第12話 出陣前のあの人が!?

「おとっつぁん! 早く早くー!」


 もういくつ寝ると夜鳴き蕎麦。一つ寝たら、だった。

 が、昨日の夜に抜け出そうとしていた私にしたら待ちくたびれている。


「ちょっと待っておくれよ」


 おとっつぁんは羽織に腕を通して出掛ける支度をしている。待ちきれなくて、おとっつぁんの部屋まで呼びに来てしまった。

 ちなみにさすがに草木も眠る丑三つ時、とはいかない。

 普通にまだ奉公人も普通に起きている時間だ。弥吉は子どもだから、多分もう寝ている。寝る子は育つ。


「旦那様、本当にお供しなくてもいいのですか?」


 私がどたどた走っているのを聞きつけてやってきた政七さんが、心配そうにおとっつぁんに声を掛けている。


「ああ、すぐそこだから心配ないよ。今日はもうゆっくり休んでおくれ」

「旦那様がそのようにおっしゃられるなら」


 と、言いつつやっぱり二人で行かせるのは不安そうだ。


「大丈夫、大丈夫。本当にすぐそこなんだから」


 私も安心させるように微笑んでみせる。

 おとっつぁんだけでも白浪小僧が逃げていきそうだというのに、あまり人が増えると出てこなくなってしまうかもしれない。


「では、私は休ませていただきます。気を付けていってらっしゃいませ」

「はーい」

「行ってくるよ」


 そうして、私はようやく夜の町に繰り出すことが出来たのだった。


「お蕎麦、楽しみだねー」

「ああ」


 隣を歩くおとっつぁんがにこにこしている。私と一緒に夜鳴き蕎麦を食べに行くのが嬉しいみたいだ。

 私も白浪小僧のことは抜きにしても、夜鳴き蕎麦が楽しみになってきた。

 しかし、夜の江戸の町は本当にがらんとしている。この立ち並ぶ商店の中に誰も住んでいないような気がしてしまう。そこがまた時代劇っぽさに拍車を掛けていて、ファンとしては嬉しくもある。


「おお、あれかな」


 おとっつぁんが声を上げた。

 暗い江戸の町の中に急に明かりが見える。


「わ、本当にいた!」


 この前、一人で抜け出したときにはなかった。

 時代劇の中でよく見る夜鳴き蕎麦の屋台だ。

 これは、思った以上にわくわくする。あんなところで蕎麦なんて食べたら、自分が仕事人にでもなったような気分になれそうだ。

 テンションが上がりまくった私が走り出そうとすると、


「これこれ、慌てて走ると転んでしまうよ」


 おとっつぁんが後ろから心配そうに声を掛けてくる。


「はーい。って、わっ」

「ほら、言ったそばから」


 道に落ちていた石につまずいて転びそうになった私を、おとっつぁんがため息を吐きながら支えてくれた。


「えへへー、楽しみすぎて焦っちゃった」

「しょうがないなあ」


 呆れたようにおとっつぁんが笑っている。

 そんなこんなでようやく夜鳴き蕎麦の屋台に到着する。

 すると、


「らっしゃい」


 屋台の店主から声を掛けられた。


「こんばんはー」

「おう、若い嬢ちゃんが来るなんて珍しいじゃねぇか」


 私が挨拶をすると、屋台の店主が私を見て目を丸くした。


「どうも」


 おとっつぁんがのれんをくぐって頭を下げる。


「この子が一度屋台で蕎麦を食べてみたいと言って聞きませんのでね。連れてきたのですよ」

「そういうことでしたか。若いお嬢ちゃんがわざわざこんなところまで嬉しいねぇ。さあさ、どうぞどうぞ。食べていっておくんなせぇ」

「じゃ、蕎麦二つ」

「はいよっ」


 威勢よく答えると、屋台の店主はちゃきちゃきと蕎麦を作り始める。

 私は周りを見渡す。

 誰もいない夜の町に、そば屋の屋台だけが明るい。客は私とおとっつぁんだけだ。


「やっぱり、白浪小僧が出るからみんな出歩いてないのかな」

「白浪小僧が出てからというもの商売あがったりですわ」


 私が呟くと、屋台の店主が困ったような声で答えた。


「大変ですな」

「いえいえ。今日はお客さんたちが来てくれただけで、ありがたいってもんでさ」

「それはよかった」

「はい、お待ちっ」

「おおっ」


 話しながらも手を動かしていたようで、私たちの前に蕎麦のどんぶりが置かれる。


「これが、あの蕎麦……」


 思わず、じーんとしてしまう。テレビの中でしか見られなかったあの蕎麦を、しかもあの屋台で食べることが出来るなんて。


「いただきまーす」

「いただきます」

「うん。美味しい」


 普通に蕎麦だ。

 だけど、ここで食べることに価値がある。

 時代劇の世界で食べる夜鳴き蕎麦、プライスレス。


「よかったな」

「うん!」


 夢中で食べていると、おとっつぁんが笑みを浮かべながら私のことを見ていた。


「私もこういうところで食べるのは初めてだなぁ」

「そうなんだ」

「あまり夜には出歩かないからねぇ」


 そう言われればそうだ。

 この世界の人はみんな夜にぶらぶらしたりしないから、江戸の町の夜はがらんとしているのだろうか。

 そんなことを思って蕎麦をすすっていると、誰かがのれんをくぐってやってきた。


「らっしゃい!」

「おや?」

「……!」


 やってきた人物の顔を見て、私は蕎麦を吹き出すかと思った。

 というか、当初の目的を忘れていた。ちょっぴりだ。完全に忘れていたわけじゃない。夜鳴き蕎麦に、完全に心を奪われていたとか言えない。


「お美津さんじゃないですか。奇遇ですね」

「……先生!」

「先生、こんなところでお会いするとは」

「おや、お父上もご一緒でしたか」

「こんばんは。ほら、美津も」

「こ、こんばんは……」


 探していた白浪小僧(仮)が、まさか本人の方から現れるとは思わなかった。しかも、白浪小僧じゃなくていつもの姿で。


「ここ、いいですか?」

「は、はい。もちろん」


 立ち食いで席はないが、先生はわざわざ断って私の隣に立つ。


「せ、先生はこんなところで、どうしたんですか?」


 驚きすぎて、うまく言葉が出てこない。


「私ですか? 少し小腹が空きましたのでね。夜鳴き蕎麦でも、と思って出てきたんですよ」


 先生はいつもの笑顔で微笑む。それが嘘なのか本当なのかいまいちよくわからない。本当は白浪小僧として仕事をするための腹ごしらえなんじゃないだろうかと思ってしまう。それとも、まずは今夜の様子を調べるために偵察だろうか。

 私がもやもやと考えていると、おとっつぁんが言った。


「私は、この子がどうしても夜鳴き蕎麦が食べたいというものでしてね。一人では危ないので一緒に着いてきたんですよ。言い出したら聞かないもので」

「お美津さんらしいですね」

「いつも先生にもお世話を掛けまして」

「いえいえ、こちらこそ」


 おとっつぁんと先生がぺこぺこと二人で頭を下げ始める。

 こういう大人同士が挨拶しているときは、子どもは何をしていればいいのかわからない。それは私が元いた現代の世界でも、こっちの時代劇の世界でも同じらしい。

 話に入ってもいいのかわからずに再び蕎麦をすすることにする。が、寺子屋の先生だから当たり前に話は私のことになる。私を挟んで、先生とおとっつぁんが話しているので話はめちゃくちゃよく聞こえる。


「お美津さんは面白いお嬢さんですね。なんだか、こう、のびのびとしているところがいいというか」

「のびのび、ですか」

「はい。見ていて楽しいです」

「楽しい、ですか」


 なんだか、おとっつぁんはちょっと呆れているように見える。なんでだ。楽しくていいじゃないか。


「あ、私にもお蕎麦を一杯いただけますか?」

「あいよ!」


 先生が声を掛けると、ずっと注文を待っていたのか屋台の店主が威勢よく答えた。


「本当にすみませんね。今まで、外で手習いもしたことがない箱入り娘だったものですから。ああ、昔、寺子屋に行かせようとしたことがあったのですが、合わなかったのかすぐにやめると言い出しまして。それからこの歳になるまで行っていなかったもので」

「そうなんですか」


 先生が少し驚いた顔をする。

 私も、それは初めて知った。だって、元の私のことをを、今の私はよく知らない。

確かに、元の私はすごくわがままなお嬢様だったらしいから寺子屋なんて行っても合わなかったのかもしれない。

 ふんふん、と他人事のように私は頷いた。

 なんだか家庭訪問というか、個人懇談みたいになってきた。

 こうしてあまりにも先生しているところを見ていると、全然白浪小僧には見えない。私の勘違いだっただろうか。これから仕事だと慌てている様子もない。

 なんだか拍子抜けというか、先生が実は! とかだったら面白いと思っていたから残念だ。

 けれど、油断させておいてというのもあり得る。

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