第9話 廻り髪結いがやってきた
「どうなってんの、この店は」
私は自分の部屋でごろんと転がって呟いた。
若旦那が怒鳴り込んで来たことといい、おとっつぁんのお主も悪よのうを見てしまったことといい、不穏なことだらけだ。
だと言うのに、あれから数日。店の中は前と変わらず平穏だ。おとっつぁんの部屋の前をわざと通ったりしても、悪巧みしている様子は無い。一人で、ふはははしてたら怖いけど。ただ、小判の数を数えているような音は聞こえてきたことがある。その時は、あまりにも悪人らしくて思わず聞き入ってしまった。
「これは、外にも行って店の評判とか聞いた方がいいのでは? 時代劇だと、ただ歩いてるだけで怪しい場面にバッタリと出くわすものだし、この世界ならありえるのかも……?」
これまでにも店の中だけでも、こんなにも色々なことが起こっているのだから外に行けばもっとすごいことが起こりそうだ。
「それはそれで、楽しみかもしれない」
危ない立場かもしれないのにちょっとわくわくしてしまうのは、時代劇好きの性だから仕方ない。それに、部屋の中に閉じこもっているのにも飽きてきた。独り言も多くなってしまうというものだ。
「江戸の町の観光もしたいしなー」
などと呟いていると、
「美津様? 入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞー」
私は転がったまま答える。雪ちゃんが来たときには、すっかりくつろいだ格好のままで答えてしまうようになっている。が、
「
「……え。ちょっと、待っ……」
襖が開く。私は慌てて起き上がった。
雪ちゃんの後ろにいる美人が私を見て、にっこりと笑う。起き上がるのが間に合ってよかった。
廻り髪結い。つまり、現代で言う出張の美容師みたいなものだ。江戸時代には奉公人の身だしなみを整えるために主人が雇って、店単位でまとめてやってもらっていたところもあるらしい。
「こんにちは~。あなたがこの店のお嬢様ね」
そう言って手を振る彼女は美人だ。女の私でも思わず見とれてしまうくらい素敵だ。
なのだが、声はハスキーで骨格も多少ほっそりはしているものの女性のものではないようで、いわゆるオネエさんに見える。
江戸時代ではオネエさんの髪結いは男女両方の髪を手がけることが出来たから、重宝されたというのは聞いたことがある。しかも、女性の気持ちがわかる男性として人気があったのだとか。だから、おかしくはない。
「お邪魔するわね」
オネエさんが、仕事道具が入っていると思われる出前のおかもちみたいな箱を持って、部屋に入ってくる。
「どうぞどうぞ」
しかし、この顔。どこかで見たような気がする。声もなんだか聞き覚えがあるような。
前の世界の誰かに似ている、のだろうか。
「どうも。はじめまして?」
私は首をひねる。
廻り髪結いのオネエさんは、にこにこと営業スマイルのようなものを浮かべている。
「そろそろ美津さまの髪も乱れてくる頃なので、お連れしたのですが。よろしいでしょうか」
「うん」
確かに、カツラじゃないから時々手入れした方がいいのだろうなとは思っていた。自分でなんとか出来るほど器用ではないから内心どうすればいいのかと悩んでいたところだ。
ただ、他に悩んでいることに比べれば優先順位が低かっただけだ。
それにしても。
「んん? どこかで見たような……」
私は立ち上がってオネエさんに近付く。
「いやぁね。初対面じゃない?」
「どうされました? 美津様」
この声もなんだか聞き覚えがある。しかも、オネエさんが何故か焦ったような素振りを見せる。
後ろで控えている雪ちゃんも首を傾げている。
見覚えがあると言っても、私がこの世界で知っている人なんかほとんどいないわけで、大黒屋の中にいる人をのぞけば、前に店に来た若旦那と……。
一人だけ思い当たる人がいた。
全く印象は違う。私はじっとオネエさんを見る。
「なにかしら?」
この声。
顔立ちは化粧でよくわからなくなっているけれど、きっとそうだ。
「あの時の色男、さん……?」
私が言った途端、オネエさん(?)が雪ちゃんの鼻先で勢いよく襖を閉めた。
「後は私に任せてちょうだい。素敵な髪型にしてみせますから。それでいいわよね、お嬢様。ほほほほほ」
「は、はい」
圧のすごい営業スマイル全開で詰め寄られれば返事をせざるを得ない。
「あ、あの、美津様? 大丈夫ですか?」
障子の外から雪ちゃんの声が聞こえてくるけど、オネエさんの圧に負けて私は言ってしまった。
「大丈夫大丈夫。このオネエさんとも話してみたいし!」
「お嬢様がそうおっしゃるのであれば……。何かあったら、すぐにお呼びください」
雪ちゃんは少しの間、部屋の前で逡巡していたようだが、しばらくしてどこかに行ったような気配がした。
「「ふう」」
オネエさんと二人でため息を吐く。そして、私はくるりとオネエさんの方を向いて、
「あの時の、お兄さん? ですよね?」
「人違いよ!」
即座に返された。
「でも……、あんなに素敵な人、見間違えるわけないというか。あっちの姿も素敵だったけど、今日の姿も素敵というか」
「あら、素敵だなんて。うふふふふ。……あ」
しまったという感じでオネエさんが口に手を当てる。
そして、一呼吸置いて、言った。
「おめぇさん。あん時の嬢ちゃんかい」
「やっぱり、お兄さん!」
オネエさんの口から江戸っ子口調が出るのは、なんだか新鮮だ。けど、粋でいなせなこの感じ。間違えるはずもない。
この世界に来てしまったばかりの時に、声を掛けてくれたあの色男だ。
「これまで見破られたことねぇのによ。どうして、わかったんだい」
「ええと、なんとなく?」
「なんとなく、と来たか」
オネエさん(色男?)が、ぺしとおでこを叩く。
やはり、姿は全然違ってもあの時の色男だったようだ。それなら、言いたいことがある。
「あの時はありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる。
「何がでぃ」
すっかり男口調になったオネエさんが首を傾げる。
「あの時、迷子になっていたのですごく不安だったんです。だから、声を掛けてもらって助かったと言いますか」
「そういうことかい。いきなり走って行っちまってびっくりしたけどよ。無事に帰れてよかったな」
ニッ、とオネエさんが笑う。
転生したばかりで不安だったのだが、それは言ってもわかってもらえなさそうなのでただの迷子ということにしておく。それでも、本当に声を掛けてくれて助かったのは確かだ。
「それにしても、ここのお嬢様だったとはな。聞いた話と違うじゃねぇか」
「聞いた話?」
「ああ、なんでもわがまま放題なお嬢様だと聞いてたんだが? こんな可愛い嬢ちゃんとはな」
「……それは。前はそうだったみたいで」
「そうなのかぃ? ま、人なんて変わるもんだけどよ」
転生して人が変わったなんて言ってもわかってくれるはずがない。ざっくりしすぎていて納得出来ないかと思ったけれど、オネエさんは納得してくれたようだ。
「お兄さ……、今はオネエさん? が言うと説得力ありますね」
なにしろ、オネエさん自身が変わりすぎだ。オネエさんは、
「ああ、そうに違ぇねぇ」
と、言うもののなんだか歯切れが悪い。
「あのー、もしかして、内緒、でした? 正体(?)のこと・・・・・・」
私はおずおずと言ってみた。さっきの雪ちゃんがいたときの態度を見て、そんな感じがしたからだ。それなら、あんなに思いっきり言ってしまって申し訳ないことをしてしまった。
「ん、まぁな。バレちゃしょうがねぇけどよ。いや、困るか」
「もしかして……」
「なんでぃ」
私が口を開こうとすると、オネエさんがぎくりと体を強ばらせた。
これは、きっとアレだ。
「オネエさん、もしかして大人気の髪結いですね?」
「あ、ああ」
「だから……、休みの日の姿は人に知られたくないんじゃないですか?」
「そう、そう! そうなんだよ!」
オネエさんが、ポンと膝を打つ。
「廻り髪結いが大繁盛でな。モテすぎて困っちまってるのよ」
「やっぱり!」
オネエさんがカラカラと笑った。
オネエさんの姿でもお兄さんの姿でも素敵だから、同一人物だと知れたら大変なことになりそうだ。アイドルがプライベートを知られたくない、みたいな感じだ。きっと。
「だから、ここは一つ、俺たちだけの秘密ってことにしてくれねぇか?」
「もちろん!」
「へっ!?」
私の返事に、オネエさんが拍子抜けしたようにずっこけた。
「本当に、誰にも言わねぇのかい」
「はい」
聞き返してくるオネエさんに私は当たり前だというように答える。
「普通、話したくなるだろ」
「え? でも、話して欲しくないんですよね。だったら、言わないですよ。人の嫌がることは進んでしません!」
「……は、はは。変わった嬢ちゃんだな」
「そうですか? 普通ですよ」
自分に置き換えてみて嫌だなと思ったら、私はしない。それだけだ。
「あ、それとこの部屋、二階の端っこにあるんで他の人には話、聞かれてないと思います。さっきの雪ちゃんが来るくらいで奉公人はこっちの方には来ないんで。雪ちゃんはさっき行っちゃったばかりだし」
「そうか……」
オネエさんがほっと息を付く。そして、
「ありがとな。恩に着るぜ」
白い歯を見せて笑うオネエさん(中身色男)の笑顔、プライスレス。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます