第25話 ヒーロー現る!
番頭が私に近付いてくる。
ただ一人、頼みの綱の清太郎父も止めてくれる様子もない。
番頭のように怖いことは言っていなくても、やはり悪人なのだろうか。ただ、自分では手を下さないだけだということなのだろうか。
おとっつぁんの顔の怖さなんて目じゃない。おとっつぁんは、生まれつきああいう顔なだけだ。
今私に近付いてくる男の顔が、本当の悪人の顔だ。
「嫌だーーーーーー!」
「おとなしくしろ!」
番頭が私に手を掛けようとしたとき、薄暗い土蔵の中に光が射した。
眩しい。
扉を開けた人はシルエットになっていて、誰だかわからない。
誰かが助けに来てくれたのだろうか。番頭の仲間が来たのなら更にピンチになるだけだ。
私は目を細めて、その人物を見た。
ひょろりとしたその姿。
「……清太郎!」
私は思わず叫んだ。
「清太郎?」
清太郎父の呟きも聞こえた。
「何をしに来たんだ。蔵には近寄らないようにと言っただろう」
「叫び声が聞こえたんだよ」
やっぱり清太郎の声だ。目も慣れてきて、姿も見えた。
息を切らしながら、清太郎が立っていた。こっちを向く。
「……美津?」
清太郎が私の名前を呼んだ。前はおめぇとかお前としか呼んでくれなかったけど……。
「私の名前、知ってたんだ。呼んでくれないから知らないかと思った」
「当たり前だろ。子どもの頃から知ってるんだからよ。嫌みか? って、それどころじゃないだろ。この状況!」
清太郎はずんずんと土蔵の中に入ってくる。
「なんなんだよ、これは! どうして美津がここにいるんだ!? しかもこんな姿で! 答えろよ、親父!」
「……これは」
清太郎父は答えることが出来ずにいる。
清太郎の様子を見ていると、私が自分の家の土蔵に閉じ込められていることなんか知らなかったみたいだ。その上、殺されそうになっていることも。
それになんだか、私を心配してくれているように思える。
こうして清太郎が駆けつけてくれたのは、扉を閉める前に私の声が外に届いていたということだ。
諦めずに叫んでよかった。
「大丈夫かっ!?」
何も答えない父親にしびれを切らしたのか、清太郎が私の方へと駆け寄ってくる。そして、私を縛っている縄をほどきだした。
「いたたっ」
「すまん。くそっ、固てぇ」
清太郎は必死で縄をほどいてくれようとしている。助けようとしてくれている。
ただ、無理矢理ほどこうとすると縄がよけいに食い込んで痛かった。
「よけいなことをするな!」
怒鳴り声がして次の瞬間、
「ぐっ!」
清太郎が突き飛ばされた。清太郎が床に転がる。
「清太郎!」
私は叫ぶ。
「なにすんだよ!」
床で打ったらしい腰をさすりながら、清太郎が突き飛ばした張本人をにらみ付けた。
清太郎を突き飛ばしたのは、番頭だった。
清太郎父は何が起こったかわからないように、番頭と清太郎を交互に見ている。
「清太郎に何をする!」
一呼吸遅れて、清太郎父は叫んだ。
「なに、とは? 当たり前でございますよ。この娘が逃げ出したら、悪事がバレてしまいます。いくら若旦那でも、こんなことをされてしまってねぇ、旦那様?」
にたり、と番頭が不気味に微笑む。
「親父! なんなんだよ!? こいつの大黒屋の足を引っ張ってやりたいってのは前から知ってたけどよ。俺だってあの瓦版を配るよう手引きしたり、取り立てに行ったりしてたからな」
「……!」
今、清太郎は瓦版の手引きをしたと言った。
「瓦版、あれもそうだったの」
「……今は、悪かったと思ってんだ。うちの店のためだって、言われたら仕方なくてよ」
清太郎は私の方を見ないまま言った。なんだかんだ言って、素直な性格らしい。それを利用されていたのかと思うと、無性に腹が立った。
清太郎は父に向けて声を上げる。
「けどよ! こんなのは聞いてないぜ!? こいつに直接危害を加えるなんて、親父がそこまでするなんてよ。そこまでして、どうするんだよ。こいつを人質にでもして何かするつもりなのか?」
「清太郎」
「なんだよ」
私が呼ぶ声に、清太郎は振り向いた。
清太郎は、私のおとっつぁんが捕まったことを知らないようだ。
私がこんな目に遭っていると知っただけで、自分の父親に不信感を抱いているようなのだ。清太郎は弥吉の妹が人質にされていることすら知らされていないのかもしれない。
「私のおとっつぁんが奉行所に連れて行かれちゃったんだよ。やってもいない罪で! ここに来れば何かわかるかと思ったんだけど。来てみたら後ろから殴られて気を失ってるうちに捕まっちゃったみたいで……」
「はぁ? なんだよ、それ。うちが関係して……。親父!?」
キッと清太郎が父を睨む。
「それ、は……」
「はぁ」
いまいち言葉にキレがない清太郎父に、ため息を吐いたのは番頭だった。
「旦那様、何をそんなに弱気になっていらっしゃるんで? 邪魔をするなら若旦那も一緒に始末すればよろしいではないですか」
「なっ!?」
清太郎父の顔色がさっと変わった。
「なっ!?」
思わず私も清太郎父と同じ声を上げてしまう。
「もちろん旦那様も一緒に、ですがね」
「「「……!」」」
ここにいる番頭以外の三人が、声にならない声を上げた。
声が、出なかった。
「お、お前っ。何を言ってやがんだよ!」
最初に声を上げたのは清太郎だった。意外だった。
いつの間にか清太郎は私と番頭の間に入っている。まるで、守ってくれているように見える。清太郎の背中が、今はとても頼もしく見えた。最初はチンピラみたいな人だと思っていたのに、今はちょっぴりヒーローに見える。
「お前は、私を手助けしていただけではないのか?」
清太郎父の声が震えている。
「旦那様はあの大黒屋喜兵衛が憎かったのでしょう? それで、なんとか陥れてやりたいと思っていた。そのために、偽の瓦版を作って悪い噂を立て評判を落とそうとしたり、息のかかった丁稚を紛れ込ませて罪をでっち上げたり、色々と細工をされていたのですよね? 私はそれをお手伝いしただけでございますよ。もちろん、自分のために、ですがね」
「自分のため? 貴様! 騙していたのか?」
「罪をでっち上げる? そんなことまでしていたのかよ。親父。向こうの評判を落として、うちを使う客を増やすだけじゃなかったのかよ。俺にはそう言ってたよな。本当は、それもどうかと思ってたけどよ……!」
清太郎に詰め寄られて、清太郎父が後ずさりした。
「……最初は少し嫌がらせしてやろうと思っていただけだったんだ。だが、段々とこいつの口車に乗せられて……」
「そうですとも、自分の店からのれん分けをした店の方が繁盛している旦那様は、それが憎かった。そこで、喜兵衛が罪を犯していることにして奉行所の注意をそちらに向ける。その間に、こちらの大黒屋で大口の密売を行っていた」
「な、何? 私はそんなことまではしていないぞ!?」
「そういうことにするのです。大黒屋喜兵衛が無実の罪で捕まり落ちぶれたところで、旦那様も罪を犯していたことにして、私がこの店を頂く。いい筋書きではないですか。もちろん、そちらの準備も出来ておりますのでご心配なく」
「き、貴様!?」
どうやら、こちらの番頭がよくあるパターンで悪人だったようだ。清太郎父は、そこまで悪いことをしようとはしていなかったのに、番頭に操られてしまっていたようだ。
「そんなことが通ると思うなよ! 誰かー! 誰かおらぬか!?」
清太郎父が扉の外に向かって叫ぶ。が、
「無駄でございますよ、旦那様」
いつの間にいたのか、蔵の入り口にどこに待機していたのか、ザッと幾人もの影が現れた。
「お前たち、は!」
「私の息の掛かった者たちです」
にたり、と番頭が口の端をつり上げる。
「くっ」
清太郎が歯がみする。
私はといえば、未だに縄で縛られたままでイモムシのようにしか身動きできない。にじにじと這いずって逃げようとしても、あの男たちに捕まってしまうのは明らかだ。
あの人数では清太郎と清太郎父が力を合わせても突破できるかわからない。
しかも、こっちは丸腰だ。さすがに駆けつけてくれた清太郎も刀の一本も持っていない。
一方、現れた男たちはみんな手に刀を持っている。
これは、あれだ。
時代劇によくある『であえであえー!』の合図で出てくる、どこに待機していたかよくわからない人たちだ。
「ぐぬぬ」
私はにごにご動いて必死で抵抗を試みるが、どう考えたって抵抗できる力が少なすぎる。
「やってしまえ!」
番頭が叫んだ。
時代劇ならここでヒーローが現れるところだ。だけど、まだ来ない。引っ張りすぎだ。
だけど、その代わりに、
「美津!」
清太郎が私の名前を呼びながら、守るように抱きしめた。
男たちが近付いてくる。
私はもはやこれまでと覚悟して、目を閉じた。
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