第19話 白浪小僧の顔を見てしまったのは私
「で、それはなんだい?」
「あ」
おとっつぁんに言われて気付いた。
私が手に持っているもの、それは……。
「白浪小僧の頭巾だ」
「なんだって!?」
おとっつぁんがのけぞる。
「美津……。お、お前、まさか」
「あ、ええと、事故だよ。事故。つまづいて白浪小僧につかまろうと思ったら、頭巾を掴んじゃったみたいで取れちゃって」
えへ、と私は笑う。
白浪小僧から頭巾をぶんどったとか思われたら困る。どんな娘だ、それは。
「それでよく無事だったな……」
「……うん」
今度はおとっつぁんがへなへなと座り込む。
「わわ! おとっつぁん、大丈夫!?」
「それはこっちの台詞だろう……。だけど、本当に美津が無事でよかった」
おとっつぁんは泣き出しそうな声で言った。
「あのね、政七さんが私の悲鳴にすぐ駆けつけてくれたから。おとっつぁんが夜中に見回りするように言ってくれたからだよ」
「そうだな。本当によかった」
ほう、とおとっつぁんが息を吐く。
「私は見回りなんていらないと思ってたんだけど、助かったよ」
「いらない?」
おとっつぁんが首を傾げる。
ヤバい。私が抜け出し辛くなって面倒くさいと思っていたとかバレたらまずい。
「え、えっと、白浪小僧は悪徳商人の店にしか入らないって話だったでしょ? だから、うちになって絶対に入らないと思ってたの! だって、うちはめちゃくちゃいい店なんだからっ!」
思わず力説してしまった。
嘘ではない。そう思っているのも本当だ。
「美津……、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。……じゃ、なくてだな。以前の白浪小僧ならいざ知らず、最近の白浪小僧はどうだかわからないじゃないか」
「……むう」
確かにそうだ。
もしかしたら、私が知らないだけで、裏では悪いことをやっている店に入っているのかと思っていた。だけど、うちに入ったのなら話は別だ。
白浪小僧は罪も無い人を殺していることになる。
そう思うと、さっきほいほいと警戒なんか全くしないで近付いてしまったことにぞっとする。
どうなってるんだ、白浪小僧。
「これ、どうしよう」
私はまだ握っている白浪小僧の頭巾だった布を見た。
「そうだなぁ。番屋にでも届けるか……」
おとっつぁんも布を見て呟いた。そして、ハッとしたように顔を上げて立ち上がった。
「まさか、美津。そんなものを持っているということは、白浪小僧の顔を見たとでもいうんじゃないだろうね」
おとっつぁんが急に不安そうな顔になる。
「普通のおじさんだった」
「おじさん、て。美津……。ハッ、そうじゃない! それは、危ないんじゃないのかい?」
「さっきは危なかったけど、政七さんが来てくれて助かったよ」
「……美津」
「ん?」
おとっつぁんが頭を抱えている。そして、ため息を吐く。
「江戸中で、白浪小僧の顔を見たのはきっと美津一人なんだよ」
「うん。そうだと思う」
それはかなり貴重な体験だ。
色男じゃなかったのが少し残念だけれど、それは仕方ない。近所にいるような普通の人が実は盗賊だった、とかも時代劇にはある。
うんうん、と私は自分を納得させるように頷く。
「うん、じゃないよ」
おとっつぁんがなんだか落ち着かないように見える。
「大丈夫だよ。私は無事だったんだから」
安心させるように私が言うと、
「そういうことじゃないんだよ。白浪小僧になにかされなかったかい?」
「えっと……」
私のことをいつも心配してくれているおとっつぁんに言ってもいいものだろうか。多分、パニックになってしまう。
けれど、この状態で嘘を吐いてなにも無かったと言うのも難しそうだ。
「あのね、この頭巾を取ったことに怒ってたみたいで……、短刀を向けられたんだけど逃げようとしたら転んじゃって。それで偶然避けることが出来たんだけど……」
「なんだって!」
案の定、おとっつぁんが目を見開いて驚いている。
「けど、転んだお陰でこうして無事だから」
「美津……」
「なに?」
「これからは、家の中でじっとして外に出るんじゃないよ」
