第3話 花のお江戸の姫路城

「なんだ、あれは……」


 だってここは大江戸八百八町ランドの中で。外に出たらもちろん京都の町で。姫路城があるのはもちろん姫路だから、京都に姫路城があるわけない。

 大江戸八百八町ランドの中にももちろん城なんか無いはずだ。地図でも事前に調べた時にもそんなのは無かった。

 訳が分からなくなる。


「いや、うん。でも……」


 突拍子もない考えが頭に浮かぶ。


「まさか、そんなはずないよねー。あはは。いや、でも」


 私はベタにほっぺたをつねってみる。


「痛い。夢じゃない」


 しかし、夢の中で本当にほっぺたをつねってみたことがないのでよくわからない。


「お嬢様ー!」


 誰かがどこかで叫んでいる。

 迷子だろうか。

 楓も先生も、私のことを探しているだろうか。だけど、見つかるわけがない。だって、私は、なんかよくわからないところに来てしまっているのだから。しかも、親切にしてくれた色男ともはぐれてしまった。

 しかし、何度見てもあれは姫路城だ。真っ白な漆喰が眩しい。

 江戸の町の中に現れた謎の姫路城。しかも、道行く人は誰もアレをおかしいなんて思っていない様子だ。


「うーむ」


 と、唸っていたら、


「お嬢様ーー!」


 さっきの誰かを呼ぶ声が近付いきていた。どうやら、お嬢様とやらを探して走り回っているようだ。

 私は声の主の方を向く。着物の感じとさっきからお嬢様を探しているところからして、どこかの商家に勤めている奉公人だろうか。と、思っていたら、その男性と目が合った。


「お嬢様!」

「ん?」


 明らかに私のことを見ている。そして、


「こんなところにいらっしゃったんですか!」


 私の方へ走ってくる。


「え? え?」

「はぁはぁ、お嬢様。こんなところに、いらしたのですね」


 彼は私の目の前で立ち止まると、ほっとしたように言った。必死で探していたのか息を切らしている。


「探しましたよ」

「私、を?」

「はい」


 と、言われても目の前の人が誰なのかもわからない。ただ、さっきの色男と違って私のことを知っているようだ。

 あの人は私のことを嬢ちゃんと呼んでいたけど、この人はお嬢様と呼んでいる。

 少しだけほっとした。よくわからないところに放り出されて、あの色男ともはぐれてしまって、知っている人が誰もいなくて一応途方に暮れていたところだ。


「急に姿が見えなくなって心配しました。あ、もちろん私が目を離したのが悪いのですが。申し訳ございません」


 男性が深々と頭を下げる。初対面の人にそんなことをされたら申し訳ない。初対面ではないみたいだけど、私からしたらそうなんだから仕方ない。

 しかも、目の前の男性はどう見たって私より年上だ。大学生くらいだろうか。見た目からして真面目そうな人に見える。

 明らかに年上の人に敬語でしゃべられているのは、なんだか居心地が悪い。

 まずは、


「ちょっとやめてください。顔を上げてください」


 ずっと頭を下げっぱなしなのをなんとかして欲しい。顔を見ないと話も出来ないじゃないか。


「は、はい。お嬢様?」


 男性がはじかれたように顔を上げる。何故だかびっくりしたような顔をしている。私、変なことを言っただろうか。


「あの、さっきからお嬢様って誰のことですか?」

「お嬢様はお嬢様ですよ。……あの、どこかで頭でも打たれたのですか」


 男性は慌てた様子で、私の顔を覗う。


「あー、はい。さっき転んだみたいで」


 馬に蹴られて吹っ飛んだとか、言えない。


「こ、転んだ……。大丈夫ですか」

「はい。ちょっと擦りむいたくらいで」


 ほら、と私は着物の裾をめくってみせる。


「ちょ、ちょっと待ってください。お嬢様! こんな往来ではしたない」


 男性が慌てる。


「いや、そんなきわどいところまで出してないんですが」


 なんならここに来るまで着ていた制服の方が、足が出てたくらいだ。が、そこまで慌てられるとしまうしかない。


大黒屋だいこくやの一人娘、美津様みつともあられるお方がそんなっ」

「大黒屋……。美津……」


 妙に説明的なセリフだが、正直ちょっと助かる。

 元の私ではなく別人として扱われているのが気になっていた。

 俗に言う、


『ここはどこ、私は誰』


 状態だ。

 小説とかアニメの中ではよくあることだけど、実際自分が同じ目に合うと頭がなかなかついていかない。

 だとすると、ここは元いた世界とは別の世界なのだろうか。そして、私は美津という別の人らしい。

 正直名前の響きはいい。時代劇とか好きだから、実は古風な名前に憧れていたのだ。私の名前が結構現代っぽかったから、割と古風な楓の名前が羨ましかったくらいだ。

 それにしても、大黒屋というと店名の響きがどう考えても悪徳商人っぽい。大黒屋、越後屋えちごや越前屋えちぜんや備前屋びぜんや駿河屋するがや。悪徳商人の屋号やごうは色々出てくるけれど、なんだか不穏だ。


「まさか、お嬢様。頭を打っておかしくなられたのでは? ああ、旦那様になんと説明したら……」


 私も混乱しているのだが、目の前の男性も頭を抱えている。で、この人は一体誰なんだろう。それすらわからない。

 これまでの話の流れで、この世界での私の家、大黒屋の奉公人っぽい感じではあるのだけれど。

 わからないことが多すぎるなら、まずは聞いてみるに限る。

 多分、さっきの色男と同じように修学旅行とか迷子とか言っても混乱するだと思う。それなら、とりあえずわかるところから探っていこう。


「えーと。で、あなたは一体誰なんでしょう?」

「え? 私ですか? それも忘れて……。私は大黒屋で手代てだいをしている政七まさしちです。今日はお嬢様の買い物に連れてこられて……、ごほん、ではなくて、供をしてきたのですが」

「……供」


 ということは、私は正真正銘お嬢様らしい。買い物に出るのに供がつくのはかなりいいところのお嬢様だ。それなら、上等な着物を着ていることにも説明がつく。

 手代は、お店に勤めている奉公人の中の役職名みたいなものだ。入ったすぐの見習いが丁稚でっちとか小僧とか言われていて、手代はそこから初めて何年か真面目に勤めないとなれないはずだ。


「とにかく、お店に帰りましょう。あまり遅くなると旦那様が心配します」

「あ、はい。そうだ、それと」

「なんでしょう、お嬢様」


 年上からの丁寧すぎる喋り方が気になってしょうがないけど、もっと気になることがある。聞いてみようと口を開こうとしたら、


「どいたどいたぁ!」


 威勢のいい声が聞こえてきた。人混みをかき分けて、誰かが走ってくる。あれは……。


「岡っ引き!?」

「何か事件でもあったんですかね?」


 私の呟きに政七と名乗った男性が答える。しかも、あの岡っ引き十手を持ってる。もちろん房付きで。

 この光景はどう見たって、私の好きな時代劇の世界で。

 と、いうことは、あの姫路城はやっぱり……。


「あのー、つかぬ事をお聞きしますが、あのお城って江戸城、ですかね?」

「はい、当たり前じゃありませんか」


 本当に、当たり前だと言わんばかりに政七さんは答えたのだった。

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