第24話 本物の悪
知らない男性の後に続いて入ってきたのは、私が意識を失う直前に見た、あの番頭さんだった。
本家の大黒屋の番頭さんがいるということは、だ。どうやら、ここは本家の大黒屋の中らしい。
男性は私を一瞥して、あからさまに顔を背けた。
「どうするのだ、この娘。放っておけばよかったものを」
「そう言われましても。うちの店の周りを嗅ぎまわっているようでしたので、仕方なく。騒がれても困りますでしょう? 旦那様」
「……むう」
ため息を吐きながら、旦那様と呼ばれた男性が呟く。
「……旦那様? ってことは、こっちの大黒屋の店主?」
それで、誰かに似ていると思ったのがわかった。清太郎に似ているんだ。ひょろりとしているところはそっくりだ。
「会うのは久しぶりだったな。顔も覚えていないか」
「あー、えっと」
この場で実は中身別人で記憶が無いですとか、言えるような状況だとは思えない。
「まあ、いい」
そう言いながらも、清太郎父(名前がわからないのでそう呼ぶことにする)はどこかさみしそうな顔をした。
一瞬、どうしたのだろうと心配してしまった。が、清太郎の父だからと思って気を緩めてはいけない。
なにしろ、私は今、どこからどう見ても捕まっているのだ。しかも、身動きのとれないひどい状態で。
これは明らかに悪徳商人のすることだ。やはり、うちの店を陥れようとしていたのは本家の大黒屋だったということだ。
予想はしつつも、清太郎の父がそんなことをするとは考えたくなかった。
「あのー、これほどいてもらえませんか?」
どう言えばいいのかわからなくて、とりあえずお願いしてしまう。叫んだり騒いだりした方がよかったような気もする。
だけど、このまま少し話もしてみたかった。どうしてこんなことをしたのか、知りたい。
だって、やっぱり清太郎の父だ。話せばわかるような気もする。
「どうします? この娘」
「そうだな。……ああ、やはり
今度は清太郎父が辛そうな、それでいて懐かしそうな人を見るような、その二つが入り交じったような複雑な笑みを浮かべた。
「初?」
「? お前の母の名前ではないか」
「!」
この人は私の母を知っている。
うちの店の中では、誰もが母のことを話さなかった。もちろん、おとっつぁんも話してくれたことがなかった。
触れてはいけないことな気がして、私も深くは聞けなかった。
それを、この人が口に出した。とても、親しげにその名を呼んだ。
「私のおっかさんを知ってるの?」
私は、今置かれている状況も忘れて身を乗り出した。と、言っても縛られているのでほとんど動けないけど、気持ちだけ。
おとっつぁんが親同士のことは子どもには関係ないと私に言っていたことがあった。あのときは詳しく教えてくれなかったけれど、気になっていた。うちの店を憎んでいる理由も、それと関係あったりするのかもしれないと思ったからだ。
単純におっかさんのことが気になったのもある。
清太郎父が顔を歪めて言い放つ。
「知っている? 当たり前ではないか。初は、この店の奉公人だったのだからな」
「え!?」
「そんなことも教えられていないのか。ならば、私がこんなことをしてしまった意味も、アイツにはわからないのだろうな。まだ私は忘れていないというのに」
私をこんな目に遭わせながら、再び清太郎父が辛そうな顔をする。
「?」
私は清太郎父が言っている意味がわからなくて、思わずじっと顔を見てしまう。
「そんな目で見るな!」
「ひぇっ」
見ていただけなのに急に怒られた。
「初と同じ、その目で!」
さっき聞いた、私のおっかさんの名前だ。
私は、どうやらかなりおっかさんに似ているらしい。しかも、そのことが清太郎父の逆鱗に触れてしまっているらしい。
それはもう、自分でもどうしようもない。似ているからといって怒りをぶつけられるのは理不尽すぎる。
それはいいとして、
「私のおとっつぁんをあんな目に遭わせたのは、あなたなんですか?」
もはやここまで来ると確定しているようなものだが、まずは問わねばならない。でないと始まらない。
「おとっつぁんになんの恨みがあるんですか! おとっつぁんは密売なんて、そんなことをする人じゃないんです! うちの店の方が繁昌してるからって、ひどくないですか!?」
「……ぐっ」
清太郎父は悔しげな顔をして、言葉に詰まっている。
「お前は初に似ず、わがままな娘ではなかったのか? そんなことを言うためにここまで来たというのか? アイツのために?」
「そうだよ! あなたがやったっていうなら、おとっつぁんの無実を証明してやる! 奉行所に訴えてやる!」
私は素のままで叫んでいた。
「旦那様、こんな娘は放っておきましょう。奉行所に訴えるといってもここから出られるわけがありませんし」
「……そうだな」
番頭さんに促されて、清太郎父は出て行ってしまおうとする。
「え、ちょっ! ここに放置?」
「で、この娘は処分なさいますか?」
「しょ、処分……」
今、めちゃくちゃ怖い単語が出た。
その単語が示す未来は……、殺されるか、どこかに売り飛ばされるか……。
「待ってー! 処分とか、なにー!?」
私はじたばたともがく。しかし、思いっ切り縛られているせいで全然元の場所から動けない。
ただおとっつぁんを助けたくて、弥吉を救いたくて、何も考えずに突っ走ってここまで来てしまった。何も勝算なんてなかった。それでも、どうにかなるんじゃないかと思っていた。
時代劇の醍醐味は勧善懲悪なのだから。
すなわち、正義は勝つ。
悪は滅びる。
だけど、これはヤバい。
確かに悪は滅びるけれど、ゲストキャラがほとんど死ぬシリーズもある。
そっちだと、困る。私は、死ぬ運命のゲストキャラの立ち位置なのか?
「本当に向こうの大黒屋の娘なのですか? 振る舞いが商家の娘には見えませんが」
「確かに初の面影はあるのだが……」
「誰か助けてー!」
私は力一杯、声の限りに叫ぶ。とにかく出来ることをするしかない。
今の私に出来ること。それは、ただ助けを呼ぶことだ。情けないけれど、なりふりかまっていられない。
まずは自分が助からないと、誰も助けることなんか出来ない。
「誰かー!」
最悪店の中の人がみんな悪人だとしても、この店の敷地外、塀の向こうまで聞こえていれば通行人が助けに来てくれるかもしれない。誰かが通報というか、
と、思ったのだが、
「ちっ」
番頭さんが舌打ちをして蔵の扉を閉めた。
一気に静寂が訪れる。元々防火のために頑丈に作られている土蔵は防音効果が高いのか、扉を閉められてしまうと外の音が聞こえなくなった。と、いうことは私の声も外には届かない。
再び、私を閉じ込めている男二人と薄暗くなった蔵の中でにらみ合った。というか、にらみ付けてやっている。せめてもの抵抗だ。
「もうやっちまいましょうか」
「……っ」
番頭さんが物騒なことを口にする。
私は声にならない悲鳴を上げた。
冗談には聞こえなかった。今のニュアンスは、確実に殺す意味の『殺る』だった。
「むう」
清太郎父が唸りながら眉間に皺を寄せている。これは、悩んでいる。
「私にはこの娘を生かしておく価値があるとは思えません。こいつさえいなければ、向こうの大黒屋はもう絶えたも同然でございますよ。せっかくここまでやったんじゃありませんか。万一こいつが逃げ出して本当に奉行所にでも駆け込んだらどうなさいます。それこそ、旦那様が危うくなるじゃありませんか」
番頭さん、いや、番頭が畳みかけるように言う。こんなやつに『さん』なんてつける必要はない。完全に悪党だ。
清太郎父の方はというと、番頭の言葉になかなか答えない。苦悩しているように見える。
二人のやりとりを見ていて思った。
なんだか変だ。
さっきから、私をどうこうしようと言っているのは全部番頭だ。
「ひと思いに、やっちまいましょう。それとも、口がきけないようにしてどこかに売り飛ばしますか?」
「いーーーーーーやーーーーーーー!」
あまりに怖いことを言われて、私は今度こそ悲鳴を上げてしまう。
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