第18話 夢の大沢池
「げっ」
私と目が合った清太郎が、明らかに嫌そうな声を上げる。後ろにいつもの取り巻きの姿は無い。もう家に帰ってくるところみたいだから、別れたばかりなのかもしれない。
子どもの頃は、清太郎と私は一緒に遊んでいたとおとっつぁんが言っていた。きっと二人は普通に名前で呼び合っていたに違いない。だったら、名前で呼んでもおかしくないはずだ。
「おーい、清太郎!」
「はっ!?」
試しにというか、どう話し掛けていいかわからなくて名前で呼んでみたのだが。
清太郎どころか、政七さんも弥吉も固まっている。
「えと、名前、合ってたよね?」
もしかして、私の聞き間違いだっただろうか。
何も訂正せずに、政七さんが清太郎に頭を下げているところからして間違ってはいないようだ。さすが政七さんだ。こういうときでも礼儀正しい。
「なんなんだ、お前。この前は追いかけて来て、今日は店の前で待ち伏せかよ」
「違うよ。今日はお菓子を届けに来てただけだよ。人聞きが悪いなぁ。清太郎の方がこの前ひどいことしてたでしょ」
「はぁ?」
清太郎が顔を歪める。
その顔を見たら、この前のおばあさんのことが思い出されてムッとした。
「お、お嬢様。おやめください。それにその、追いかけていたとは?」
「あ、うん。ちょっとね」
政七さんがおろおろとしている。弥吉は私の後ろに隠れている。なんだか、この子は守りたくなってしょうがない。
「今日は追いかけてくるなよ」
そう言って、清太郎はすでに体を引いて逃げる体勢に入っているように見える。
トヨさんが言っていたことを思い出すけど、今日逃げるのはあのときとはまた違う。
「別に追いかけたくて追いかけたわけじゃないよ。あのおばあちゃんに謝って欲しかったから」
「……」
無言で踵を返すと、清太郎は店の方へ行ってしまおうとする。店の中に入ってしまったら、またあの番頭さんに追い返されてしまう。それに、もう一度あそこに入るのはさすがに勇気がいる。
「待ってよ」
引き止めようと声を掛けても、清太郎は立ち止まらない。それどころか、肩を怒らせてずんずん歩いて行ってしまう。
どうすれば引き止められるのだろう。と、私の頭にある考えが閃いた。
この言葉を言えば……、
「子犬」
ぴたりと、清太郎が歩みを止める。
「子犬? なんですか? お嬢様」
政七が首をひねる。
「……お前、まさか。見たのか?」
「えっへっへ」
振り向いた清太郎に私は笑ってみせる。
「誰にも言ってないだろうな」
私は頷く。
「……ちょっと話がある」
「おっけー。じゃなかった。うん、いいよ」
「お嬢様っ!」
「大丈夫、大丈夫」
の、はずだ。
まさか、校舎裏に連れて行かれるわけでもないだろうし。
と、高をくくっている私の着物の裾を後ろにいた弥吉がつんつん、と引っ張った。
「え? 何?」
弥吉は下を向いて何も言わない。ただ、ぎゅっと私の着物の裾を握っている。
「もしかして、心配してくれてるの」
そう言うと、弥吉は珍しく素直にこくんと頷いた。
「大丈夫だよ。あの人、私の幼馴染みだし」
私はにこっと笑ってみせる。
今も昔のままとは限らないけど、と心の中で付け足すが口には出さない。そんなことを言ったら弥吉も政七さんも心配するに決まっている。それに、トヨさんが言っていたことも信じたい。
弥吉は私の言葉に驚いたようだった。目をまんまるにしている。幼馴染みなことがそんなに意外だったのだろうか。
ただ、少しは安心してくれたのか、そっと手を離してくれた。
◇ ◇ ◇
「うぉう! これは、時代劇でよく見る、どこかよくわからない池のほとり!」
「お前、なに言ってんだ?」
「あ、ごめん。こっちの話」
思わずテンションが上がって叫んでしまった。
時代劇の撮影所は基本京都にあるから、この場所も本来ならロケに行きやすい京都の郊外にある大沢池のはずだ。修学旅行前に調べた。
が、しれっと江戸の町から来れてしまった。やはり、ここは時代劇の世界だ。最高すぎる。絶対来てみたい場所の候補に入っていたが、さすがに修学旅行中には来られないとわかっていた。自由行動するにしても時間もお金もそんなに使えない。
あんなシーンやこんなシーンを撮っていたと思われる聖地に来ることが出来るなんて、夢みたいだ。お寺の敷地だから広くて現代の建物とか電柱とかが映り込むこともなく、そのままカメラを回すだけで江戸時代そのままのような景色が撮れるというあの場所。
そこに私は立っている。
ちなみに政七さんと弥吉はここに来る途中にあった茶店でお茶をしてもらっている。政七さんには何かあったらすぐ駆けつけるとか言われた。まあ、それくらいの距離だ。弥吉は行ってほしくなさそうにしていたけれど、すぐ帰ってくると言っておいた。
いい感じのところに都合よく茶屋があったりするのも時代劇っぽい。
それにしても、
「あー、すごい。来れてよかったぁ」
私はにっこにこで空を仰ぐ。
「な、なんだよ。よかったって。まさか、俺と……」
「へ?」
自分の世界に入りすぎていて、よく聞こえなかった。と、いうか清太郎がいることも忘れてこの世界に没頭していた。
目の前にこんな景色が広がっていたら周りが見えなくなっても仕方ない。けど、忘れていたのは申し訳なかった。
「ごめん。なんだった」
「なんでもねぇよ」
なんだか怒っているようだ。
深呼吸する。少し落ち着いた。どこから話そうかと思っていると、清太郎が先に口を開いた。
「で、見たのかよ、お前」
「何を?」
「子犬のことだよっ」
「そうそう、子犬。優しそうな顔して撫でてたの見たよ」
「……おまっ、誰にも言うなよ」
清太郎の顔がカッと赤くなる。やっぱり、あの姿は見られたくないものだったらしい。でなければ、こんなところまでわざわざ来てくれなかったと思う。
「それはいいけどさ、子犬をそんな風に可愛がるのになんでおばあちゃんには優しく出来ないの? もし不注意で転ばせちゃったら、まず謝るものじゃない?」
まずはここからだ。店のことも気になるけど、まずは腹が立っていることから。
「……それは」
清太郎が小さい声でごにょごにょと言っている。下を向いてしまった。
「え、なに?」
聞き直すと、清太郎が顔を上げて言った。目線は下に向けたままで。
「悪かったよ! ちょっとイライラしてて。それにアイツらがいると……」
「……」
絶対に素直に謝ったりはしないと思っていた。だから、ちょっと驚いた。シラを切ったり開き直ったりすると思っていた。
「アイツらって、一緒にいた?」
「どうでもいいだろ」
今度はぷいと視線を外されてしまった。あまりツッコんで聞かれるのは嫌みたいだ。
本当にトヨさんの言ったとおりかもしれない。
それにこの態度、なんとなくクラスの不良っぽい男子を思い出す。あまりそういうタイプとは話したことがなかった。それでも、ちょっと思い当たることがある。ああいう子たちって、何人か集っていると強気な態度で出てくる。逆に、一人の時は話してみると意外と普通だったりする。案外、そっちの方が素だったりするのかなと思うことがあった。
それだ。
「じゃあ、今度あのおばあさんに会ったら謝る?」
「この広い江戸でもう会うことなんてねぇだろ」
「そうかもしんないけど。じゃあ、もうあんなことしない?」
「好きでやったわけじゃねぇよ」
「そっか」
やっぱり、前に大勢でいた時よりも今の清太郎は少し柔らかい感じがする。多分、気のせいじゃない。
今の清太郎のこの態度を見ていると、あっちの方が無理しているんじゃないかな、と思ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます