第7話 持病の癪が……

「むっ、むぐぐっ」


 驚いて私がもがくと、白浪小僧が言った。


「静かに。また人が来てしまうかもしれません」


 口を覆面が覆っているので白浪小僧の声はくぐもって聞こえる。それでも、静かにしろと言っているのはわかった。押えられていて身動きは取れにくいし話すことは出来ないが、私はこくこくと頷く。わかってもらえただろうか。

 白浪小僧は私の口から手を離してくれない。

 さっき向こうに捕り方が走って行ったとはいえ、いつ戻ってくるかわからない。私が騒げば見つかってしまう。

 だけど、さっき自分で自分の口を塞いだように私は騒ぐつもりなんて全然無い。だって、白浪小僧に捕まって欲しいわけがないのだから。

 それでも、口を塞がれているせいで騒ぐつもりは無いと伝えることも出来ない。白浪小僧にびっくりして普通に話してしまった私が悪いのだけど。

 だって、白浪小僧が目の前にいるんだ。騒ぎたくなってしまっても仕方がない。

 どうやって伝えればいいものか。

 しかし、暗闇になっていて白浪小僧の顔は全然見えない。なんなら、黒い装束を着ているので存在自体が闇に紛れている感じだ。そう思うと、偶然同じところに隠れていたお陰で見つけられたことに感謝だ。

 白浪小僧にようやく会えたことで思わずにまにましてしまう。


「む?」


 それで目を細めたときに気付いた。


「ふがふふふ(血が出てる)」


 言ってみたものの、正直全く伝わっていないと思う。


「むぐ」


 私は押えられているけどちょっとだけ動かせる腕を持ち上げて、白浪小僧の手を指さす。


「ふぉふぉ(ここ)」


 白浪小僧を探している捕り方たちに聞こえないように、なるべく小声で言っているつもりだ。

 私は指さす先には白浪小僧の指。ちょっぴりだが、すりむいて血が出ている。私に押されて転んだときに、ざりっとやってしまったに違いない。

 白浪小僧が私のせいで怪我をするなんて!


「むぐぐぐぐ」


 私は思わずうなってしまう。

 と、


「痛っ」


 私の息が傷口にしみてしまったらしい。白浪小僧が声を上げた。その瞬間、私の口を押えていた手が緩む。


「わわわ、大丈夫ですか?」


 心配だが、なるべく小声で言う。


「あ」


 さっきは咄嗟のことで気にしていなかったけれど、よく見たら私たちが隠れているのは天水桶の陰だった。火消しのために置いてある水だ。ということは、この中には水があるということで。


「ちょっと待って」


 私は立ち上がった。


「こ、こら」


 白浪小僧が止めるが、今はそれどころじゃない。


「手、出してください」

「はい?」

「ほら」

「む」


 思わず、といった様子で白浪小僧が出した手に、


「ちょっと、しみるかもしれないですけど」


 私は天水桶から拝借した水を少し掛けた。


「くっ」

「ちゃんと消毒しておかないと、ばい菌とか入ったら大変ですからね。水だけでも、多分いいよ、ね?」

「ばい、きん?」

「あ、えーと、傷が酷くなるってことです」


 ばい菌は、さすがに通じないみたいだ。


「よし、これでいいかな。あとは……、そうだ」


 懐に入れていたてぬぐいを取り出して、それを巻いておく。


「これは……」

「あー、ちょっとやりすぎちゃいましたね」


 ちょびっとの傷なのに、ぐるぐる巻きの包帯みたいになってしまった。


「でも、血が出てるからそのままにしとくのもいけないかと思って」


 私が言うと、なんだか少し白浪小僧が笑ったような気がした。

 そのときだった。

 再び足音がした。

 そして、何者かの声が近付いてくる。

 私は再び天水桶の陰に隠れる。

 

「こっちの方から話し声のようなものが聞こえてきたぞ」

「どこだ?」

「……!」


 私は必死に叫んでしまいそうなのを抑えた。

 せっかくじっとしているのに、


「この辺じゃなかったか?」

「隠れられるところといえば、この裏あたりだしな」


 足音が私たちの方へ近付いてくる。

 ここを出てしまえば、隠れられるようなところは無い。後ろも壁だ。

 白浪小僧はじっと黙っている。行き過ぎてくれることを願っているのだろうか。というか、私がこんなところに一緒に隠れなければすぐに逃げられたのかもしれない。今頃、再び屋根の上を走って、どこかの長屋に小判をばらまいていたところなのかもしれない。

 今、白浪小僧が見つかって捕まったりなんかしたら、それは私のせいだ。

 私は拳を握りしめる。そして、立ち上がった。

 白浪小僧が慌てているような気配がする。


「何やつ!」

「白浪小僧か!?」


 御用提灯を持ち、頭に鉢巻きをして、たすきを掛けたいかにもな捕り方たちが私の方へ駆け寄ってくる。

 私はわざと身体を折り曲げて、お腹を押えながらよろよろと天水桶の陰から進み出た。


「女?」

「どうしてこんなところに?」


 私は力なく(もちろん演技で)微笑んでみせる。

 捕り方は二人だ。もっと大勢だったらどうしようかと思った。


「えっとですね、夜風に当たろうとして出てきたら持病のしゃくが、ですね」


 持病の癪。時代劇なんかでうずくまっている女性がよく言う言葉だ。もちろんだけど口に出して実際に言ってみたのは初めてだ。仰々しい言い方だけど、わかりやすく言うと、お腹が痛いってことだ。

 ちなみにこれ、一回言ってみたかった。

 こんなところで役立つなんて!

 見ててよかった、時代劇。

 捕り方のたちがやれやれといった感じでため息を吐く。


「白浪小僧だと思ったじゃないか。まったく」

「白浪小僧が出ているんだ。こんなところでふらふらしていると危ないぞ」

「はい、ごめんなさい」


 話がこじれるといけないので素直に謝っておく。


「そうだ。白浪小僧を見なかったか?」

「私は見ていません」

「そうか……」

「話し声がしたんだが、お前だったのか?」

「あ、はい。猫がいたので話しかけてて」

「猫かよ! 本当に紛らわしいな!」

「本当にすみません」

「俺たちは仕事があるから送ることは出来ないが、さっさと帰れよ」

「夜道は危ないから気をつけてな。腹は大丈夫か?」

「はい。ありがとうございます」


 私が頭を下げると、捕り方たちは行ってしまった。というか、豊次さんじゃなくてよかった。私はほっと胸をなで下ろす。もし豊次さんだったら、もっと色々聞かれていて大変だったに違いない。それに、私がこんな時間にふらふらしていたら絶対に心配して家まで送るとか言い出して、おとっつぁんにもバレてしまうところだった。危なかった。

 捕り方たちの足音も、もう聞こえなくなった。

 普通、持病の癪がとか言ったら心配してくれるかと思ったら、白浪小僧に必死でそんなこともなかった。今はそれでいいのだが。


「もう大丈夫みたいです」


 私は白浪小僧へと振り向いて言った。

 もしかして、目を離している間に消えているかもしれないと思ったけれど、白浪小僧はまだそこにいた。さすがにあの状況では出られなかったらしい。白浪小僧なら私が捕り方たちを引きつけているうちにシュバッと屋根の上なんかに飛んだりしていなくなるかと、ちょっと心配していた。

 白浪小僧が頷く。

 そして、押し殺すような声で言った。当然、再び人が来ることを警戒しているようだ。


「どうして助けてくれたんです?」


 意外と丁寧な話し方だった。お芝居では結構やんちゃキャラだったからイメージが違う。だけど、誰も会ったことがなかったんだから違ってもしょうがない。というか、こっちが本物なのだ。


「えっと」


 どうして助けたか、なんて言われても困る。


「そんなの、当たり前じゃないですか」


 私は言った。


「だって、白浪小僧は義賊だし、捕まっちゃうのは嫌だから」


 ただ、それだけのことだ。


「……」


 白浪小僧はぽかんとしている。覆面をしているし暗闇なのでよくわからないけれど、そういう雰囲気に見える。


「私、ずっと白浪小僧に会いたいなって思ってて、今夜本当に会えて嬉しいんですっ!」


 思わずにじりよってしまう。ここは握手してくださいとか、サインしてくださいとかいいたくもなるってものだ。さすがに場違いな気がするので、そこまでは言わないでおくが。

 それと、


「まさか、怪我させてしまうとは思いませんでしたが……」


 自分で言っておいて、憧れの義賊に酷いことをしてしまったことに落ち込む。


「いえ」


 ふっと、白浪小僧が息を吐いた。なんとなく、白浪小僧の力が抜けたような気がする。


「これ、ありがとうございます」


 白浪小僧が私の巻いたてぬぐいを見せる。


「では、私は長屋に小判を配りに行かなければなりませんので」

「あ」


 そうだった。白浪小僧の仕事はここからが本番だ。


「お仕事がんばってくださいっ!」

「……はい」


 なんだかあきれられている気がするのは気のせいだろうか。声かけ、変だっただろうか。


「あなたも、夜道は気を付けて帰ってくださいね」


 そう言って千両箱を担ぐと、白浪小僧は一瞬で屋根の上へと飛び乗った。そして、そのまま颯爽と月をバックに走っていく。


「ほわぁ」


 私はその姿を見えなくなるまで眺めていた。

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