第15話 袖繋ぐのも多少の縁

 着物の裾が邪魔でやっぱり走りにくい。

 それでも私は走った。が、


「どこ行きやがった」


 私の前を走っていた若旦那の姿は見えなくなってしまった。私には、この町の土地勘というものが全く無い。


「ぐぬぬ」


 いつの間にか、なんだか薄暗い路地に迷い込んでしまっていた。人通りも、さっきはあんなにあったのに今は無い。

 悪人が逃げ込むには絶好の場所だ。


「でも、悪い人じゃないって、思ったんだけどな……」


 がっかりしてしまった。前に子犬を優しそうに撫でているところを見てしまったから、本当は優しい人なんじゃないかと思っていた。若旦那のことをよく知らないのに、裏切られたような気分になってしまった。

 カッとなって追いかけてしまった。それもある。だけど、どうしてあんなことをしたのか聞きたかった。

 それで、全力で走ってしまった。

 見失ってしまったのは悔しい。

 せめて一言謝って欲しかった。私ではなく、あのおばあちゃんに。

 あのおばあちゃんは、ちゃんと無事だろうか。本人は大丈夫だと言ってたけれど、本当にケガをしていないといい。


「それにしても……」


 と、私は呟く。


「ここは、どこ」


 頭に血が上って全力で若旦那を追いかけて来てしまったせいで、どこをどう走ったのか全然覚えていない。

 周りを見回す。全く見たことがない場所だ。別にスラム街とかそんな感じではなくて、綺麗な町並みではあるのだけど、大通りとはまた違う。

 政七さんも私のことを探してくれているとは思う。さっきの大通りなら、すぐ見つけてくれたに違いない。


「だけど……」


 少し、あの場所から離れすぎた。政七さんがこんなところまで探しに来るかはわからない。


「どうしよ」


 また、おとっつぁんが私のことを心配してしまう。これ以上迷子になった実績なんか作ったら、今度こそいつまで外に出してもらえなくなるかわからない。そんな実績いらない。

 人が歩いていないから、道を聞くわけにはいかない。山で遭難したときは下手に動かない方がいいと言うけれど、人がいないところで迷子になったら一体どうすればいいのか。


「んー、まずは歩いてみるか。誰かいたら道、聞いてみよっと」


 じっとしていても始まらない。

 私はとりあえず動くことにした。




 ◇ ◇ ◇




 そして、


「わからん」


 完全に迷子だった。


「なんか、店はあるみたいなんだけど……」


 目の前に何かの店はある。が、人が出てくる気配はないし、店構えはなんだか一見さんお断りっぽい雰囲気が漂っている。うちの店のように広い入り口ではなく、小さく看板が出ていて、料亭の入り口のような風情のある門がある。


「これって、時代劇とかでよく見るような入り口なんだよね」


 時代劇の場合、同じ建物がそのときによって料亭だったり、船宿だったり、大店の裏口だったり色々と使い回されるから正直見分けはつかない。

 ただ、どうやら店の向こう側に川があるようだから、これは船宿だろうか。時代劇では悪人たちがよく悪巧みの密談なんかしている場所だ。

 だとしたら、中に入って道を聞くのもちょっと怖い。


「って!」


 本当にそんなことが行われているなら、うちの店を陥れる相談なんかが行われている可能性もある。

 なにしろ、時代劇の中では、主人公は歩いていれば今まさに追っていることと関係のある事件に当たるのだから。


「忍び込んで、みる、か?」


 私が中をうかがおうとしていると、建物の中から人影が出てくるのが見えた。


「やばっ」


 咄嗟に私は道端にあった防火用水の陰に隠れた。江戸の町は火事が多いから桶に入った水が防火用として道端に置いてある。天水桶てんすいおけというやつだ。町を歩いていたときに所々にあるなと思って見ていたら、隠れる場所になって助かった。

 これで、いかにもな人が出てきたらどうしようと思っていると、


「ん?」


 出てきた人影はなんだか小さかった。子どものように思える。というか、子どもだ。きょろきょろと周りを見回しながら、その人影は入り口から出てくる。

 その姿に見覚えがあった。


「あれ?」


 ひょこり、と私は天水桶の陰から顔を出す。警戒するような人物ではなかったからだ。


「……弥吉?」

「お嬢様!?」

「やっぱり、弥吉だ!」


 私の顔見て、弥吉は固まっている。


「ごめん! びっくりした? そうだよね、突然こんな陰から出てきたら驚くよね」


 自分の店のお嬢様が、物陰からいきなり現れて驚かないわけがない。これではドッキリだ。

 が、そんな弥吉とは逆に私はほっとしていた。

 知っている顔に会えたのだ。

 てっきり悪人が出てくると思っていたところに顔をよく知っている弥吉が出てきたら、安心するに決まっている。


「はー、これで家に帰れる。弥吉はどうしたの、こんなところで。あ、わかった。またお使い頼まれてたの?」

「あ、は、はい! そうです」

「こんな店にも来ることあるんだ。へー。ここって船宿かなんか?」


 私に聞かれて、弥吉がこくこくと頷く。おどおどしているのは、まだ私がいきなり現れてびっくりしているからなんだろう。

 うっかり悪事の密談にでも使われているところかと思ってしまったが、うちから弥吉のような子どもをお使いに行かせるような店だ。安心安全なところに違いない。誤解するところだった。


