第20話 丑三つ時に干し芋を

「ふぁ~」


 なんだか寝付けなくて、私は夜の廊下を歩いていた。今のところ実害はないのだけれど、うちの店になにかあったらどうしようとか、色々と考えていたら眠れなくなってしまった。

 遅い時間になってしまったせいで夕飯がもう消化されてしまったのか、お腹も空いてきた。


「ぐるる~」


 年頃のお嬢様とは思えないお腹の音が、薄暗い廊下に響く。


「ううー、止まれー」


 私はお腹に話し掛ける。

 しんと静まり返っているところに響かせるような音ではない。

 店のみんなはもう眠ってしまっているようだ。ちなみに江戸時代の奉公人は基本みんな住み込みで働いている。雪ちゃんも政七さんも弥吉もここに住んでいるということだ。番頭さんは結婚していてどこかから通っていると言っていた。番頭さんくらいになると別で家を持つことが許されることになっているみたいだ。

 そんなわけで、明日も仕事がある奉公人のみんなを、音を立てて起こしてしまっては悪い。足音も出来るだけ立てないように忍び足で歩く。廊下の床は結構しっかりしているので、ぎしぎし音を立てたりしない。

 ただ、その分お腹の音が余計に目立つのが難点だ。


「台所に何かあるかな?」


 残ったご飯でおにぎりとか、せめて漬け物くらいはあるはずだ。とにかく何かお腹に入れて、この音を止めたい。

 このままでは、


『怪奇! 真夜中に響く音!?』


 みたいなサブタイトルが出来てしまう。

 台所に向かおうとしていると、廊下の先をなにかが横切った。月明かりでぼんやりとなにかが見えた。


「ひえっ」


 私は小さく声を出してしまう。


「だ、誰かいるのかな……。まさか、幽霊じゃ……。と、トイレも行きたくなってきた。……どうしよう」


 足がすくんで、足を止めてしまう。進むのが怖い。

 自分の家なのに情けない。だけど、現代と違ってすぐ家の中を明るく出来ないせいで、廊下の隅なんか何があるかわからないくらい暗いから怖い。昔の日本家屋にはそういう怖さがある。

 このまま部屋に逃げ帰りたいが、この歳になってトイレを我慢しておねしょなんかしたら恥ずかしすぎる。

 まずは落ち着くために深呼吸だ。


「ぐ~」


 息とは違う音が出た。

 やっぱりお腹も空いている。こんな時にまでどうしようもないお腹だ。

 私はとりあえず台所に向かうことにする。暗くてよくわからなかったから、気のせいかもしれない。台所はこの先だ。


「気のせい気のせい。……お化けなんていないもん、ね」


 などと自分を元気づけてはみるものの、


「ううー、やっぱり部屋から出るんじゃなかった、かな……」


 こういう時は曲がり角も怖い。見えないところから急になにかが出てきたらどうしよう、と考えてしまう。

 この角を曲がれば台所だ。

 私は恐る恐る廊下の角から向こう側をのぞく。さっきの影もそっちの方向に行ったような気がしたからだ。


「よし、誰もいな……ん」


 指さし確認しようとした私は、ぼんやりと浮かぶ人影を見た。


「……!」


 こういう時って、意外と声なんか出ない。私は声にならない悲鳴を上げる。つまり、悲鳴は出てない。

 台所の向こうにある蔵のあたりから人影がこちらに近付いてくる。


(お、お化けっ!)


 もはや声が出ないので心の中で叫ぶしかない。逃げようと思っても足が動かない。


(あれ?)


 近付いてくるにつれて、人影がハッキリしてくる。意外と小さい。


(小さいお化け?)


 こんな光景を前にも見た気がする。


(なんだっけ? あ)