「え? なんで!?」
「当たり前じゃないか!」
おとっつぁんがあまりに大きな声を出したので、私はびくりとしてしまった。いつもは顔に似合わず穏やかなおとっつぁんだ。
「白浪小僧の顔を見たということは、狙われるってことなんだ。白浪小僧は顔がわからないだろう? だから、これまでは覆面をせずに町を歩いていても誰もわからなかったんだよ。それを美津は見てしまったんだからね」
「あ」
言われてみれば、納得した。
確かに、狙われても不思議じゃない。
「自分の正体を知っているような人を狙わないはずがないだろう?」
「う、うん」
「だから、これからは家の外に出るんじゃないよ」
がしりとおとっつぁんが私の肩を掴む。
「えー」
命を狙われているかもしれないとはいえ、外に出られないのは辛い。
「旦那様! 庭にはもう誰もいないようです」
庭の方から政七さんの声がした。
「おお、ありがとうよ」
おとっつぁんがほっとしたように答える。
まだ、庭は奉公人のみんなが持っている明かりのせいでめちゃくちゃ明るい。
さっき殺されかかった(?)のが嘘みたいだ。あれはさすがの私でもぞっとした。時代劇に刃物は付きものとはいえ、自分が突きつけられて平気でいられるわけではない。
庭にはもう誰もいないと知って安心した。
「……よかった」
思わず呟いてしまう。
「よしよし、怖かったな」
おとっつぁんは小さな子どもにするように、よしよしと私の肩を撫でる。頭を撫でないのは、日本髪が崩れてしまうからだと思う。
「ありがと、おとっつぁん」
私が言うと、おとっつぁんが微笑んだ。
「でもさ、せめて誰かと一緒ならいいんじゃないかなぁ」
「なにがだい?」
「外に出ても……」
「ダメだダメだ。危ないに決まってるじゃないか」
「うー」
こういうときのおとっつぁんはかなり頑固だ。
「とりあえず、今日は部屋に戻りなさい」
「はーい」
今夜のところは素直に従っておくことにする。
また、明日になったらおとっつぁんの気も変わるかもしれない。
「ああ、そうだ。誰か番屋に知らせに……、けれど今行くのは危ないかもしれないね。それは、朝にしよう。白浪小僧はもうどこへいったかもわからないのだし」
ぶつぶつとおとっつぁんが呟いている。こんなときでも奉公人のことまで考えているのがおとっつぁんらしい。
「さ、眠れないかもしれないけれど、部屋に行こう。私もついていくからね」
「一人で行けるって」
「いや、白浪小僧は庭にやすやすと入ってくるようなやつなんだ。危ないだろう。そうだ。見回りも一人では危ないかもしれないな」
おとっつぁんは庭でまだ煌々と明かりを灯している奉公人たちを向いて言った。
「今日は火を絶やさないでいてくれるかい。いつまた白浪小僧がやってくるかもしれないからね」
「はい、旦那様!」
庭にいる奉公人の人たちが答える。
「みんな、すまないね。さ、行こうか。美津。いや、それとも、同じ部屋で寝た方が安心だろうか……」
「えー、大丈夫だよ」
さすがにこの歳になっておとっつぁんと一緒に寝るのはなんかちょっと恥ずかしいというか。
「そうだなぁ」
おとっつぁんが困ったように首をひねる。さすがにおとっつぁんも年頃の娘と同じ部屋で寝るのはどうかと思ったらしい。
「それなら、そうだな。政七、雪はいるかい?」
「雪、ですか?」
急に言われて、政七さんが周りを見る。
わざわざ政七さんに雪ちゃんのことを聞くあたり、おとっつぁんも二人の関係を気付いているのではないだろうか。
「呼びましたか」
「おお、雪」
政七さんが呼ぶまでもなく、雪ちゃんが廊下の方から現れる。
手に明かりを持っているところからすると、店の中を見回っていたみたいだ。
「美津が心配だ。一緒に部屋にいてくれるかい?」
「私がですか?」
「うん! 雪ちゃんなら安心だよ!」
確かに、こんなに興奮していては眠れない気がしていた。
雪ちゃんが隣にいてくれるなら、話も出来て一石二鳥のパジャマパーティーだ。時代劇の中だから寝間着だけど。
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