「お嬢様はどうしてこんなところに?」

「私? 私は政七さんと一緒だったんだけどはぐれちゃって、迷子だよ」


 あはー、と私は笑う。


「だから、弥吉と会えてよかったよ。ここがどこか全然わからなくてさ」

「迷子……。そ、それなら、すぐ帰りましょう。こっちです」

「頼りになるー!」


 弥吉が私の袖を引っ張る。すぐにでも案内したいようで、気持ちが焦っているようだ。


「そんなに慌てなくても大丈夫だよ」

「……早く行きましょう」

「ちょ、待って待って」


 私の制止も聞かずに、弥吉は私をぐいぐいと引っ張った。

 ぶっきらぼうだけど、一生懸命案内しようとしてくれているのだろうか。それとも、もう迷子にならないようにしっかりと私を掴んでいてくれているのだろうか。

 無言で引っ張っていく姿が小学生くらいの男の子って感じで、ちょっと可愛い。あまり話さないけど、優しい子だなと思う。




 ◇ ◇ ◇




「お嬢様! よかった……」


 大通りに出たところで、政七さんとも合流できた。どうやら、突然いなくなった私をずっと探していたらしい。私からしたら政七さんが消えてしまったのだが、考え事をしていたのが悪いと思うので何も言わずにおいた。政七さんは悪くない。


「それにしても、弥吉と会えてよかったですね。ありがとうな、弥吉」


 政七の言葉に、弥吉が無言で頷く。


「お嬢様を見つけるなんて偉いぞ。私がいくら探し回っても見つけられなかったんだからな。それに、手を繋いでいるように見えたんだが」

「あ、それはですね。私がもう迷子にならないようにわざわざ引っ張っててくれたんですよ。ね、弥吉」


 同意を求めると弥吉は、ぷいとそっぽを向いてしまった。恥ずかしがっているみたいだ。さっきも政七さんの姿が見えた途端に、慌てて私の袖から手を離していた。


「こら、お嬢様に向かって」

「いいのいいの。ね、弥吉」


 この年頃の男の子なんだから、女の子と手を繋いだ(実際には袖だけど)なんて照れてもしょうがないと思う。


「お嬢様がそうおっしゃるなら……。弥吉もお使いに出ていたのか。どこに行ってたんだ?」

「……」


 弥吉は再び無言になる。


「あのね。ふなや……」

「わーーーーー! あっ、あのっ。そろそろ店が見えてきましたよっ」


 弥吉が答えないので私が代わりに答えようとすると、急に弥吉が大きな声を出した。


「本当だ。よかったー」


 迷子になったときは無事に帰れないかと思った。


「そうだ。政七さん」


 店が目前になったところで私は改めて、政七さんに向き直る。


「迷子になったことは、今回はおとっつぁんに秘密にしちゃダメですか?」

「……お嬢様」


 政七さんが、うーんと唸る。そして、


「そうですね。旦那様がまた心配してしまいますし、今回はそうしておきましょう。私の不注意もありますからね」

「やったぁ!」

「弥吉もいいかい?」


 こくりと弥吉も頷く。

 そうして、何事も無く(?)私は店に戻ることが出来た。

 弥吉はおつかいの報告にでも行くのか、さっさと店の奥へ行ってしまおうとする。その後ろ姿に、


「弥吉、ありがとう! 本当に助かったよー」


 私は声を掛けた。弥吉がいなかったら、まだ迷子のままだったかもしれない。本当に感謝していると伝えたかった。

 弥吉は立ち止まって、少しだけ顔をこちらに向けて頭を下げたように見えた。そして、今度は走って行ってしまう。

 そんな後ろ姿を見送ってから、政七がぽつりと言った。


「弥吉はお嬢様には懐いているのですか?」

「へ?」


 意味がわからなくて、私は首を傾げる。どちらかと言えば、あまり懐かれてはいないような気がする。あまり話してくれないし、話しか掛けてもすぐにどこかに行ってしまおうとする。一方的に可愛いなとは思っているけれど。


「いえ、弥吉はまだこの店に来たばかりなのですが、私や雪が話し掛けてもあまり返事もしてくれませし、他の誰とも打ち解けた様子がなかったもので。年の近い奉公人もいないので、一人でさみしくないかと心配しているのです。どうやら身寄りも無いようで」

「そうだったんだ……」


 全然知らなかった。

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