 思い出した。迷子になったときに、見た人影。

 思い出した途端に、その人影が誰かわかった。お化けなんかじゃない。


「……弥吉?」


 さすがに夜も遅いので小さく声を掛ける。


「……っ!」


 人影が飛び上がった。


「弥吉、だよね?」


 人影がぎぎぎぎ、とこちらを向く。そして、目が合った。


「やっぱり弥吉だ」


 その顔を見て、私はほっと安堵の息をつく。力が抜けた。

 お化けだとばかり思っていたけれど、蔵の方から来るなんてもしかしたら夜盗かもしれなかった。夜盗なんかに一人で遭遇していたら、どうなっていたかわからない。


「おおおおお、おじょ、おじょうさま」


 一方、弥吉の方は全然ろれつが回っていない。暗闇で、しかもこんな時間に会うことなんて普通無い。かなりびっくりさせてしまったようだ。前の時もこんなだった気がする。


「どうしたの? こんな時間にこんなところで」

「お、お嬢様こそ」

「私? 私はお腹空いちゃって。台所に何かないかなーと思ってさ。あ、もしかして弥吉もだった?」

「は、はい!」


 ものすごくぎくしゃくしながら弥吉が答える。


「今、蔵の方から来たみたいだったけど」

「そ、それは……」

「あ、わかった! 暗いからよくわからなくてあっちまで行っちゃったんでしょ? それか寝ぼけてた? 私もよく見えなくて困ってたんだよー」

「そそそ、そうですっ」


 暗くて顔がよく見えないけれど、弥吉は思いっ切りぶんぶんと顔を縦に振っているようだ。うっかり間違えてしまった照れ隠しだろうか。


「こんな薄暗いところで動く人影があったから、お化けかと思っちゃった。びっくりしたなあ、もう」

「……」


 弥吉は呆れているのか黙っている。私の方が年上なのに、そんな反応をされると恥ずかしいではないか。


「ね、じゃあ、二人で何か探す? 食べれるもの、台所にあるかもしれないし」

「い、いえ、おいらは、じゃなくて、わたしは……」


 ここまで来ておいて弥吉は遠慮している。来てみたものの、私に見られて勝手に食べるのはダメだと思い直してしまったようだ。確かに、弥吉が一人だけで勝手に台所のものを食べてしまったら怒られるかもしれない。それなら、


「いいって、せっかくこんな時間に起きてる仲間だし。行こ行こ。もし勝手に食べて怒られそうになったら、私が一緒だったって言うから。大丈夫だよ」


 私はぽんぽん、と弥吉の肩を叩いた。

 なんだか震えている。


「大丈夫? もしかして、暗いの怖かった? それとも、私が急に出てきたから?」


 弥吉はぷるぷると今度は首を横に振る。


「ほら、行こう。お腹がふくれたらきっと落ち着くよ」


 私は弥吉の背中を押して、台所へと向かった。




 ◇ ◇ ◇




「やった、干し芋だ」


 台所の棚に置かれた干し芋を見つけて、私は声を上げた。これなら明日の朝ご飯には関係ないだろうし、後で雪ちゃんに夜食にしてしまったことを伝えれば大丈夫だ。しょうがないですね、とか言われてため息は吐かれるかもしれないが、それはやむなしだ。


「はい、弥吉」


 一つ取ってまずは弥吉に渡す。弥吉は一瞬躊躇したように止まってから、おずおずと手を伸ばして干し芋を受け取った。


「じゃ、私も」


 私も一つ手に取ってかぶりつく。


「うん。美味しい。甘い」


 これなら芋だからお腹もふくれて、お腹の虫も静かになってくれるに違いない。うまうまと私は干し芋を頬張る。


「美味しいね、弥吉」


 同じく干し芋に食べているだろうかと弥吉を見ると、


「あれ? 食べないの?」


 干し芋を持ったまま固まっていた。


「大丈夫だよ、怒られないから。というか、なんか言われたら私が代わりに怒られるし」


 と、言っても弥吉はうなだれたままだ。それどころか、床にしゃがみ込んでしまった。


「どうしたの? 大丈夫? もしかして、お腹痛い、とか?」


 声を掛けても、弥吉はうずくまったまま動かない。


「弥吉?」


 私はどうすればいいかわからなくて、弥吉の背中をさする。さっきと同じように弥吉は震えている。


「調子悪くなっちゃったかな、誰か呼んでくる?」


 今度はぶんぶんとうずくまったまま、首を横に振った。


「ダメだよ。弥吉のことが心配だよ」

「……大丈夫、です。なんでもないです」

「あ、弥吉。無理しちゃ……」


 弥吉はふらふらと立ち上がる。そして私の手に干し芋を押しつけるように渡すと、台所から出て行こうとする。


「部屋、戻ります」

「ちょ、ちょっと。部屋まで送るよ」

「いい、です」


 弥吉はそう言うけれど、全然大丈夫じゃなさそうだ。


「弥吉、無理しないで」


 私が肩を貸そうとすると、弥吉はバッと私の手を払った。


「……弥吉」

「ご、ごめんなさい。お嬢様」

「ううん、大丈夫」


 ちょっとびっくりしたけど、あまり触られたくない時だってあると思う。


「本当に、大丈夫です」


 顔色も悪くて気になっても、そこまで言われると無理矢理ついていくのもためらってしまう。


「気を付けて戻るんだよ」


 心配でしょうがないけれど、ただそれだけ言って見送るしか出来なかった。

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