第13話 白浪小僧が出たぞ!?

「寺子屋での美津の様子はどうですか?」

「とても元気ですよ」


 にこにこと先生が答える。

 なんというか、これ、小学生の個人面談だ。私、一応、高校生なんですけど。


「子どもたちとも、とても仲良しです。面倒を見てくれているというより、普通に遊んでいますね。以前に通っていたというお美津さんが合わないところは、よほど楽しくない寺子屋だったのでしょうね」


 あはは、と先生が笑う。

 それから、付け足した。


「ああ、もちろん勉強の方もしっかりとやっていますよ」


 その言葉におとっつぁんは安堵のため息をついている。

 私、勉強していないと思われていたんだろうか。


「なかなか個性的な字を書きますしね。見ていて面白いです」

「……そうですか」


 なんか、おとっつぁんが複雑そうな顔をしてる。


「とにかく、お美津さんはしっかりとやっているので大丈夫ですよ」


 先生は相変わらずにこにこと笑っている。


「以前のように人と上手く付き合えなかったり、勉強もしないよりはいいのだろうか。そうだな。うん。元気なことはいいことだ」


 うんうん、とおとっつぁんが頷いて無理矢理自分を納得させようとしている。ように見える。


「いいことだと思いますよ。それに、勉強に対する意欲は本当にありますしね」

「本当ですか?」

「ええ」


 おとっつぁんが先生の方に乗り出したので、先生がちょっと引いている。

 私としても勉強に対する意欲は、もちろんあるつもりだ。せっかくおとっつぁんが私を通わせてくれているのだから、というか時代劇の中の寺子屋に通えているいうことが楽しすぎるだけというか。


「いいおとっつぁんですね、お美津さん」

「え、えへへ」


 引いているかと思ったら、先生に突然言われて私は照れ笑いをする。


「こんなにお美津さんのことを考えてくれるなんて」

「ええ、早くに妻を亡くしているものでしてね。男一人で上手く育てられているか不安で」


 今度はおとっつぁんが照れ笑いをしている。例によって、怖い顔だけど私にはわかる。先生も、にこやかにしているからわかってくれているのだろうか。


「そうでしたか、私も母はいませんので同じですね」

「え」


 思わず声を上げてしまった私に、先生は微笑む。


「私の父は職人でしてね。父は寺子屋に通ったことがなかったそうです。それで、自分に学がないからと言って、私には学をつけさせたいと寺子屋に通わせてくれたんです。もう、その父もいませんが」

