第16話 まんじゅううまい

「ぐぎぎ、あいつ許さん」

「眉間に皺、寄ってるわよ。美人が台無しじゃない」

「ぐぬー」


 例によって私はトヨさんに髪を触られながら、あったことを話していた。このやりとりも段々と恒例になってきた。

 今日話しているのは、若旦那がなんの罪も無いおばあさんを転ばせておいて謝罪すらしなかった件だ。


「アイツ、前に会ったときは子犬なんて撫でてたくせにっ」

「あらあら、可愛いところもあるんじゃない。そんなことを知っているなんて実は仲がいいの?」

「まさかっ! たまたま見ただけですよ。たまたま」

「いつ会ったの?」

「えーと、あれは前に外に出たときだったから……。あ、あのひどい瓦版売りを見たときと一緒だ。瓦版売りのすぐ近くにいたんだっけ? それにしても許せん」

「へえ……」


 トヨさんが、ぽつりと呟く。それから慰めるように言ってくれた。


「大変だったわねぇ」

「本当ですよ!」

「それにしても、のれん分け元の大黒屋の若旦那でしょう? 昔から知ってる仲なんじゃないの? 幼馴染みってやつ?」

「あ」


 トヨさんに言われて、ハッとした。

 もしかして、本当にそうなのかもしれない。そう思うと、おばあさんのことでしていた言い合いが、あまりにも自然だったような気がする。若旦那からもぽんぽんと言葉が返ってきていた。

 あれはまさか、幼馴染みならではのやりとりだったり、して?


「でもあいつ、私が啖呵切ったらすぐ逃げ出しやがったんですよ。子分みたいな奴らも連れて!」

「……それって」


 トヨさんが首をかしげる。


「なんですか?」


 私が聞くとトヨさんが言った。


「それって、もしかして美津ちゃんをケガさせたくなかったんじゃないの?」

「え?」

「ほら、そのまま言い合いをしていたら子分の子たちが手を出しちゃうかもしれないでしょ? だからわざと逃げたのかもしれないわよ」

「そんな、まさか~」

「そのときって子分の子たちと一緒にいたんでしょ。その手前、おばあさんにうっかりぶつかっても、謝りにくかったのかもしれないわよ。その子たちに弱いところを見せたくなくてね」

「えー」

「それに、その後で待ち伏せされたりはしてないんでしょう? やろうと思えば、そういうことをして美津ちゃんをひどい目に遭わせることだって出来たはずなのよ。でもしなかったでしょ?」

