第15話 江戸の町に噂が走る

「どこも白浪小僧の話題で持ちきりだな」


 寺子屋への道を歩きながら、清太郎が言った。私があまりにもショックを受けてへろへろなので、心配でついてくると言って送ってくれているのだ。


「でも、昨日お嬢様が無事でよかったです。まさか、白浪小僧が……」


 もちろん、弥吉も一緒だ。だから、大丈夫だと清太郎に言ったのだけれどついてきてくれた。どうやら、自分が白浪小僧のことを伝えたことで私が落ち込んでしまったことに責任を感じているらしい。


「すまねぇな。朝一でひどいこと伝えちまって」

「もし、清太郎が先に言ってくれてなかったら、この騒ぎ見てもっと動揺しちゃってたかも。だから、ありがと」

「それならいいけどよ」


 今朝の江戸の町は大騒ぎだ。


「てーへんだてーへんだ。あの天下の義賊、白浪小僧が押し込みだよ! しかも、殺しまでやりやがった。こいつぁ一大事だ。詳しいことはこの瓦版に書いてあるから買っとくれ!」

「こっちに一枚おくれ!」

「俺にもくれ!」


 瓦版屋には人が押し寄せている。


「まだそんなに詳しいことなんかわかってねぇだろうからな。あんなもんいい加減だと思うぞ」


 清太郎は瓦版屋に殺到している人たちを見て、ぼそりとこぼす。確かに、こういうときの瓦版は面白おかしくあることないこと書いてあることが多い。それはそれで気になってはしまうのだが。

 瓦版に限らず、道の端では町人たちがみんな白浪小僧のことを話している。

 当たり前だ。

 昨日までは貧しい人を救う正義の味方だと思っていた白浪小僧が、人を殺してしまったのだから。


「しかし、なんで白浪小僧だとすぐにわかったんだよ」


 近くの町人が話している声に私は聞き耳を立てる。確かに言われてみればそうだ。どうしてすぐに白浪小僧の仕業だとわかったのだろうか。別の盗賊だという可能性もある。


「それが、捕り物中にわざわざ挑発するように姿を見せたってんだよ。その姿がいつもの白浪小僧だったらしいぜ。黒装束で口まで覆う頭巾を被ってるんだってな」

「ほー、自分がやったと知らせたかったのかねぇ」

「なるほど」

「おわっ! なんだおめぇ」


 私は思わず、ずいっと二人の男性の間に入ってしまっていた。


「すいやせん。お騒がせしました。ほら、行くぞ」

「なんなんだよ、一体」


 清太郎がいぶかしむように私を見ている男性たちから私を引き離す。


「ごめんごめん。気になっちゃって」

「それはわかるけどよ。知らない人の話に入るのはやめとけ」

「はーい」


 返事をしながら頭では白浪小僧のことを考える。

 確かに、私が見た白浪小僧も男性たちが言っていたとおりの格好をしていた。

 うなりながら先に進むと、今度は道ばたで女性たちが話をしていた。


「わたしゃ信じられないよ、あの白浪小僧が殺しなんて」

「何かの間違いよね」

「そうだそうだ!」

「だから、勝手に知らない人の話に入るなって!」

「あんたもそう思うかい」

「ええ、これはなにかの間違いですよ!」

「あのー、お嬢様。寺子屋に遅れますよ」

「え、もうそんな時間」

「あら、そうなの? ほらほら、急ぎなさいよ」

「はーい!」

「お前、知らない人にまで心配されるなよ……」

「えへへ」


 白浪小僧の話が気になるのだから仕方ない。




◇ ◇ ◇




 寺子屋でも白浪小僧の話題で持ちきりだった。私も寺子屋に着くと、すぐに話しかけられた。

 ちなみに清太郎は心配そうにしながら帰って行った。さすがに寺子屋の中まではついてくるわけにいかない。


「あ、おみっちゃん! 大変だよ、白浪小僧が!」

「知ってるよ。町中その噂でいっぱいだからね」

「だよね」

「私、驚いちゃった。でも、白浪小僧がそんなことするわけないよね、おみっちゃん」

「うん! 白浪小僧は正義の盗賊だからねっ!」


 私は力一杯答える。

 子どもたちはまだ白浪小僧のことを信じている。

 私も白浪小僧のことを信じたい。あの時、会った白浪小僧は人を殺すような人には見えなかった。普通に話が出来る人だった。それに、私に気を付けて帰るように、なんて言ってくれた優しい人だ。