「そう、だったんですか」


 おとっつぁんが、すまなそうにしている。私もちょっとしんみりしてしまった。先生はまだ二十代くらいに見えるから、親が二人ともいないのはまだ早いと思う。

 私もおっかさんはいないけれど、先生は片方じゃなくて、二人とも、だ。

 転生する前の両親にはもう会えないだろうけれど、それは言ってもややこしくなるだけなので、カウントしないでおく。

 それと、弥吉も二人とも親がいない。先生が時々、弥吉のことを気に掛けているように見えるのは最初におとっつぁんが事情を話したからなのかもしれない。


「すみません。こんな話をして」

「いえ、私の方こそ」


 おとっつぁんが言うと、先生は首を振った。こちらに気を使ってくれているようだ。


「それで、勉強するのが好きになって寺子屋の先生になったんですか?」

「そうですね」


 私が聞くと先生が微笑んだ。


「それなら、頑張って寺子屋に通わせてくれた先生のおとっつぁんも、きっと喜んでくれてますね」

「ええ、きっと」


 先生が再び微笑む。

 そのとき、


「へい、お待ち!」

「おお、来ましたね。いただきます」


 先生の分の蕎麦が着丼した。

 先生はいそいそと食べ始める。

 それで、話は打ち切られた。

 今の話を聞いていると、先生が白浪小僧だとは思えなくなってしまう。先生は、白浪小僧よりも、寺子屋の先生をしているのがすごく合っていると思った。

 もし、先生が白浪小僧だったとしても私にこんなところで会った時点で、今日の仕事は諦めてしまったという可能性はある。

 今日はもう、夜鳴き蕎麦を食べられただけでもよしとしよう。

 それなら、お蕎麦を美味しくいただかなくては。


「おとっつぁんも、蕎麦、冷めちゃうよ」

「そう、だな」


 そこからは、蕎麦すすりタイムに突入した。

 夜の江戸の町に蕎麦をすする音が響く。

 平和すぎる。この前のように捕り方たちも走っていない。『御用だ御用だ』の声も聞こえない。

 が、そんな時間は続かなかった。

 夜の静寂を破るように、闇を切り裂く笛の音が響く。


「ぷえっ!?」


 私は驚いて蕎麦の丼から顔を上げた。

 この音は知っている。時代劇でよく聞くやつだ。あの甲高い笛の音は、時代劇で聞いたことがある。盗賊が出たり、事件が起こったりすると鳴るやつだ。

 なにか事件が起こったのだろうか。

 白浪小僧(推定)はここにいる。だから、なにかが起こったのならそれは白浪小僧以外の事件のはずだ。

 先生も蕎麦を食べる手を止めて、音がした方を見ている。

 そして、聞こえてきたのは、


「白浪小僧が出たぞー!」


 という叫び声だった。


「え?」


 私は思わず間抜けな声を出してしまう。

 そんなはずがない。それとも、本当に人違いだったのか……。

 私は先生を見る。先生は声がした方を向いている。

 あの声が聞こえてくる。


「御用だ! 御用だ!」


 声が近付いてくる。向こうから明かりがやってくる。

 私が身を乗り出そうとすると、


「動かないでください。危ないですよ」


 先生がのれんの中から出ないように私を制した。


「そうだ美津。隠れていなさい」


 そこに更におとっつぁんが私を抱えるように引き寄せる。


「やはり、夜に連れ出したりなんかするんじゃなかった……」


 おとっつぁんがぶつぶつと呟いている。

 屋台の店主は姿が見えない。どうやらしゃがんで隠れているようだ。

 足音が近くまで来た。

 そして、なんだか聞き覚えのある声がした。


「どこへ行きやがった、白浪小僧!」

「ん? この声……」


 私は思わずひょっこりと顔を出してしまった。


「こ、これ、美津っ!」


 目の前を通っていく、御用提灯を持った捕り方と同心、それに岡っ引きたち。その中にいたのは、


「豊次さん!」


 岡っ引きの姿をした豊次さんだった。


「嬢ちゃんじゃねぇか。こんなところでなにしてんでぃ」


 豊次さんは目を丸くして立ち止まる。


「危ないから出歩くなって言ったじゃねぇか」

「申し訳ありません。私が甘いせいで」


 私が何か言う前におとっつぁんが頭を下げる。


「これは、大黒屋の旦那! 二人で夜鳴き蕎麦ですかぃ?」

「ええ、美津がどうしても蕎麦が食べたいと言うもので」

「そりゃあ……」


 豊次さんが疑いのまなざしで私を見ている。白浪小僧を見たくて蕎麦を口実にしたことを見抜かれているに違いない。


「あはは、お蕎麦美味しいです」


 私は誤魔化すように笑う。


「おめぇってやつは……」


 豊次さんはがっくりと肩を落としている。

 そこに、


「こちらの方は?」


 先生が豊次さんを見て私に聞いた。

 先生と豊次さんはもちろんだけど面識が無い。接点が無いのだから当たり前だ。

 初対面の豊次さんのことをどう紹介していいやらわからなくて、


「ええと、こちら岡っ引きの豊次さんです」


 無難な紹介になってしまった。

 なにしろ、詳しく説明するわけにはいかない。

 実はオネエさんとして岡っ引きのお仕事のために情報収集のために廻り髪結いをしているのは秘密だし、捕まって殺されかけたときに助けられたなんて言ったら何事があったんだとか思われてしまう。

 というわけで、色々お世話になっている人だが、あまりおおっぴらに言えない。


「お美津さんにそんな知り合いがいらしたんですね」


 先生がなんだか不思議そうな顔をしている。それはそうだろう。大店のお嬢様に岡っ引きの知り合いがいるなんて普通無いと思う。多分。


「で、そっちは?」


 今度は豊次さんが先生を見て尋ねてくる。確かに、片方だけ紹介するのも変だ。


「私の寺子屋の先生です」

「へぇ」


 豊次さんが先生をじっと見た。

 二人の目が合う。先生はにこりと笑った。豊次さんも白い歯を見せて笑う。

 岡っ引きで江戸っ子な豊次さんと、知的で穏やかな先生。対照的な二人だなと思う。

 先生もそう思っていたようだ。


「岡っ引きなんてすごいですね。私は、荒事はからっきしでして」


 先生が謙遜するように言った。


「そいつぁ、向き不向きがあるからな。しかたねぇ」


 からからと豊次さんが笑う。とか言いながら、髪結いも出来てしまう豊次さんはすごい。と、言いたいけれど正体がばれることになるので今は言えない。


「そうですね」


 ふふ、と先生が笑う。


「お役目、大丈夫ですか? 他の方はもう行かれてしまったようですけれど」

「おっといけねぇ。こんなところで油を売ってると旦那に叱られちまう」


 先生に言われた豊次さんはへへっと笑って、


「じゃ、失礼しやす。またな、嬢ちゃん!」


 たっと威勢良く走っていった。


「お役目、ご苦労様でございます」


 おとっつぁんがその姿を見送る。

 先生は、豊次さんの走って行った先をじっと見ている。そして、その上の空を見る。


「お月さんでも浮かんでます?」


 私が聞くと、


「いえ、屋根の上に白浪小僧でも走っていないかと思いましてね」


 先生が微笑みながら答えた。


「一体、何者なんでしょうね」


 先生が夜の町を見ながら呟いた。

 それはこっちのセリフだ。てっきり私は先生のことを白波小僧だと思っていた。だけど、先生と一緒にいるときに白波小僧が出たなら、別人ということだ。


「本当に、白波小僧ってどんな人なんですかね」


 先生の言葉に答えるように私は言う。

 先生が白波小僧だったら面白いな、なんて思っていたけれどどうやら勘違いしていただけらしい。時代劇だからといって、そこまで都合のいい話ではなかったみたいだ。

 しかも、先生は自分でも荒事が苦手とかさっき言っていた。白波小僧は軽々と千両箱を担いで屋根の上を走るようなすごい身体能力を持っている。

 そこから考えても先生が白波小僧なわけがない。


「私、ちょっと勘違いしちゃってました」

「なにがです?」

「あ、いえいえ。なんでもないです」


 思わず口に出してしまって、私は笑って誤魔化す。


「美津、蕎麦を食べたら急いで帰るよ」

「はーい」


 残して帰ると言い出さないあたりが、私のおとっつぁんだなと思う。こっちきてから家族になっただけなのになんでその辺、似てるんだろう。


「ああ、慌てて食べなくていいんだよ。のどに詰まったら大変だからね」

「はーい」


 私とおとっつぁんのやりとりを、先生が微笑ましそうに目を細めて見ている。

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