第14話 若旦那を追え!
この前、政七さんと一緒に外に出たときに大人しくして何事も無く店に帰ったからか、次に外に出してもらうのは割と簡単だった。おとっつぁんも私を閉じ込めておきたいわけではなかったようだ。
あれから、おとっつぁんは私を見てもすぐにどこかに行こうとはしなくなった。
まだ顔を合わせるのに慣れていないのか、話したりすることは無い。娘と何を話していいかわからない父親、みたいなものだろうか。私もおとっつぁんとはこれまで話したことが無いので、何を話していいかわからないのは同じだ。
無言なのも嫌なので、まずは『おはよう』とか『おやすみ』とか『今日もお疲れ様!』とか、一言なにか声を掛けるようにしている。そうすると、おとっつぁんはあの笑みを浮かべるのだ。ちょっと怖いけれど、あれが娘を見て嬉しくて出ている笑みだと思うと優しげに見えてくるから不思議だ。
「どうしました? お嬢様。ご機嫌そうですね」
「そうですか?」
今日もお供で付いてきてくれている政七さんに言われて、私はえへへと笑う。
おとっつぁんと仲良く出来ているのは、自分で思っていたより嬉しいみたいだ。
「お嬢様が旦那様と話すようになってから、なんだかお店の中が明るくなった気がします。旦那様もなんだか嬉しそうですし」
「あ、やっぱり」
「やっぱり?」
「あの笑い顔って、喜んでるんだなーって」
「……お嬢様。確かに私もあの顔は最初、少し……、驚きましたけど」
「政七さんも、そう思ってたんだ」
「旦那様には内緒ですよ」
「わかってまーす」
政七さんと二人で笑う。
私も、おっつぁんと話せるようになってから、なんだか店の中がほんわりと優しい空気になったような気がしていた。前から悪い雰囲気の店ではなかったけれど、それが輪を掛けて温かくなったような、そんな気がする。
うちの店、大黒屋はいい店なのだ。おとっつぁんはいい主人だし、取引だって適正に行っている。お得意様には美味しいお菓子なんか出してしまったりして、悪いところなんてどこにも無い。
ちなみに、あのおまんじゅうはあの後私も買ってきてもらって食べた。あんこの上品な甘さが絶品で、生地もふんわりと柔らかくて、すごく美味しかった。そんな美味しいお菓子をわざわざお得意様のために買ってくるようないい店なのだ。
思い出しただけでヨダレが出る。あれはテンション上がって時代劇の裏取引みたいになってもしょうがない。
それはそれとして、おまんじゅうのことは置いておいて、だ。
そんな平和な大黒屋を誰かが陥れようとしているかもしれないのだ。トヨさんはまだ確証は無いと言っていたけれど、誰かうちの店を恨んでいる人がいるのを疑ってしまう。
今日も、あの瓦版売りがいないかとさっきからきょろきょろと周りを見回しているのだが、こういう時に限っていない。時代劇なら、町を歩いていて事件と関係あることに行き当たらないわけがない。
怪しい人がいるとか、誰かが騒ぎを起こしているとか、なんかもうよくわからないけどソレっぽい人がいるに違いない。
唸りながら歩いていると、
「ん?」
前を歩いていたはずの政七さんの姿がいつの間にか無かった。
「あれ?」
さっきまでは確かにいたはずだし、話していたのに。
「はぐれた?」
考え事をしていたせいで、周りを見ていたつもりで政七さんのことが見えていなかった、らしい。
「うわ、またおとっつぁんに心配される……」
また外に出してもらえなくなったら大変だ。
政七さんの姿を探す。
そんな私の耳に、なんだか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「なんだぁ、てめぇは。人にぶつかって来やがって」
このどう聞いてもタチの悪いチンピラのような声を、私は知っている。声の方へ足を向ける。
いた。
前にうちの店に怒鳴り込んで来た、あのチンピラ若旦那だ。今日も取り巻きのいかにも悪そうな男の子たちと一緒だ。
