第18話 斬らないで候

  白浪小僧は全然答えてくれない。


「えーと?」


 前に会ったときの白浪小僧なら、私がこんなに話しかけたら答えてくれたと思う。

 本当はもっとなにがあったか、とか聞きたい。最近の白浪小僧はなんで殺しとかやってるのか、とか。

 本当に正義のためにやっていたのか、って。

 私はじりじりと白浪小僧の方へと近付く。だって、離れていたら話も出来ない。


「あの、少しでも話を……、あっ」


 驚かせないようにちょっとずつと思って足を地面に擦るくらいでそろそろと進んでいた。それが、いけなかった。

 地面にある何かにつまずいた。


「うわっ、ととと」

「なっ」


 さすがの白浪小僧も突然のことに驚いた声を出している。こんな声だったっけ。


「わわっ」


 私は進行方向である白浪小僧の方へと倒れ込んでしまう。


「す、すみませっ、ぶっ!」

「うっ」


 とっさに私はなにかを掴んだ。

 が、


「ひゃっ」


 なにかを掴んだと思ったのに、するりとそれは重みをなくしてしまう。


「ぎゃっ」


 そして、私は地面に倒れ込んだ。


「うう」


 痛い。絶対擦りむいた。

 それにしても、一体なにを掴んだのかと思って手を見ると。


「ん? 布? ……黒い?」


 私は顔を上げて白浪小僧を見る。


「あ」


 おじさんだった。

 結構普通の人だ。

 もっと若いと思っていた。きっとお芝居のイメージのせいだ。というか、時代劇の中のイメージかもしれない。だって、なんとか小僧といったら色男に限る。

 そう、見てしまった。

 白浪小僧の顔を。

 私が掴んだのは、どうやら白浪小僧の頭巾だったらしい。どんなわけか、運良く(運悪く?)いい感じでするりと取れてしまったようだ。


「……見たな」


 白浪小僧が低い声で言った。

 一言だったけれど、この前とはかなり声が違う気がする。布一枚で結構変わるものなのだなと思った。さっきのうっかり出た声みたいなのは、くぐもっていてよくわからなかった。


「えっと、これ。すみません」


 私は手に持った。というか、不慮の事故で取ってしまった頭巾に使われていた布を差し出す。

 そして、まじまじと白浪小僧の顔を見てしまう。なんというか、本当に普通のおじさんだ。おとっつぁんよりは若いと思う。

 白浪小僧の顔を見たのはきっと私が初めてだ。

 ラッキースケベ的な?

 思っていたのとは違うけれど、どんな人か気にはなっていたのでこれはこれでいい。

 ものすごく普通の人が実は白浪小僧だった。というのも、なかなかよい。

 白浪小僧は見られると思っていなかったのか少し固まっている。


「あ、それと、うちは悪徳商人の店じゃありませんよ。そりゃ、おとっつぁんは怖い顔してるけど、それは見た目だけでいい人なんです。だから、入るなら他の店にした方がいいと思いますよ」


 あまりに普通のおじさんだったもので、私はちょっと安心して話しかけてしまう。


「ごちゃごちゃと……」

「え?」

「顔を見た者を生かしてはおけん」

「へ?」


 白浪小僧が腰のあたりに手をやったかと思うと次の瞬間、その手には光るものが閃いていた。


「え、ちょ、それは……」


 どう見たって刃物だった。侍が腰に差しているような刀ではなく短刀だ。

 白浪小僧がじりと短刀を構え、一歩を踏み出してくる。

 私は後ずさる。

 そして、


「うひゃっ!」


 声を上げた。

 さっきつまづいた石にもう一度つまづいてしまった。今度は後ろから。

 私はどすんと尻餅をつく。

 その瞬間、風を切るような音がした。

 頭のすぐ上を、光るものが通っていった。

 背筋がぞくりとする。


「ちっ」


 白浪小僧が舌打ちする。

 今、通っていったのは、短刀の刃、だ。

 転んでいなければ今頃、私は……。


「ぎゃーーーーーーーー!」


 目の前の人が私のことを殺そうと思っていると思った瞬間、闇夜を切り裂くようなか弱い女性の悲鳴ではなく、なんかもう必死の叫びを上げていた。


「うるさいっ」


 白浪小僧が叫ぶ。

 そして、再び短刀を私に向かって構える。

 斬らないで候!