 さすがに傷に巻いた手ぬぐいを返してくれたりはしていないが、私のことをなにも知らないのだから仕方ない。あれはあげたつもりでいる。


「みなさん、白浪小僧の話ですか?」


 先生がやってきた。


「先生。おはようございますー」

「はい、おはようございます」

「お美津さん、昨日は無事に帰れたようですね」

「あ、先生。おはようございます。昨日はどうも」

「朝になって知ったのですが、あんな事件があって驚きましたよ。もし、お美津さんになにかあったらと心配していたんですよ」

「先生も無事でよかったです」

「はい、おかげさまで」


 白浪小僧のことで頭がいっぱいだったけれど、そういえば先生は昨日一人で歩いて帰っていたんだった。忘れていた。先生、ごめんなさい。


「えー、なんの話?」

「あー、ちょっとね。昨日お蕎麦屋さんで先生にばったり会ったの。その話」

「そうそう、そうです」


 先生もこくこくと頷く。

 まさか子どもたちの前で夜に出歩いていたとか言えない。しかも、殺しがあった昨日の夜になんてなおさらだ。

 先生も私が無事かどうかが気になってそこまで頭が回らなかったようだ。


「ありがとうございます」


 ひそひそと私の耳元で先生が言った。


「なになにー、お蕎麦そんなに美味しかったの?」

「いーないーなー」


 私と先生が内緒話で蕎麦のことを話しているとでも思ったのか、子どもたちが目を輝かせている。きっと夜鳴き蕎麦ではなく、その辺の蕎麦屋だと思われている。

 私が夜に出歩いていたと知っている弥吉は、隣で苦笑いしている。


「私もお蕎麦食べに行きたいな」

「どこの店?」

「あー、えっと……」


 夜鳴き蕎麦の屋台とか絶対言えない。この子たちまで夜に出歩くとか言い出したら大変だ。さすがに真似なんかさせられない。それくらいの常識は私にもある。


「どこでしたっけね」


 先生がすっとぼける。


「先生、昨日のことなのにー」


 あははと子どもたちが笑う。


「どこでしたっけねー」


 私もとぼけてみせた。


「えー、おみっちゃんまでー?」

「白浪小僧のことでびっくりして、忘れちゃった」


 てへへ、と私は誤魔化すように笑う。


「そっかー、でも本当にびっくりしたもんね」

「本当だね」

「頭からふっとんじゃうよね」


 いつもなら、こんな誤魔化し方なんか通用しないと思うのだけれど、今日はみんな納得してくれたようだ。

 白浪小僧様々というか、なんというか。

 そもそも白浪小僧が殺しなんかしなかったら、別に言い訳なんかしなくてもよかったような気もするのだが。

 でも、子どもたちが自分たちもと夜中に出歩いて何かあったら困る。

 まあ、多分、先生から見たら私も同じようなものなのかもしれないけれど……。先生から見たら、私も生徒の一人だし。


「とにかく、みなさん。危ないところには行かないようにしてくださいね。先生との約束ですよ。お美津さんも」

「はーい」


 やっぱり、想像していたとおりの感じで思われていたようだ。


「では、今日もがんばりましょうね」

「はーい」


 そんなこんなで、いつものように寺子屋の一日は始まったのだけれど、なんだか今日はみんな落ち着かない様子だった。

 というか、私が落ち着かないから周りがそう見えてしまうだけだろうか。ここに来るまでだって、朝だというのに町中騒ぎになっていたから、私だけではないと思うけど。


「はぁ」


 思わずため息も出てしまうというものだ。

 義賊だと思っていた白浪小僧が人殺しをしてしまうなんて、やっぱりすぐには信じられない。なにか訳があって、やったということも考えられる。反撃されてうっかり刺してしまったとか、追い詰められてどうしようもなくやってしまったとか。

 それなら、現代なら正当防衛ということになる。だったら、白浪小僧が殺人を起こした理由としてもおかしくはない。きっと、そうだ。そうに違いない。

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