第12話 おとっつぁんの笑みの謎を暴け!
店に帰って最初に目に入ってきたのは、動物園の熊のように入り口でうろうろとしているおとっつぁんの姿だった。誰かお得意先の人でも来るのかもしれない。
「旦那様、ただいま戻りました」
「……おお」
おとっつぁんが私の方を向いて、初めて見たときのようないやらしい笑みを浮かべる。その悪い笑みに一瞬身構えてしまったが、
「よく無事に帰ってきたな」
そう言って、そそくさと奧へと引っ込んでいこうとする。
「待って下さい旦那様。頼まれていたお菓子です」
「ああ、そうだったな。ありがとう」
おとっつぁんは政七さんからお菓子の包みを受け取って、今度こそ行ってしまおうとする。ちなみに包みの中身はおまんじゅうだ。
何故だか、私はその後ろ姿に声を掛けたくなってしまった。どうしてか、その背中に本当のお父さんの背中が重なって見えたからだ。
声を掛けても答えてくれないかもしれない。
だけど、
「おとっつぁん! ……ただいま」
私が言うと、おとっつぁんがぴたりと足を止めた。
そして、
「……おかえり。美津」
ぼそりと、私の方を見ないまま言った。
顔は見えなかったけれど、笑ったような気がした。
店の中が、しんとして、おとっつぁんは足早に行ってしまった。
「……お嬢様」
おとっつぁんが行ってしまってから、いつも番台に座っている番頭さんが呟いた。見ると、番頭さんが泣き出しそうになっている。政七さんもぽかんとしている。
「え? え、何?」
「お嬢様と旦那様が親しげに言葉を交わしているのが嬉しくて……」
番頭さんが袖で目頭を押えている。
あれだけのやりとりで親しげに言葉を交わしているなんて言われるとか、前の私とおとっつぁんはどんな関係だったんだと思ってしまう。
「旦那様はお嬢様が無事に帰ってくるか心配で、店先で外をうかがっていたのですよ」
「私?」
「はい。以前迷子になられたでしょう? あれから外に出すことすら不安になられていたようですから」
「……」
思わず言葉を失う。
と、いうことは。
さっき帰ってきたとき店先を熊みたいにうろうろしていたのは、お得意さんが来るとかではない。私のことを心配していたから、ということになる。
番頭さんが嘘を言っているようには見えない。
確かにおとっつぁんは顔が怖い。にやりとした笑みも怖い。
それは置いておいて、本当に私のことを心配していて、帰ってきたことに安心していたとする。
すると、あの笑みは私が帰ってきて嬉しい、というか安堵の笑みということになる。
正直、あれをそう思うのは結構難しい。
だけど。
私が、ただいまと言ったときに足を止めたあの背中。
あの背中は、本当にお父さんのものだと思った。喧嘩をした後で、気まずくて、でも声を掛けたらちょっぴり嬉しそうで、思わず仲直りをしてしまった。そんな時の、私の本当のお父さんと似ていた。あったかそうな、お父さんの背中だった。
それに、前に向こうの大黒屋の若旦那が怒鳴り込んで来たときに、おとっつぁんは私を守ろうとしてくれていた。多分。
「おとっつぁん、本当に私のことを心配して……?」
「はい、それはもう」
番頭さんは答えた。
「あ、そうだ。あのお菓子って誰に渡すものなんですか? おとっつぁんが持ってっちゃったけど」
そういえば、政七さんが買ったお菓子のことも聞こうと思っていたのだった。
「あのお菓子ですか?」
今度は政七さんが答える。
「もしかしてお嬢様も食べたかったのですか?」
確かに包んでもらうのを見ていて美味しそうだったから、食べたかったのもある。が、
「今回はそういうことじゃなくて」
「今回は、ですか」
どうやら政七さんは私がよく食べるようになったことも雪ちゃんから聞いているようだ。かなり仲がいいらしい。仲良きことはいいことだ。
「あのお菓子はお得意様に差し上げるものですよ、お嬢様」
疑いの目で見てくる政七さんの代わりに、番頭さんが答えてくれた。
「それって、もしかして……」
この前の悪代官で、山吹色のお菓子でふははな人。これは悪事の予感。
かと思ったのだが、
「うちと取引して下さっているお代官様なのですが、甘いものに目がない方でしてね。いつもご用意して差し上げているのです。今日、これからいらっしゃるものでしてね」
「なる、ほど?」
「はい。ですから、私もお使いを頼まれていたのです」
朗らかに言われてしまうと、疑えなくなってしまう。
この感じだと前の時代劇テンプレのあのシーンも、本当にただお菓子を渡していただけの可能性が高い。
「……紛らわしい!」
「お嬢様、どうかされましたか?」
「あ、ううん。何も」
心配そうに顔をのぞき込んできた政七さんに私は、あははと笑ってみせた。
◇ ◇ ◇
「なぁに、それ。おっかしいわねぇ」
「笑い事じゃないですよ、まったく!」
私の髪を結いながら、トヨさんが笑う。お兄さんの時は豊次さん。今日はオネエさんだから、トヨさんだ。
お仕事モードに入った豊次さんは完全にオネエさんになるからプロフェッショナルだ。
話しているのは、私のおとっつぁんのことだ。つまり、おとっつぁんが悪人で、この店が悪徳商人の店だと勘違いしていたという話だ。
最初はどうでもいい世間話をしていたはずだったのに、いつの間にかこんなことまで話してしまっていた。
美容師スキルというか、オネエさんの雑談スキルが怖い。
でも、今まで店の人には誰にも話せなくて一人で抱え込んでいたのだ。誤解だったとわかった今、誰かに話したくなってしまうのも仕方ない。
「じゃあ、美津ちゃんは自分のおとっつぁんを疑ってたってわけ?」
「だって、あの顔ですよ?」
「あの顔って、自分の親をつかまえてあなたねぇ」
ぷぷっとトヨさんが噴き出す。ということは、トヨさんもおとっつぁんのことを悪人顔だと思っているということだ。
「でも本当は娘思いのいいおとっつぁんだったってことなのね」
「そうだったみたいです。一人親でどうやって娘に話しかければいいかわからなくて、そうこうするうちにどんどん会話が無くなって。いつの間にか仲が悪いみたいになっちゃってたんだって」
死んでしまったおっかさんに段々似てくる私のことを見ていられなかったのではないかと、番頭さんはこっそりと私に教えてくれた。
だから、これは伝聞で私の体験したことではない。それでも、聞いた話にするのはおかしすぎるので私のこととして話した。
それでも、おとっつぁんは私にお金は使わせてわがまま放題にはさせていたらしい。だから、私が転生する前はみんなに怖がられる、いわゆる悪役令嬢のようなお嬢様になってしまっていたようだ。そのこともおとっつぁんは気にしていたようだが、面と向かって何も言えなかったらしく、そんな態度を止めさせることも出来ずにいた。
そこまではさすがにハッキリとは言われなかったけれど、私を傷つけないようにしてくれた内容でもなんとなくわかった。
番頭さんが、私が変わったことを感極まったように話してくれたからだ。私がおとっつぁんに話し掛けたことが、よほど嬉しかったのだと思う。
「よかったじゃない。仲直りできて。美津ちゃん、今、話しててもいい子だもの。本当は素直になれなかっただけで仲直りしたかったんでしょう?」
「そう、ですね」
こくり、と私は頷く。
私になる前の私だってもしかしたらそうだったのかもしれない。今となってはわからないけれど。
とにかく誤解したままじゃなくてよかった。これで一安心だ。
と、思った時。
「じゃあ、この店はシロ、かしらね」
オネエさんがぽつりと呟くのが聞こえた。
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