若旦那の前には、おばあさんが座り込んでいる。というか、倒れて腰を抜かしている、と言った方が正しそうだ。
「も、申し訳ありません。前がよく見えなくて」
「ああん」
おばあさんは怯えているように見える。どこにでもいるような善良そうなおばあさんだ。どう見たって、若旦那の方が悪い。しかも、あんな風に囲まれたら怖くなってしまう。
周りに人はぽつぽつと歩いているのだが、関わり合いになりたくなさそうに足早に歩いている。
「……なんなの、あれは」
カッと頭に血が上った。
おばあさんを転ばせておいて、手を差し伸べることもせず。あろうことか、いちゃもん付けるなんて許せない。
こういう時こそ、時代劇のヒーローが現れそうなものだけど、誰も足を止める様子は無い。豊次さんも現れる様子は無い。
「ちょっと、アンタたち!」
「ああ? なんだ、おめぇは」
気付けば私が飛び出していた。ヒーローが来ないなら、誰がおばあさんを助けるってんだ。
「大丈夫ですか?」
私は、おばあさんに手を差し出す。そして、負担を掛けないようにそっと助け起こした。背中に荷物を背負ったおばあさんは思ったよりも軽い。こんなおばあさんを突き倒すなんて本当に許せない。
「ああ、すまないね。よっこいしょ」
「ケガは、無いですか?」
「ありがとうよ。江戸に出てきたばかりで、慣れなくてね」
私はおばあさんの着物についていた土埃を払う。そして、若旦那に向き直る。
「アンタね! こんなおばあちゃんを突き飛ばして何してんの!? ケガしたらどうすんの? 助け起こすくらいしなよ!」
「は? なんだ? って、お前! あっちの大黒屋の……」
「そうだよ!」
若旦那が、目を丸くして私を見ている。もしかして、口答えされることが無かったりするのだろうか。この人も私と同じ大店のボンボンだ。
こうして近くで見ると、年は私と同じくらいに見える。多分、取り巻きたちもそうだ。
怖くなんか、ない。少し足が震えるけど。
見過ごせるわけがない。
「大体、ぶつかってきたってなんなの。お年寄りなんだから、そっちが気を付けないといけないに決まってるでしょ!?」
「は? ぶつかってきた方が悪いんだろうが!」
「はぁ? おばあちゃんのことを棚に上げて! 自分だって前を見てなかったのが悪いんでしょ!」
「俺が、悪い?」
私は若旦那とにらみ合う。見えない火花が飛んでいるのが見えるようだ。
「ふざけんなてめぇ!」
「俺たちに逆らうとはいい度胸してるじゃねぇか」
取り巻きたちも私をにらみ付けてくる。
「あ、あの。お嬢さん、もういいんだよ。私は、こうして声を掛けてもらえただけで。江戸にもいい人はいるもんだねぇ」
「……おばあちゃん」
「お嬢さんまで何かあったら大変だからね」
そう言われてしまうと、私は……。
「こんな優しいおばあちゃんに、なんてことを!」
私はずいずいと若旦那に詰め寄る。
「なんなんだよ、お前」
若旦那が後ずさりした。
そして、
「もういいっ。お前ら行くぞ」
「放っておいていいのか?」
「ああ。向こうの店ともめ事にでもなったら厄介だ」
フン、と鼻を鳴らして、若旦那は立ち去ろうとした。しぶしぶ、取り巻きたちもそれに続く。
「あ、こら。せめておばあちゃんに謝りなよ!」
「知るかっ」
若旦那が走り出した。
「お、おいっ」
「待てよっ」
「なんで俺たちが逃げるんだよっ」
取り巻きたちが若旦那を追っていく。
「ちょ、待てー!」
「お嬢さん!」
「あ、おばあちゃん。気を付けてねっ!」
おばあちゃんに振り返って笑ってみせると、私は若旦那たちを追った。悪党にありがちなことに、逃げ足が速い。
「止まれー! 待て、こんにゃろー! 待ちやがれぃ!」
私は怖さなんて忘れて、彼らを追うことしか考えていなかった。
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