然違うのに、いいですよ」
おとっつぁんが手を左右に振って断る。
「私では頼りになりませんかね」
「いえいえ、先生にそこまでしていただくなんて」
先生が本当に頼りなさそうに笑っている。
「むしろ、おとっつぁんが先生を送っていったほうがいいのかな?」
「これ」
私がぽろりとこぼしてしまうと、おとっつぁんにたしなめられた。どちらかといえば、先生のほうが守られるほうに見えてしまう。
実は白波小僧だった、というフィルターを外して見ると先生はいかにも文系で弱々しいのだ。
「あの、本当に不安だったら送っていきましょうか? 白波小僧も出たようですし、夜道は危ないですから」
おとっつぁんも私と同じことを思ったのか、結局申し出ている。
「そんなに弱そうに見えますかね。私でもお二人を家まで送るくらいは出来ると思ったのですが」
あはは、と先生がいつもの穏やかな顔で笑う。
「あ、いえ、そんなつもりじゃ」
おとっつぁんが困ってしまっている。気持ちはわかる。
「大丈夫です。荒事は苦手ですが、逃げ足は速いんですよ。さ、私が送ります。人数は多い方がきっと安心ですから」
「いえ、そんな……。すぐそこですし」
まだ断ろうとしているおとっつぁんだったが、結局先生に押し切られて送ってもらうことになってしまった。
意外と押しは強い先生なのであった。
本当に蕎麦の屋台は目と鼻の先だったので、すぐに大黒屋には着いてしまったわけだが。
大黒屋に着くと、先生はにこにこ笑って言った。
「じゃ、ここで。お美津さん、また明日」
「先生も気を付けてくださいね」
「では、おやすみなさい」
「先生も本当にお気を付けて。送っていただいてすみません」
「いえいえ、いいんですよ」
そうして、先生は帰っていった。
「本当に大丈夫かね。誰かつければよかっただろうか」
おとっつぁんが先生のことを心配している。
「でも、逃げ足は速いって言ってたし」
「そうだね。だけど、今日はやけに騒がしいね」
「うーん」
おとっつぁんの言う通り、今日はまだ捕り物の声が響いている。まだ少し早い時間だからだろうか。いつもなら白波小僧はすぐにどこかに消えてしまうので、捕り物は割と早めに打ち切られることが多い。今日はまだ騒がしい。
どうしたんだろう。
「とりあえず家に入ろう。明日も寺子屋だろう? 早く寝ないと勉強にも身が入らないといけないからね」
「はーい」
せっかくなら何が起きているのか見に行きたいけれど、おとっつぁんが私を家に入るように促す。ここから走って見に行くのは、さすがに無理そうだ。
私は諦めて家の中に入ることにした。
再び白波小僧に会うことは出来なかったけれど、夜泣きそばを食べることは出来たし、捕り物のために走っている人たちも見られた。
意外と楽しい夜だった。
だから、今日はこれで満足だ。
何があったかは、きっと明日の瓦版にでも出るだろう。
◇ ◇ ◇
「おい、美津ー!」
「むにゃ」
私の名前を呼ぶ声で、目を覚ました。
「んあー、あと五分……」
「美津様っ」
枕元で雪ちゃんの声がした。
「ひぇっ、もう寺子屋の時間?」
「いえ、そうではなくて、若旦那がいらっしゃっていて」
「清太郎がこんな時間に? まだ朝だよー」
「はい、そうなのですが、美津様を出せとおっしゃって」
どうやらさっき私を呼んでいたのは清太郎だったらしい。一体、こんな朝っぱらからなんなんだろう。
「てーへんなんだよ!」
「ふぁっ!」
清太郎の叫びに私はびくんと反応した。
これは、事件の香り!
