第17話 いざ本家大黒屋!

「美津、無理してそんなことをしなくてもいいんだよ」

「ううん。私だって、この店の役に立ちたいし少しくらいなにかさせてよ」


 これからしようとしていることを止めにかかるおとっつぁんに、私はにっこりと笑ってみせる。

 と、言っても簡単なことだ。


「お前が大黒屋の本家に行くなんて、私は心配だよ」

「大丈夫だよー。だって、大通りにあるんだし、政七さんもついてきてくれるし、ただお菓子を届けに行くだけだし。奉公人の誰かが行くより娘が行った方が、きっと印象もいいでしょ? 誠意が伝わるというか!」

「それはそうかもしれないが……、そうだ。おおい、弥吉! お前もついていきなさい」

「私、ですか?」


 店先を箒で掃いていた弥吉が手を止める。


「一人よりは二人ついていった方がまだいいだろう。他に手が空いている者もいないからな。頼むぞ」

「は、はい。旦那様」


 弥吉は持っていたおとっつぁんに急に話し掛けられたせいで緊張して固くなっているのか、箒を落としそうになりながら答える。


「よろしくね、弥吉」


 私の言葉には、弥吉はこくこくと無言で頷いた。

 そうして、私たちは大黒屋の本家に向かうことになった。




 ◇ ◇ ◇




「わざわざお嬢様が行くことはございませんでしたのに」


 隣を歩く政七さんが苦笑いする。

 元々は、政七さんが一人で菓子折を持っていくという話だった。若旦那が言うようにお金を納めたりすることはもうしない。けれど、せめてお菓子でも持っていって、いい関係でいたいというおとっつぁんの考えだった。

 それを聞いた私が、自分が行きたいとおとっつぁんに申し出たのだ。


「ちょっと行ってみたくて」

「そういうことでしたか。お嬢様が行った方が、印象がいいとかいうお話は……」

「もちろんそれもありますよっ!」


 そうでも言わないと、私が行く理由がつかない。

 本家の大黒屋に行けるという話は渡りに船だった。一度、実際にこの目で見てみたかった。

 おとっつぁんとおまんじゅうを食べていたときに話していたことを思い出す。親同士のことは子どもには関係ない、とおとっつぁんは言っていた。

 あの時、自分の部屋に戻ってから考えた。

 おとっつぁんの様子を見ていると、おとっつぁんは本家の大黒屋とあまり波風を立てたくないように見える。今日菓子折を届けようとしていることからも、それはわかる。

 が、きっと本家の大黒屋の方は逆だ。前に清太郎が来たときに言っていたことを思い出す。

 うちの店が向こうの取引先を横取りしたとかなんとか。

 雪ちゃんは、最近よく清太郎が怒鳴り込みに来ることがあると言っていた。そんなことが繰り返し行われているのなら、本家の方はうちの店に客を取られたことで逆恨みしているんじゃないだろうか。

 あの瓦版ももしかして本家の大黒屋が頼んで出している、という可能性もある。

 だとすれば、だ。うちの店を陥れようとしているのは本家の大黒屋ということになる。

 まだ確定はしていないけれど。

 考えているだけではわからない。

 本家の大黒屋が一度どんな店なのか見ておく必要があると思った。


「お嬢様、あそこですよ」


 考え事をしていたら着いたらしい。

 今度は後ろから弥吉もついていてくれたお陰で、迷子にならなかった。店を出たときから弥吉は無言で私の後ろを歩いていた。それだけで、安心感はあった。

 ただ、当の弥吉はなんだか緊張して落ち着かない様子だ。いつも怒鳴り込んでくる人の店だ。怖いに決まっている。


「大丈夫? 緊張してる?」

「……!」


 私がそっと声を掛けると飛び上がりそうに驚いた。よほど緊張しているようだ。


「大丈夫だよ。私もいるから」


 と、言いつつ私も緊張してきた。


「ごめんくださいまし」


 政七さんに続いて私たちも店ののれんをくぐる。弥吉は躊躇しているようだったが、思い切って、という感じでなんとか店の中に入った。私の後ろに隠れるようについてくる。

 店の大きさはうちとあまり変わらないようだ。

 けれど、なんとなく雰囲気が暗い、気がする。なんというか、薄暗い。うちと同じように奉公人が働いているのに、店内に活気が無い。みんな、どこか暗い顔をしている。

 番台に座った番頭さんも、にらみ付けるようにこちらを見ている。大物な悪ではなく、その下に付いている小者みたな雰囲気の人だ。顔は怖い。これは、わかりやすい。

 番頭さんは私の後ろにも視線を送っている。そちらを向くと、弥吉がぺこんと小さく頭を下げて、私の後ろに隠れるようにした。怖がっているようだ。私は、弥吉を庇うように前に立った。


「大黒屋から参りました。政七と申します」


 政七さんがもう一度声を掛けると、面倒くさそうにゆっくりとした動作で番頭さんが立ち上がる。


「大黒屋喜兵衛きへえからのお届け物を持って参りました」


 政七さんの言葉で、私はおとっつぁんの名前を初めて知った。喜兵衛さんだったらしい。

 番頭さんはむすりとしている。政七さんが差し出しているのがただの菓子折であることが気に入らないのだろうか。もっと賄賂みたいなものを持って来いとでも言いたそうな顔だ。

 主人を呼ぶような様子も無い。せっかくこっちの店主の顔を見られると思ったのだが、それは難しそうだ。


「こちら、つまらないものですが」


 菓子折を差し出す政七さんに並んで、私は前に出た。にっこりと笑う。そして、頭を下げる。


「大黒屋の娘で美津と申します。いつもお世話になっております」


 出来るだけお嬢様に見えるように、丁寧に言う。こんなこと現代でもしたことない。作法にかなったように出来ただろうか。

 番頭さんが唸るような声が聞こえた。隣からは、政七さんが息を付くような声も。

 私が顔を上げると、


「確かに、受け取りました。旦那様にお渡ししておきましょう」


 番頭さんが言った。

 奥に通されるかと思ったが、ここで帰れと言わんばかりだった。あまり歓迎はされていないようだ。


「よろしくお願いいたします。では、私どもはこれで失礼させて頂きます。旦那様にも宜しくお伝え下さい」


 政七さんも無理に居座るつもりはないようで、すぐに引き下がる。

 なんだか拍子抜けだ。


「……政七さん」


 私は政七さんにこそこそと耳打ちする。


「もう帰るんですか? ここの店主さんは顔を見せないんでしょうか?」

「……お嬢様、無理に居座ってはまたこじれます。今日のところは帰りましょう」

「むー」


 せっかく情報収集の一つも出来るかと思ったのに、ただ来て帰るだけなんて残念だ。悪人面だけど小者っぽい番頭さんがいることと、店の雰囲気が暗いことしかわからなかった。考えてみれば、見てすぐわかるような悪事を白昼堂々としているわけがない。

 それでも、わざわざここまで来たのだから、と私は店の中をきょろきょろと見回す。少しでもどんな店か見ておきたい。


「うちの店がどうかしましたか? なにか面白いものでも?」


 店の中をぐるっと見ていたら、ドスの利いた声で番頭さんが私に話し掛けてきた。無駄に迫力がある。やはり見られたくないものがあったりするのかもしれない。


「素敵なお店だなーと思いまして、ほほほほほ」


 私は口に手を当ててお上品に笑ってみせる。慣れないことをしてスベっている気がするが演技として割り切ろう。

 私は今、大店のお嬢様だ。堂々としていれば大丈夫のはず、だ。


「お嬢様、帰りましょう。失礼いたしました」


 そうこうしているうちに政七さんに促されて、私は店を出た。

 外に出てぷはっと、息を付く。もしかして、敵の店かと思ったら思ったより緊張していたようだ。

 そうだとしたら、何事も無くてよかった。若旦那、清太郎の姿も見えなかった。ここに来たら会えるのではないかと少しそっちも期待していた。幼馴染みだと聞いて、もう一度彼と話してみたくなっていた。が、いないなら仕方ない。

 と、私はそこでようやくもう一人いたことを思い出す。姿が見えない。


「あれ? 弥吉? どこ行った?」


 後ろを向くと、弥吉はぴったりと私の後ろにくっつくように立っていた。どうやら私が番頭さんから庇うようにしてから、ずっとそうしていたらしい。

 弥吉も緊張が解けたのか、小さく息を吐いていた。足まで震えているように見える。


「大丈夫? 怖かった?」


 私が声を掛けると弥吉はふるふると首を横に振った。怖がっていたなんて思われるのは恥ずかしいのかもしれない。

 だから、それ以上は何も言わずにおいた。

 本家の大黒屋に背中を向けて、歩き出そうとしたときだった。道の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。

 あれは……、


「清太郎だ」


 会いたい人と思っていた人の姿が見えて、私は思わず名前を呼んでしまう。その声が聞こえたのか聞こえなかったのか、清太郎と目が合った。

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