第27話 これにて一件落着

「お前が、悪いんだ……。お前が全部悪いんだ、喜兵衛!」


 土蔵の中に文蔵さんの声が響いた。その底冷えするような声に、私はびくりと体を震わせた。


「おとっつぁんが?」

「初を離せ!」

「違います! この子は美津です!」


 文蔵さんの様子がさっきとは違う。おとっつぁんの叫びも届いていない。

 さっきは悪人には見えなかった。ただ、番頭に騙されただけの人に見えたのに、今は……。


「……初」


 文蔵さんは悲しそうに、私のおっかさんの名前を呼ぶ。

 おとっつぁんは、私を守るように強く抱きしめた。


「くそっ! 喜兵衛、お前はいつも私の物を奪っていく。初も! 大黒屋も! 本家と言っても名ばかりじゃないか! お前の大黒屋の方が繁昌していると誰もが噂している。私は、お前が憎い。初も、店も、奪っていった……!」

「そんなつもりはございません!」


 私を抱きしめたまま、おとっつぁんが反論する。


「私はただ真面目にやってきただけでございます」

「そうだな。私の父も、最初は優秀な奉公人であるお前に店を継がせるか悩んでいた。だが、息子である私に店を継がせるためにのれん分けを許したんだ。それも私は許せなかった。私の父はいつも奉公人であるお前のことばかり信頼していた。店を継がせたのはただ息子であるという理由だけだ。無能な私が継いだおかげで、店はこのザマだ!」

「しかし、店はまだ続いているではないですか」

「だが、のれん分けだったはずのお前の店の方が大きくなっているではないか!」


 文蔵さんの言っていることは、どう考えたって逆恨みだ。おとっつぁんに非があるとは到底思えない。

 おとっつぁんが言っていた親同士のこととはこのことだったらしい。

 私は……、


「おとっつぁんは悪くないよ! 本当に、本当におとっつぁんは真面目にやってるんだから!」


 黙っていられなかった。


「こ、こら、美津」

「ふがふが」


 おとっつぁんが私の口を塞ぐ。


「そうだ。美津、だったな。初、ではないのだったな……。その娘のせいで、初は死んだのだろう?」

「……!」

「文蔵様! それは……!」

「おっかさん、が? 私のせいで?」

「ああ、そうだ。初は、その娘を産んだときに死んだのだ。お前のせいだ。喜兵衛。やはり、初は私と夫婦になっておればよかったのだ!」

「……おっかさんは、私を産んで死んだ?」


 会ったこともない。顔も知らない。

 だけど、私を産んで死んでしまったと知るのはショックだった。

 現代とは違う。ここは江戸だ。

 現代でも出産は大変なことだ。だとしたら、医療が発達していない江戸ではそういうこともあるのだ。


「違う。美津。おっかさんは、初は、お前が産まれるのを本当に楽しみにしていたんだ。幸せそうに笑っていたんだ。だから、お前のせいなんかじゃないんだ。お前が気に病むことなんかないんだ」


 おとっつぁんががくがくと私の肩を揺する。

 わかった。

 文蔵さんは、おとっつぁんを許せなかった。それは、うちのおとっつぁんの店が繁盛しているとかしていないとか、そんなことじゃなかった。

 文蔵さんは、私のおっかさんが好きだった。好きだった女性をおとっつぁんに取られて、ずっと許せなかったんだ。

 私はそのおっかさんに似ているらしい。そんな娘に好かれているおとっつぁんを見たら、逆上してしまうに決まっている。

 私は、どうすればいいのだろう。おとっつぁんも負い目は感じているのか、何も言えないようだった。


「やめてくれ! もうやめてくれよ、親父!」


 清太郎が叫んだ。


「誰も悪くねぇじゃねぇか! 悪いのは親父だろ! こいつが産まれてきたのが悪いみたいに言うんじゃねぇよ!」

「……清、太郎」

「逆恨みじゃねぇかよ! そんなのは!」


 清太郎は声を荒げる。


「こいつのおっかさんは、喜兵衛の方を選んだんだろ! それを無理矢理とかどうにかしようとする方がおかしいだろ! 横恋慕なんてみっともないぜ!」

「清太郎? ……私、私は……。ああ……」


 息子に言われたことが衝撃だったのか文蔵さんが、がくりと膝をつく。


「私は、羨ましかった。私の欲しいものを全て持っている喜兵衛が羨ましかった……。お前ばかり初に似た娘にも好かれて、憎いと思った……」

「なに言ってんの!」


 私は、おとっつぁんの着物の裾から顔を出して叫ぶ。文蔵さんがこちらを見た。


「あなたにだって、親孝行な息子がいるじゃないですか! うちに取り立てに来たりとか、ちゃんとお手伝いしてるじゃないですか!」

「取り立て……。あれはただの嫌がらせで……」


 文蔵さんが自分で口に出してから、笑う。笑った。


「だから、あれを手伝いとか言うなって」


 清太郎まで呆れた顔をした。


「いや、そうだな。うちの息子はただのバカ息子で、ろくでもない奴らと遊んでばかりだと思っていたが……」

「そんなことないよ! ちゃんと、お店のこと考えて行動してるじゃないですか。それがちょっと間違ってたかもしれないけど。でも、それはお父さんに言われて仕方なくだし……、真面目にお店を継ぐかどうかだって悩んでるし!」

「清太郎、お前……」

「はぁ!? お前なに言ってるんだよ!」

「いや、この前話してくれたから……」

「そこまで言ってねぇし!」

「えー、そう?」

「お前たち、いつの間に子どもの頃みたいに仲良くなったんだい?」


 おとっつぁんが驚いた顔で私と清太郎のことを見ている。


「あ、うん。話してみると結構いいやつでさ」

「な、なんだよ、それ!」


 私たちを見つめておとっつぁんが、うんうんと目を細めて頷いている。

 そうこうしているうちに、いつの間にかどやどやと御用提灯を持ったお役人(?)たちがどっと土蔵に入ってきた。どうやら土蔵の周りのであえであえしてきた人たちは片づいたらしい。

 しおれた様子の番頭が連行されていく。

 そして、


「……私にも、お縄を掛けてください」


 文蔵さんが進み出た。


「親父!?」

「先程から話していたとおりです。息子の言うとおり、私は逆恨みから大黒屋喜兵衛にひどいことをしてしまいました。その娘の美津にも……。番頭にそそのかされていたとはいえ、罪は同じです」

「……文蔵」


 豊次さんが呟く。

 静かでしんみりとした音楽でも流れていたら、この場面は絶対に時代劇のクライマックスだ。


「ただ、息子は関係ありません。今回のことは何も知りませんでした」

「わかった」

「親父! 親父だって騙されていたんじゃないのかよ」

「だが、やってしまったことは同じだ。お前の言うとおりだった。みっともなかったよ」


 豊次さんが文蔵さんにお縄を掛ける。文蔵さんはじだばたしたりせずに、じっと俯いていた。


「……文蔵様」


 土蔵を出て行く文蔵さんの背中に向かって、おとっつぁんがその名前を呼ぶ。

 きっと色々あったのだと思う。その声には複雑な心情が込められていたような気がした。

 私たちは文蔵さんが出ていくのを見送る。清太郎も、その背中を見ていた。

 突然静まり返った土蔵の中で、


「あ、あのっ」


 弥吉が声を上げた。


「弥吉! 大丈夫だった? 怖くなかった? きっと、妹も助かるから」


 私は近付いていって、抱きしめようとした。けれど、弥吉はふるふると首を横に振って、私を両手で押し返した。


「おいらは、ひどいことをしました。お嬢様にも旦那様にも、よくしていただいていたのに。……おいらにも、お縄を……」


 そう言って、弥吉は豊次さんを追っていこうとする。


「ちょっと待って! 弥吉!」


 私は弥吉を止めようとするが、するりと抜けてしまった。そんな弥吉を止めたのは、おとっつぁんだった。


「おっと」


 おとっつぁんは追いかけっこをしている子どもにするように、弥吉を捕まえた。


「旦那様?」

「どこへ行こうというんだい?」


 おとっつぁんが弥吉に問い掛ける。


「ごめんなさい……、ごめん、なさい。おいらも、罪を償わないと……」


 掠れた声で俯いたまま言う弥吉に、おとっつぁんは優しい声で言った。


「何を言っているんだい」

「え?」


 弥吉が顔を上げる。


「お前はうちの大事な娘が大変だと、番屋に知らせに来てくれたじゃないか」


 さすがおとっつぁんだ。弥吉を咎めないでいてくれて、私はほっとした。それなら私も言っておかなければ。


「あのね、おとっつぁん。弥吉は元々本当にみなしごで、妹を本家の人質に取られてやっていただけなんだよ!」

「そうだったのかい」


 私の言葉におとっつぁんは頷いた。

 それから、言った。


「弥吉、お前はうちの大事な奉公人だ。勝手に出て行かれては困るじゃないか」

「旦那様……。でも、おいらは、本家の……」

「今はうちの奉公人であることに変わりないだろう? これからは言葉遣いもしっかり教えなくてはいけないな。いつまでもおいらでは店に立つときに困るじゃないか」

「旦那様、わたし、は……」


 弥吉の目にじわりと涙がにじんで、そこから我慢できなくなったように泣き出した。

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