第26話 ヒーロー現る! Ⅱ

 私が諦めそうになったそのとき、土蔵の外のもっと遠いところからざわめきが聞こえてきた。段々とその声が近付いてくる。


「な、なんだ?」


 今度慌てるような顔になったのは番頭の方だった。

 私たちを始末しようとして出てきた人たちも、騒ぎが気になるのか外へと向き直った。

 騒ぎが近付いてくるにつれて、聞き覚えのある言葉が私の耳に入ってきた。

 こんなにもあの言葉が心強いと思ったことは今まで、無い。時代劇の中ではものすごく馴染みのある文句だった。定型文のようなものだと思っていた。

 だけど、そうじゃなかった。


「御用だ! 御用だ!」


 力強い声が近付いてくる。


「まさか、ここに!? 一体誰が呼んだんだ!」


 番頭の顔がみるみる青ざめていく。


「お前ら、あれを止めろ!」

「「「はっ」」」


 番頭が指示をする。刀を持った、であえであえしてきた人たちが外へ出ていく。

 外から、金属がぶつかり合う音が聞こえてくる。まさかこの土蔵の外ではチャンバラが繰り広げられているのだろうか。

 時代劇の最大の見せ場であるチャンバラ!


「見たい!」

「見たい? 何をだ?」


 まだ私に覆いかぶさるようにしていた清太郎が不思議そうに聞いてきた。


「あ、うん。なんでもない。それより、ありがとう。守ってくれてたんだよね」

「……あ」


 清太郎が慌てた様子で私から離れる。


「躓いただけだっ」

「躓く……、どうやって」


 清太郎はあのとき明らかに私を守ろうとしてくれた気がした。


「ど、どうだっていいだろ、そんなこと。たまたまだ、たまたま」

「そう? 私は、すごく安心した。だから、たまたまでも嬉しかったよ」

「……っ」


 清太郎がそっぽを向いたとき、外に出て行った一人が土蔵の中に勢いよく転がりこんできた。切られ役っぽく、芝居がかった感じで時間を掛けて倒れる。

 切られ役に続いて、誰かが土蔵の中に入ってきた。こちらはしっかりと地面を踏みしめて、私の方を向く。その顔は、


「おう、無事だったか」

「豊次さんっ!」


 今日はトヨさんの姿ではなかった。


「って、その姿はっ!」


 どう見ても、岡っ引きに見える。下っ引きかもしれない。とにかく、手には十手を持っている。そっちの人であることは間違いない。


「俺が来たからには、もうでぇじょうぶだ」


 ニッと白い歯をきらめかせて、豊次さんが笑う。

 ヤバい。かっこよすぎる。こんなのずるい。


『豊次さん 歯光らせて』


 とか書いた推しうちわを振りたいくらいだ。

 とにかく体の力が抜けた。

 本当に、正義の味方が助けに来てくれた。

 私が思っていたとおり、豊次さんはヒーローだった。それにしても、タイミングがいい。

 ということは、あの廻り髪結いが本業ではなくて、あれは情報収集のための仮の姿だったということか! 私もめちゃくちゃ色々話してしまっていたけど、豊次さんにとって、あれは雑談ではなかったということだ。