「う~ん。そうなの、かなぁ」


 私がうなると、トヨさんが苦笑いした。


「本当のところはわからないけどね。おばあさんにひどいことをしてしまったのは確かだし」




 ◇ ◇ ◇




 若旦那のあのギャップはなんだったのだろうか。逃げ足が速かったせいで、問い詰めることも出来なかった。

 それにトヨさんに言われたことが、気になってしまった。確かに、言われてみれば辻褄が合うからだ。

 さすが男女どちらの気持ちもわかると言われているオネエさんだ。私一人ではそこまで考えなかった。

 トヨさんが言っていたとおり、本当のところはわからないけれど。

 おとっつぁんがのれん分けしたのがいつなのかは知らない。もし、私が産まれてからしばらくあっちの店にいたのだとしたら、遊んでいたこともあるかもしれない。

 若旦那の方は、私のことを知っているみたいだった。顔を見ただけで、こっちの大黒屋の娘だと口に出していたからだ。

 こうなったら、聞いてみるしかない。奉公人の中で向こうの大黒屋の時から働いている人が誰なのかはよくわからないから、聞いてみるならあの人しかいない。

 と、いうわけで私は目指す部屋へと向かって歩いていた。

 そして、


「おとっつぁん!」

「ぶっ!」


 私が勢いよく障子を開けると、おとっつぁんが頬張っていた何かを吹いた。


「な、なんだい騒々しい」

「親分、てぇへんだ!」

「美津じゃないか。なんだい、その言葉遣いは。それに親分……?」

「なんでもない。ちょっとやってみたかっただけ」


 てへ、と私は笑ってみせる。

 おとっつぁんがあまりにも時代劇テンプレで答えたくなるセリフを言うものだから、思わずそのまま返してしまった。


「まったく……、最近の美津はどうしたんだい」


 なんて言いつつ、おとっつぁんは目の前にあるものをなぜかさっと袖で隠そうとしている。何かを食べていたようなのだが。


「あっ、おっとっつぁん。おまんじゅう食べてたんだ。いいなぁ」

「こ、これは……、その、味見というか」


 隠しきれないとわかった途端、急におとっつぁんが慌てた様子で言った。なんだか言い訳がましい。


「おとっつぁんて、甘いもの好きなんだ」

「い、いや、それは……」

「まだあるみたいだし、私も一緒に食べたいな。いい?」


 私がにっこり笑って言うと、


「美津が、そう言うなら」


 おとっつぁんが目尻を下げた。


「やったぁ!」


 そうして私は思いもかけずおいしいおまんじゅうにありついたわけだが。


「前はこの顔で甘いものが好きなんて恥ずかしい、と言われたもんだがなあ」

「え、そうなの?」


 それで、隠そうとしていたのかと納得する。罵られるとでも思ったのかもしれない。前の私ならありそうだ。

 確かに、この顔で甘いものが好きなのはちょっと意外だったけれど、今の私だと逆に可愛いなと思ってしまう。

 それに、別にどんな顔の人が甘いもの好きだって、何もおかしくもなんともないことだ。恥ずかしがることなんてないと思う。


「おとっつぁんと一緒におまんじゅうが食べれるの、嬉しいよ」

「美津……」


 じわりとおとっつぁんの目が潤む。娘と一緒におまんじゅうを食べるのが余程嬉しいみたいだ。


「おとっつぁん、このおまんじゅう美味しいね」

「どんどん食べなさい」


 おとっつぁんが、さあさあとおまんじゅうをすすめてくる。

 思ったより数があったようだ。これを一人で食べようとしていたのだから、かなりの甘いもの好きだ。

 それでわかった。

 前に私が見掛けて賄賂の受け渡しだと思ったあの場面。あれは、おとっつぁんもお代官様も甘いものが好きすぎて、美味しい和菓子にテンションが上がっていたに違いない。それで、思わず怪しい笑いがもれていたのだ。

 それなら、あの怪しいシーンにも納得がいく。

 今もおとっつぁんはおまんじゅうを口に運んで、ふふふと笑いをもらしている。あの時に聞いたのと同じ笑い方だ。紛らわしすぎる。

 が、確かにこのおまんじゅう、食べただけでにっこりしてしまうくらい美味しい。さすが甘いもの好きのおとっつぁんだ。いいお店を知っている。思わず私もおとっつぁんと一緒ににこにこしながら食べてしまう。

 おかげでなんのためにここに来たか、すっかり忘れていた。


「そうだ、おとっつぁん」

「なんだい?」


 おまんじゅうを食べ終わって一息ついたところで、私はおとっつぁんに向き直った。


「おとっつぁんは、向こうの大黒屋の若旦那のこと、知ってる?」

「ああ、清太郎せいたろうのことかい」

「……清太郎」


 私は初めて聞いた若旦那の名前を口の中で呟く。

 それから、本題に入った。


「この前、怒鳴り込みというか取り立て? に来てたけど、町に出たときにも見掛けてさ。どんな人なのかなって気になって」

「町で会ったのかい? 何かされたりしなかったかい」

「あ、うん。私は何もされてないよ」


 おとっつぁんが急に心配そうな顔になる。確かに、うちに怒鳴り込みに来るような人だ。心配するのも仕方ない。


「本当かい?」

「大丈夫だってば、でも……」

「でも、なんだい?」


 おとっつぁんが、ぐいっとこちらに身を乗り出してくる。顔のせいで圧がすごいが、どうやらめちゃくちゃ心配してくれているみたいだ。最近思ったのだが、うちのおとっつぁん、実はかなり過保護で、娘思いだ。顔が怖いし態度がわかりにくすぎて、もしかして前の私には伝わっていなかったのかもしれない。そう思うと、少し悲しい。こんなにも、いいおとっつぁんなのに。

 私の話だって、こうしてきちんと聞いてくれようとしている。


「あのね、道を歩いていたおばあさんを突き飛ばして、というか多分前を見てなくて当たっちゃったみたいなんだけど。転んでるおばあさんに向かって、いちゃもんつけててさ。ひどいやつだなって思って。あ、思い出すだけで腹立ってくる」

「……そうか」


 おとっつぁんは、なんだか悲しそうに俯いた。


「小さい頃は、一緒に遊んでいたものなぁ」


 やっぱり、と私は心の中でぽむと手を打った。


「親同士のことは子どもには関係ないと思っていたんだが」

「親同士のこと?」

「ああ、こっちの話だよ。私も子どもの頃から知っている清太郎のあの姿を見ていると悲しいよ。美津はこんなにいい子になってくれたのになぁ」

「いやあ、そんな」


 急にそんなことを言われると照れる。


「うんうん。本当に、美津はおっかさんに似てきたな」


 おとっつぁんが私の頭を撫でる。

 その顔が幸せそうで悲しそうで、私は何も言えなくなってしまった。

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