第8話 怒鳴り込みは江戸の華?

「美津様、食欲が無いのですか?」

「……うん」


 雪ちゃんが持ってきてくれた食事もなかなか喉を通らない。いつもなら、どんどん箸が進むのに。あんなシーンを見た後では無理だ。


「体調でも悪いのでしょうか? お医者様を呼びましょうか?」

「ううん、大丈夫」


 私がご飯を食べられないだけで心配してくれる雪ちゃんは優しい子だ。やっぱりこんな子が悪事に荷担なんか、しているはずがない。

 思い切って雪ちゃんには本当のことを聞いてみるべきだろうか。こんなにいい子なんだ。騙されて悪事に手を染めていたとしても、私が説得したらこちら側について色々教えてくれるかもしれない。知らなかったら、とぼければいい。


「……雪ちゃん」

「はい。なんでしょう。美津様」


 私が重い口を開こうとしたときだった。

 なにやら店の表の方から怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。怒っているような声だ。私の部屋まで響いてくる。


「何、この騒ぎ。何かあったのかな?」

「この声、またあの方たちかもしれません」

「知ってるの? ちょっと行ってみる!」


 雪ちゃんは何か知っているようだったが、私はいてもたってもいられなくて部屋を飛び出した。何か起きてじっとしているなんて出来ない。

 悪徳商人の店に怒鳴り込み。これは何事かが起きたに違いない。まさか、悪事がバレて騙されていた善良な長屋の人たちが何か返してくれと言いに来たとか。よくあるパターンだと、怒鳴り込んできた人たちはそのまま突き返されて権力のある人にもみ消されるやつだ。

 そして、それを見ていたヒーローがこの店にやってきて、モブの用心棒みたいな人をバッタバタと倒していく。それとも、夜闇に紛れてやってきたダークヒーローが、おとっつぁんや悪事に荷担していた人だけをピンポイントで仕留めて……。

 その時、私も一緒にやられてしまうのだろうか。奉公人のみんなも。

 どちらにしてもバッドエンドしか想像できない。

 そして、店先にやってきた私が見たのは、


「またうちの店の客を横取りしやがって、なんのつもりだ!」

「そう言われましても、うちとしましてはただあちら様に言われたとおり、取引を行っただけでございまして」


 怒鳴り散らすチンピラ風の若い男たちの姿だった。怒鳴っているのはリーダー格っぽい男で、その後ろはいかにも悪そうなその取り巻きたちがいる。

 番頭さんがその男たちに頭を下げている。そんな番頭さんの姿は、クレーマーに対応する可哀想な中間管理職のおじさん、といった感じだ。店先に出ていた他の奉公人たちは怯えて、すみっこで縮こまっている。


「どういう、こと?」


 訳が分からなくなる。

 どう見たって、今はあのチンピラたちの方が悪人に見える。悪人と悪人の縄張り争い、そんなところか。

 弥吉も店先にいる。危ない。あんなところにいてはもし乱闘にでもなって、巻き込まれでもしたら大変だ。


「美津様、危ないです。下がってください」

「ぎゃ」


 弥吉の方へ行こうとすると、後ろから雪ちゃんに裾を引っ張られてつんのめった。一応、私たちはまだ店先に繋がる廊下の陰から様子を見ている感じだ。


「ふざけんな! うちからのれん分けした分際で!」


 リーダー格に見える、ひょろりとしていて背の高いチンピラが叫ぶ。チンピラ、一人だけちょっといい着物を着ている。


「それは、しかし、もう充分すぎるほどお金は納めておりますし、これ以上は、その」

「ああん? 関係ねぇよ、そんなことは。おめぇは言うとおりにすればいいんだ」


 あまりの迫力に、思わずチンピラの方を見てしまっていた。弥吉の方に目線を戻すと、いつの間にかその姿は消えていた。自力でどこかに隠れたようでほっとする。

 そんな息をついた私の肩を誰かが叩いた。温かい、大きな手。


「下がっていなさい」


 この低い声、おとっつぁんだ。


「雪、美津を下がらせなさい」

「は、はい。旦那様」

「美津様。行きましょう」

「え、ちょ……」


 意外とすごい力で、雪ちゃんが私の腕を掴んで部屋の方へと引っ張って行こうとする。


「もう少し見たいんだけど……。どうなるか気になるし」

「駄目です。危ないですから」

「うちからのれん分けした分際で、客を盗むとはどういう了見でぃ。ふざけんじゃねぇぞ」


 あのチンピラが再び叫んだ。


「落ち着いてください。私どもといたしましては、盗むなどと悪気があってやったことではございません。それに、そちら様へは充分奉公もいたしております。何も落ち度は無いはずでございますが」


 それに答えたのは、今度は番頭さんではなくおとっつぁんだ。


「ああん」

「また、そちらへはお伺いさせていただきますので、今日のところはお引き取りいただけませんでしょうか」

「ほら、美津様。行きますよ。旦那様も下がっているようにおっしゃっていましたし」

「待って、もう少し……。あーーーー」


 目の前で繰り広げられている光景をもう少し見たいのに、私は雪ちゃんに部屋に連れ戻されてしまった。




 ◇ ◇ ◇




「まったく、いきなり飛び出されたのでびっくりしました。旦那様も心配されていたではないですか」

「……はい」


 私は、なぜか雪ちゃんにため息を吐かれている。

 いつの間にか、店先での怒鳴り声は止んでいた。どうやらおとっつぁんがあの場を納めたようだ。さすがこの店の主人だ。おとっつぁんが出たことで番頭さんもなんだかほっとしたような顔をしていた。おとっつぁんを上司としてとても信頼しているような、そんな顔だった。

 それに、と私は思う。さっきのおとっつぁんは、なんだか本当に娘のことを心配している父親のようだった。肩に置かれたおとっつぁんの手の温かさを思い出す。本当に優しいお父さん、みたいだった。


「まさかね……」

「何がですか?」

「ううん、なんでもない。それより、収まったみたいだね」

「そのようですね」


 今度は雪ちゃんがほっとしたように息を吐く。


「あれ、誰だったの?」


 さっき連れ戻される前に聞こえた会話で、なんとなく想像はつく。けれど、きちんと聞いておきたかった。


「あのお方ですか? 美津様、お店のことも忘れられているのですよね?」

「さっき少し聞こえたけど」

「はい。この店は旦那様がのれん分けを許されて出された店なのです。先程のお方は、その本家の若旦那です」

「……若旦那?」


 どう見てもチンピラにしか見えなかった。けれど、確かに一人だけ上等な着物を着ているように見えたのはそのせいかと納得する。チンピラ相手に雪ちゃんが、あのお方などと呼んでいるのもわかった。ああ見えても金持ちのボンボンだということだ。


「なんであんなチンピラみたいな……」

「それは、私は存じ上げませんがずっとあのような感じです」

「なんかこの店に文句言いに来てたみたいだけど」

「最近、よくいらっしゃるのです。言いがかりのようなものなのですが……」

「そうなんだ」

「はい。旦那様が元奉公人なので本家からのれん分けして頂いたご恩から、今でもそれなりのお金は渡しているのです。それでも飽き足らないようで……」

「えー。そこまでしてるのにひどい……」


 まさか、向こうの店も悪徳商人の店で、縄張り争いのようなものが起こっているのだろうか。

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