 私の妄想じゃなかった。


「おうおう、大黒屋文蔵ぶんぞう! おめぇの悪事はもう全部お見通しなんだよ!」


 豊次さんが、清太郎父へと向き直って啖呵を切る。

 これは、絶対に誤解している。

 そうこうしているうちに、番頭が土蔵の外へと走って逃げようとしている。


「豊次さん! その人! その人が真犯人だよっ!」

「なにぃっ!?」


 驚いたような声を上げた豊次さんだったが、行動は速かった。逃げようとする番頭の足下に、目にも止まらぬ早さで十手を投げつける。


「おおっ」


 思わず私は声を上げてしまった。

 番頭が投げつけられた十手に足を取られて、バランスを崩し、地面に転がる。そこに素早くかけよって、豊次さんは番頭の手をひねり上げた。


「何をなさるんです! 私は何もやっていません!」

「話は番屋で聞こうじゃねぇか。何もやってねぇなら問題はねぇよな」

「……ぐ」


 番頭が、がくりと頭を垂れた。


「いいの? 信じてくれるの?」


 私の一言を豊次さんは全く疑っていないようで、思わず聞いてしまう。


「おめぇが言うことなら間違いはねぇだろうさ」


 相変わらず笑顔と歯が眩しい。


「あ、あの、どうしてここに?」

「ああ、そうだったな。出てきな、坊主」


 豊次さんがそう言うと、土蔵の入り口からおずおずと小さな影が入ってきた。


「弥吉! なんでこんなところに!」


 姿を現したのは、弥吉だった。


「お嬢様!」


 弥吉は私の元に駆け寄ってくる。


「よかった。無事で……。お嬢様……」


 目に涙を浮かべて、私にすがりついた。


「な、なんだよ、こいつは」


 それを見た清太郎がなんだか眉間にシワを寄せている。


「こいつが、番屋に駆け込んできたんだよ。お嬢様を助けてくれってな。それで、ちょうどそこにいた俺が話を聞いて飛んできたってわけよ」

「……弥吉」


 私は弥吉の頭を……、撫でたいけどまだ縛られていて手が出せない。


「あの、出来ればほどいて欲しいんですけど」


 私が言うと、


「おう!」


 豊次さんが駆け寄ってきて、素早く縄をほどいてくれた。


「おお、さすが」


 いつも捕縛をしている側だから、ほどくのも得意なんだろうか。


「ふー」


 私は手をぶらぶらさせて、体をほぐす。結構辛かった。ぶあっと身体中に血が巡る。

 血が巡ったら、大事なことに気付いた。


「って、そうだ。豊次さん! この子の妹がどこかにいるはずなので、助けないと!」


 私は叫んだ。


「こいつの妹? 奉公人でもない子どもなんて、この家で見たことないぞ」


 首をかしげたのは清太郎だ。


「え、じゃあどこに?」


 私は頭を抱える。

 せっかくここまで来たのに、弥吉の妹を助けられなければ意味がない。


「……番頭の家だ。そこに、いるはずだ」


 ぼそりと、清太郎父が言った。さっき豊次さんに大黒屋文蔵とか呼ばれていた。


「わかった。すぐに行かせる。おい、九助きゅうすけ! 聞いてたか? すぐにこの番頭の家に行って見てこい」

「へい、親分!」


 九助と呼ばれた人の返事だけが外から聞こえて、走って行く足音がした。これで、弥吉の妹も無事だといい。

 後は……。


「おとっつぁん! おとっつぁんは!?」


 再び私は叫ぶ。ここまで来ておとっつぁんが無事じゃなかったら、なんの意味もない。


「豊次さん! おとっつぁんは!?」


 私は豊次さんに詰め寄る。詰め寄ろうとしたときだった。


「……美津!」


 声が、した。


「おとっつぁん?」


 声のした方を見る。

 土蔵の入り口におとっつぁんが立っていた。走ってきたのか息を切らして肩を上下させて、汗だくになりながら、そこに立っていた。


「美津ー!」

「おとっつぁん!」


 私はおとっつぁんに駆けよって、その体に飛びついた。


「おっと」


 おとっつぁんがよろけそうになりながら、私を抱き留める。


「よかった。おとっつぁんが無事でよかった!」

「美津……。お前こそ。無事で、よかった。私のために、こんな目に……」


 おとっつぁんが私をぎゅっと抱きしめる。本当のお父さんに抱きしめられているみたいに、私は安心した。この人は、本当に私のおとっつぁんだ。大事なおとっつぁんだ。本当に無事でよかった。


「おとっつぁんは、なんでここに?」


 安心したと同時に、不思議に思う。


「それはな」


 答えてくれたのは豊次さんだった。


「その丁稚がな、飛び込んできた番屋に、まだその旦那が留め置かれてたんだよ。それで、一緒に事情を聞いてな。まだそれだけで疑いが晴れたわけじゃねぇが。どうしても娘が心配だってんでついてくることになったんだ。この店に関係のあることだしな。話を聞くにはちょうどいいってことでよ」

「それで、慌てて走ってきてくれたんだ……」

「大事な娘に何かあったら困るじゃないか」


 当たり前のようにおとっつぁんは言う。どうして、この人を最初は悪人だと思っていたんだろう。


「ありがとう、おとっつぁん」


 私が言うとおとっつぁんはいつもの怖い顔で微笑んだ。もうこの顔も怖くない。だって、本当に嬉しくて笑っているのだと知っているから。


「みんなが助けに来てくれたから大丈夫だったよ。ちょっと、怖かったけどね」


 私もおとっつぁんに笑い返す。


「初……」


 そのとき、文蔵さんの呟きが聞こえて私とおとっつぁんはそちらへと振り向いた。

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