 私が心の中で叫んだとき、


「お嬢様っ!」


 声がした。

 その声は……、


「政七さん!」

「誰かいるのか!? 誰か来てくれー!」


 政七さんが、白浪小僧に目を向けて大声で店の中へ向かって叫んだ。


「ちっ」


 白浪小僧の舌打ちが聞こえる。

 そして次の瞬間、白浪小僧は壁の向こうへと飛び去った。


「お嬢様、大丈夫ですかっ」


 政七さんが私に駆け寄ってくる。

 私はへたりと地面に座り込んだ。


「お嬢様!?」

「なにがあった!?」


 政七さんの心配そうな声と一緒に聞こえてきたのは、おとっつぁんの声だった。

 その後ろには住み込みで働いてくれている他の奉公人も続いている。みんな起きてきてくれたらしい。

 こんなときに思うのもちょっとダメだと思うけど、時代劇でよくある『であえであえー!』みたいだ。ただし、政七さん以外みんな寝間着姿で、刀も持っていないけど。

 どうやら、すぐ来てくれた政七さんは見回りをしていたところだったらしい。


「お嬢様、大丈夫ですか!?」


 がんばって起きてくれたのか、後ろの方に弥吉までいる。

 おとっつぁんは息を切らしながら、草履も履かずに庭に降りて私に駆け寄ってきた。


「美津!? なにがあったんだい」


 おとっつぁんががくがくと私の肩を揺する。


「政七、なにがあったかわかるかい」


 私がまだ答えられずにいると、おとっつぁんは政七さんに聞いた。


「それが、まだ私も駆けつけたばかりで……、申し訳ありません」

「そうかい。美津、大丈夫かい」


 おとっつぁんが私の手を握る。おとっつぁんの大きくて温かい手に包まれて、めちゃくちゃ安心した。

 それでも、


「う、うん。腰が抜けて立てないぃ」


 なかなか立ち上がれなかった。

 テレビの中ではちゃんばらなんて見慣れているけれど、自分が刃物を向けられるとなるとさすがにちょっと違う。前にも危険な目には遭ったことがあるけれど、なかなか慣れるものではない。

 しかも、刃物を向けてきたのは白浪小僧だ。


「入る店、間違えたのかなぁ」


 思わず私は呟く。

 白浪小僧が狙うのは悪徳商人の店であって、うちは断じて悪徳商人の店ではない。


「間違えたって、なにがだい?」

「それは白浪小僧に決まって……」

「白浪小僧!?」


 私が言いかけたとき、おとっつぁんが叫ぶように言った。


「美津、お前、まさか白浪小僧に襲われたのかい!?」

「あ、うん。庭に黒ずくめの人がいたから白浪小僧なのかと思って……」


 私はそこで言葉を切る。

 自分から近付いたなんて言ったら絶対怒られる。


「それでどうしたんだい。どこか怪我でもしていないかい!?」

「ええと、短刀みたいのを向けられたけど、悲鳴を上げたら政七さんがすぐに飛んできてくれて」

「なんだって!?」


 おとっつぁんが私の周りを回って必死に確認している。

 それから奉公人たちに向かって言った。


「おおい、明かりを持ってきてくれ。まだ庭にいるかもしれん。みんなで怪しいやつがいないか見て回ってくれないか」

「はい、旦那様!」


 政七さんや他の奉公人たちが、慌てて店の中に明かりを取りに行く。


「お嬢様、本当にお怪我はないですか?」


 弥吉も心配そうに私を見ている。


「ああ、弥吉。お前もこんなことになって怖かっただろう。無理して外にいなくても大丈夫だよ」


 おとっつぁんはぽんぽんと弥吉の肩を叩く。 おとっつぁんのことだ。まだ小さな弥吉がこの状態でうろうろしていることが心配なのだろう。こんな非常事態でもおとっつぁんは優しい。


「でも、お嬢様が」

「美津は私がついているから大丈夫だ。お前は部屋に戻って妹のたえについていてあげなさい。こんな騒ぎがあっては不安だろうからね」

「……はい。旦那様」


 しぶしぶ、といった様子で弥吉は部屋に戻っていく。

 私を心配してくれているのか、弥吉は一度振り返った。


「私は大丈夫だから」


 安心させるように言うと、弥吉はこくりと頷いた。

 それにしても夜だというのに、庭は明るくなりすごい騒ぎになってしまった。

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