時代劇でよくある、事件があったときに転がり込んでくる子分とかが言う台詞だ。これは、すぐに行かねばならない。
私はがばりと起き上がった。そして、そのまま部屋を出ていこうとすると、
「美津様! 着替えてくださいっ! 寝巻のままですよー!」
全力で雪ちゃんに止められた。
別に何も来ていないわけでもないし、白いけど浴衣みたいなものだ。これで清太郎に会っても何も問題は無いと思うのだが、雪ちゃんは必死で止めてくる。
「早く行かないとっ! きっと大変なことが起こったんだよっ!」
「駄目ですっ! そんな格好で殿方の前に出る方が大変ですよ!」
「えー」
「おーい! 美津ー!」
「ほらー、清太郎も呼んでるし」
「いけませんっ」
「はーい」
同い年くらいのはずなのに、雪ちゃんはしっかりしている。
私は急いで着替えて清太郎のところへ向かった。
昨日もちょっぴり夜更かししていて眠いはずだったのだが、そんなものは吹っ飛んでしまった。
清太郎のあの言い方、時代劇的には絶対に大事件だ。
いた。清太郎だ。まだ店の方の入り口が開いていないから、裏の家の方の入り口で待っていた。
「おはよう、清太郎!」
「おはようじゃねぇよ。やっと来たな、美津」
待ちくたびれたように清太郎が言った。
「ごめんごめん、まだ寝てた。で、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもねぇって、朝起きたら奉公人たちが騒いでたからよ。話を聞いてみたんだよ」
「うんうん」
「そうしたらよ」
「そうしたら?」
そこで、清太郎が一度止まってしまう。
「え、どうしたの? せっかくこんな時間に来たくらいなんだからすごいことがあったんだよね」
「まあな。お前に一番に伝えないといけないと思ってすっ飛んで来たんだけどよ」
「おお、ありがとう。で?」
「いざ、伝えるとなると、な」
「どうしたんですか?」
「わっ」
ひょっこりと顔を出したのは、弥吉だ。
「あ、弥吉。おはよう」
「おはようございます。騒がしいと思って来てみたのですが、今日はもう起きられたのですね、お嬢様」
「えっへん、じゃなくて。清太郎がなにか伝えたいことがあるらしくて朝から来てくれたんだよ」
「そうでしたか。おはようございます。こんな朝からなんの御用でしょうか」
一応、弥吉が清太郎に頭を下げている。が、
「朝から来ちゃいけねぇってのかよ」
「いえ、そういうことでは」
なぜかケンカ腰になってしまっている。
「そんなことよりだ!」
清太郎がムキになっているように言った。
「だから、大変なんだよ! 白浪小僧が、とうとうやりやがった」
「白浪小僧が?」
「そうなんだよ。昨夜、あったんらしいんだけどよ」
「昨夜? そういえば、白浪小僧また出てたね」
「って、もう知ってるのか?」
「え、知ってるってなにを? 私は昨日おとっつぁんと一緒に夜鳴き蕎麦を食べに行ってたから、騒ぎがあったことだけは知ってるけど」
「は!? 夜鳴き蕎麦!? 美津。お、お前、昨日の夜、外に出てたのかよ!」
「え、うん。お蕎麦美味しかったよ」
「だー! そんなこと言ってるんじゃねぇよ。無事なのか!?」
私は今ここに何事も無く立っているというのに、なんだか清太郎は混乱しているようだ。
「いや、無事もなにも、今ここにちゃんといるって。怪我もなにもしてないし」
「あ、そ、そうか……」
確認するように私を眺め回してから、清太郎がほっとしたように大きく息を吐いた。
「よかった」
清太郎はそう言って、私の両肩をぽんぽんと叩く。
「うん、無事だな」
「無事だよ」
なにがなんだかわからない。
「あのな……」
「うん」
「昨日の夜な、殺しがあったんだよ」
「へ」
「しかもな」
「うん」
「犯人はあの白浪小僧だってんだよ」
「は?」
今度こそ、なにがなんだか、もっとわからない。
「えっと?」
「今日の朝、奉公人の一人がアサリ売りの棒手振りに聞いたって店中で噂になってたんだ。それで、俺もそいつに聞いて、いてもたってもいられなくなっちまってよ」
「それで、私のところに?」
「ああ、美津。白浪小僧に熱を上げてただろ。だから、その、他のやつらから聞いちまうよりは、俺の口から伝えたいと思って、だな」
「白浪小僧が……?」
「いや、まだ決まったわけじゃないけどよ。こいつはまた江戸中の噂になると思うぜ」
「まさか、そんな」
義賊の白浪小僧がそんなことをするはずがない。
たとえ、その正体が先生ではなかったとしても。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます