第28話 清太郎
久しぶりに顔を合わせたと思ったら、ものすごい啖呵を切られた。
すげぇ女が出てきたと思った。どうせ不細工だろうと思ったら、意外と美人で驚いた。
最初は誰だかわからなかった。アイツがそんなことをしてくるなんて、思ってもいなかったからだ。
時々はアイツの顔を見ることがあった。俺が大黒屋喜兵衛の店に取り立てに行ったときに、見掛けたことがある。
目が合ってもアイツは、興味なさそうな冷たそうな目で俺を見ただけだった。
自分の店の奉公人が困っているのに他人事みたいな顔で、ただその場を眺めていた。
俺と、同じだと思った。
小さい頃は、もう少し笑っていた。
◇ ◇ ◇
子どもの頃、アイツの親父は俺の家の方の大黒屋の奉公人だった。顔が怖かった。
アイツは店によく顔を出していて、一緒に遊んでいた。年が同じくらいだったから、よく遊んだ。ちょっとわがままなところがあったから、よくケンカした。
それでも、急にいなくなってひどくさみしかったことを、覚えている。
アイツの親父が俺のじいさんに店をのれん分けされて、それでいなくなったのだと後から知った。
アイツがいなくなってから、遊びに行きたいといったことがあるが、それはダメだと言われた。あまりに強く言われたので、諦めるしかなかった。
アイツのいる大黒屋にいい印象はなかった。
俺の親父をいつも不機嫌にさせる存在だったからだ。うちからのれん分けした分際で、といつも言っていた。子どもの頃からそう言われて育ったおかげで、俺もそういうものだと思っていた。生意気な店なのだと思っていた。
大黒屋喜兵衛にのれん分けを許したのは、他界した俺のじいさんだ。喜兵衛はじいさんに気に入られていたらしい。それを親父はずっと気に入らなかったようだ。喜兵衛は親父より商売の才能があって、じいさんは喜兵衛に店を継がせることも考えていたと聞いたことがある。だが、結局自分の息子である俺の親父に継がせるために、のれん分けをしたのだとか。のれん分けはかなり珍しいものだ。よほど見込まれた奉公人にしかされない。親父が嫉妬するのもわからないでもない。
それでも、俺がまだ子どもの頃はよかった。喜兵衛がのれん分けで店を出した後も、本家であるうちが負けるわけにはいかないと親父も頑張っていた記憶がある。店の中にも、まだ活気があった。
俺もいつかこの店を継ぐのだと張り切っていた。俺も早く親父を手伝えるようになってこの店を盛り立てるのだと、そう親父にも話していた。
だが、うちと向こうの店との段々と差がついてくるに連れて、親父の態度は変わっていった。じいさんが見込んだとおり、喜兵衛には本当に商才があったのだと思う。決定的だったのはじいさんの死だ。じいさんが生きていた頃には、まだ親父にも歯止めが掛かっていたんだと思う。
親父が荒れているせいで、店の雰囲気は悪くなる一方だった。取引先は段々と大黒屋喜兵衛の店の方へと流れていった。
俺のお袋は、そんな親父に愛想を尽かして出て行ってしまった。そのときは親父の態度が問題だと思っていたが、今思うとお袋と親父の間にはもっと深い亀裂があった。俺は何も知らなかった。
店の跡取りに嫁もいないのはおかしいと、ほとんど無理矢理嫁がされたのが俺のお袋だったらしい。お袋は、親父の心が別の人にあることを知っていたんだと思う。
お袋が出て行って、店の中は唯一の光を失ってしまったような気がした。俺はこの店の跡取りだからと、残されてしまった。
そんなときに親父に取り入ったのが、あの番頭だ。俺は親父が何をしているのか、わからなくなった。
もっと早く俺が気付いていれば、親父と話していれば、止められたかもしれない。
俺はこの店の中で起こっていることを何も知らなかった。よく見ようとすれば見えたかもしれないのに、見ようともしなかった。
それよりも若旦那だと言われながら、落ちぶれていく店の中でそんな風に呼ばれても嬉しくなんかなかった。それでも、俺がこの店を継ぐことは決まっているのだと思った。どう考えたって、悪い方向にしか向かっていないこの店を俺にどうしろと言うのか。
苛立ちだけが募っていった。
あまりよくない連中ともつるむようになった。
それでも、親父の言われるままに大黒屋喜兵衛のところに取り立てにも行った。評判を落とすために、瓦版屋も買収した。
俺は、俺が何をしたいのか、何をすればいいのかわからなくなっていた。
子どもの頃に、この店を盛り立てたいなどと思った気持ちも、いつの間にか忘れていた。
◇ ◇ ◇
久しぶりに会ったアイツが眩しかった。
どう考えたって腕っぷしでは敵わない男たちに向かって、俺に向かって、アイツは、美津は堂々と正しいことを言った。
正しいことがなんなのか、わからなくなっていた俺に向かって言った。いや、俺だってわかっていた。だが、目をつむっていただけだ。
前に会ったときとは、何かが変わっている気がした。
アイツは、何かが吹っ切れたのだろうか。
気になった。
あの顔が、頭から離れなくなった。
それだけなら、まだ忘れていたかもしれない。それなのに、アイツは再び現れた。
しかも、子犬を構っていたところを見られていたらしい。誰も知り合いなんかいないと思っていたのに、不覚だった。瓦版屋の様子を見るために物陰にいたら、子犬が近づいて来たのが悪かった。
それもまだいい。
アイツは俺に、将来なんか決まっていないと言いやがったんだ。
衝撃だった。
あの店を継がない。
そんな選択肢が、俺の中にあったのかと新鮮な気持ちになった。棒手振りから始めるなんて、考えたこともなかった。大店の息子の俺がそんなことをするなんて、想像したこともなかった。日銭で稼ぐような仕事なんか、俺がするようなことじゃないと思っていた。
笑ってしまった。
目の前が、急に開けた。
だというのに、アイツは、美津は、自分の将来すら決めていないと言うのだ。
しょうがないヤツだと思った。それと同時に、すごいことだと思った。
美津は、何にでもなれると本当に信じているんだ。
馬鹿らしくなった。
俺がずっと悩んでいたことを、美津は軽々と消し去ってくれた。
随分と久しぶりに、俺は心が軽くなった。
自分の頭で考えて、昔のことも思い出した。
親父とも話してみようと思った。
何でもしていいと言うなら、俺は、俺のしたいことは……。
俺は、思い出したんだ。
その矢先に、あんなことが起こった。
アイツを巻き込んでしまった。
親父の言い分もわかった。大切だと思っていた人を奪われたことも、初めて知った。
あの番頭さえいなかったら、ここまでの大事にはならなかったのかもしれない。大黒屋喜兵衛のことを密告したのも、番頭が手を引いていたらしい。
親父は、俺のことは守ってくれた。だから、俺は今こうして無事でいられる。根っからの悪人ではないことは、息子の俺が知っている。
だが、それでもやっていいことと、悪いことがある。
今だけの話じゃない。
親父は、美津のお袋のことも困らせていた。俺のお袋まで不幸にした。
俺はそうはなりたくない。
ちゃんとケジメをつけて、アイツにも堂々と会える俺でいたい。
あんなことをしでかした親父の息子に、アイツはまた笑いかけてくれるだろうか。
今までと同じように、接してくれるだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます