第4話 寺子屋へ行こう

「……美津様! 美津様!」


 誰かが私の声を呼んでいる。


「うーん、あと5分……」


 むにゃむにゃとお約束の言葉を言ってしまうが、


「ごふん?」


 聞き返されて目が覚めた。


「美津様! 寺子屋に遅れますよ!」

「んあっ!」


 私は、がばりと布団から起き上がった。


「寺子屋!」

「朝餉もちゃんと食べてくださいね」

「あっ! いい匂い!」


 食べ物の匂いにつられてそちらを向くと、朝の膳を持ってきてくれた雪ちゃんがいた。


「さっきも起こしに来たのですが、まだ起きていらっしゃらなかったんですね」

「二度寝、してた?」


 そういえば、さっきも雪ちゃんに起こされた気がする。


「はい。旦那様はやることがあるのでと、もう食事は済まされました。それに、弥吉はもう準備して待っていますよ」

「わあ!」

「ですから、美津様も早く歯を磨いて朝餉を召し上がってくださいね」

「はーい」


 私は返事をして、のそりと布団から出る。

 昨日は白浪小僧のお芝居を観て興奮していたせいで、なかなか眠れなかった。あまりに楽しいことがあると、その日が終わるのが嫌で眠りたくなくなってしまうことがある。昨夜はまさにそれだ。雪ちゃんも私の話を聞いて結構遅くまで起きていたはずだが、きちんと朝早く起きているなんて、偉い。偉すぎる。

 それにしても、時代劇の世界に来てまで学校に行くために起こされるとは、最近まで思ってもいなかった。


「美津様、早く支度しないと遅れますよ」

「はい!」


 雪ちゃんがそう言ってくれるということは、まだ遅刻するような時間ではないということだ。

 それでも、なるべく急いで用意をしようとしていると、


「お嬢様ー!」


 弥吉の呼ぶ声が聞こえてきた。


「はーい! すぐ行くー!」


 私は大声で返事をした。なんだか友だちが学校へ行こうと迎えに来た小学生の頃を思い出す。




◇ ◇ ◇




「弥吉、走ってー!」

「は、はいっ!」


 結局、私たちは走っていた。


「ごめんねー! 私のせいで弥吉まで走らせちゃって! 先に行ってくれてよかったのにー!」

「お嬢様を置いてなんてっ、行けませんよっ!」


 弥吉の息が上がっている。こうなることがわかっていて、寝坊していた私を待っていてくれるなんていい子すぎる。

 寺子屋が見えてくる。まだ他の子たちも入っていくのが見える。


「よしっ! ギリギリセーフ!」


 私は寺子屋の中にすべり込んだ。もちろん弥吉も一緒だ。


「はー、間に合った」


 ふう、と息をついて汗を拭いていると、


「おはようございます、お美津さん」


 背後から声を掛けられた。

 振り向くと、にこにこと微笑みを浮かべた先生がいた。怒った顔を見たことがないくらい先生はいつも笑顔だ。そして、穏やかでちょっとぼんやりしている。

 ちなみに本当は江戸時代には寺子屋の先生のことはお師匠様とか呼んでいたらしいけど、時代劇の中では、わかりやすく先生と呼んでいることが多い。この世界でもそういうことになっているらしい。

 ちなみに最初の自己紹介のとき市之助いちのすけと名乗っていたと思う。ただ、先生だけの方が呼びやすいのでみんなただ、先生と呼んでいる。もちろん私もだ。


「今日も一番最後ですね」


 先生に言われて、私は後ろを振り向く。そこには誰もいない。教室の中を見ると、もう机は埋まっている。

 でへへ、と私は笑う。


「先生、おはようございます」


 弥吉は私の隣で先生に頭を下げている。


「おはようございます、弥吉さん」


 先生もにこやかに返事をする。

 絶対にこれ、私のせいでギリギリになっているのはバレているに違いない。


「おみっちゃん、また最後だー」

「寝坊したの?」

「えへへ」


 子どもたちに口々に言われ、私は再び笑って誤魔化す。

 そう、この寺子屋では私が一番年上だ。もちろん、先生はもっと上で多分20代前半くらいだと思う。そこは抜かして、だ。

 本来なら商家の娘でも、もっと小さい頃から寺子屋には通うものらしい。が、転生前の私はわがまま娘でそんなところに行きたくないと言って、寺子屋になんか通っていなかったようだ。

 で、私はちょっと歳が上ではあるのだけど通ってみることにしたってことだ。三味線とかそういう手習いもあったにはあったけれど、どうせなら寺子屋にも一度行ってみたかった。と、いうわけで子どもたちに混ざって寺子屋通いをしている。


「お嬢様、席に行きましょう」

「あ、うん」


 弥吉に促されて私は自分の席へと向かう。

 弥吉は自分の席に着いて、いそいそと準備を始めている。


「弥吉さんは本当に熱心ですね」


 先生が感心するように言う。


「はい。旦那様に通わせていただいているのですから、しっかりと学びたいのです」

「おお」


 思わず私は感嘆の声を上げてしまう。

 弥吉はうちの店の奉公人なので、本来なら店の中で商売に役立つようなことを習ったりするらしい。けれど、おとっつぁんが特別に寺子屋に行かせてくれることになった。きっと、私を一人で寺子屋に行かせるのが心配だったからに違いない。

 そういうことなので、弥吉はきっとおとっつぁんに恩を感じている。本人が言うとおり、通わせてもらっているからにはその分しっかり勉強したいと思っているのだと思う。


「それなら、私もがんばらないとね」


 弥吉ががんばっているのに私がぼんやりしているわけにはいかない。通いたかった動機が時代劇の寺子屋を見てみたいという不純なものであっても!


「やる気があるのはいいことですね」


 私の内心を知らずに先生は嬉しそうに頷いている。とりあえず、褒められるのは嬉しい。私も自分の席に着く。弥吉の隣だ。


「すごいね、弥吉は」

「いえ、そんなことは」


 小声で声を掛けると、弥吉がなんでもないことのように答えた。だけど、ちょっぴり顔が赤くなっている。口では謙遜しながらも、やっぱり褒められるのは嬉しいみたいだ。


「では、みなさん。今日もがんばりましょうね」

「はーい」

「はい!」


 子どもたちが先生に答える。

 私ももちろん返事した。

 寺子屋は、特に学校みたいに時間割が決まっているわけではない。色々な年齢の子どもたちがいるから、それぞれにやることが違う。村とかにある小さな学校で、違う学年の子が一つの教室に集められているようなものだと思ってくれたらわかりやすい。そんな感じで集まっているので、みんなそれぞれに自分に合わせた勉強をしているというわけだ。

 なので、私は半紙と筆、墨、硯なんかを取り出した。習字の道具だ。


「そうですね。お美津さんはまず習字から始めましょうか」

「はーい」

「返事は短く言うともっといいですね」

「はい」


 なんだか小学生になった気分だ。寺子屋は勉強だけでなく、行儀作法なんかも教えてくれるところなのだ。


「お美津さんの字はなかなか個性的ですからね。がんばりましょうね」

「う……。はい」


 私の字は自分で言うのもなんだが、普通の女子高生の字だ。さすがに時代劇好きだからといって、普段からくずし字とか書いてたら怖い。

 しかし、現代では普通に書いていた字が個性とか言われるのはなかなか面白い。

 ただ、さすが時代劇の中だから古文書みたいな字を書けと言われている訳ではない。現代人にも読める程度のちょっと古い感じの字にすればいいだけだ。


「弥吉さんは算学をやりましょうか。商人には大切なことですからね」

「はい!」


 弥吉が元気よく返事をしている。色々あってうちの奉公人になった弥吉だけど、一生懸命な姿を見ているとすごくいい商人になるんじゃないかと思う。なんだか微笑ましく弥吉の姿を見つめてしまう。

 なんて、手を止めているとまた先生に何か言われてしまいそうなので、私はいそいそと墨を擦り始めた。さすがに墨汁はこの世界には無い。でも、こうしてのんびりと墨を擦る時間は嫌いじゃない。むしろ、結構好きだったりする。

 私が擦り擦りしている間に、先生は他の子どもたちを見て回っている。そして、一人一人に対して優しげに声を掛ける。子どもたちはみんな楽しそうだ。

 ここはすごくいい寺子屋だと思う。

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