第11話 瓦版売りと若旦那と子犬
「うぉー、シャバの空気はうめぇ!」
「お嬢様っ。そのような言葉は……、罪人ではないのですからおやめください」
久しぶりの外の空気を吸って伸びをしていると、政七さんが慌てた様子で言った。ため息までついている。
「あ、はい」
江戸時代では通じないかと思ったけれど、どうやら通じてしまったらしい。
ずっと家の中というか、店の中にこもっていて久々に外に出られたのだから伸び伸びしてしまうのは仕方がない。
ようやく供を付けてなら外に出てもいいと許しが出たのだ。
江戸の町は活気があっていい。
一言で言えば、時代劇の町の光景っぽい。
「あー、本当に外の空気、気持ちいいっ」
「そうですか? 以前は家にこもっていても特に何も言われませんでしたのに」
「そうなんですか?」
「むしろ、あれこれと流行のものがあると買ってこいと使い走りに行かされることが多かったと言いますか」
「そんなことが……」
「あっ、気分を害してしまったら申し訳ありません」
「別に大丈夫ですが」
「……本当に変わられましたよね」
「んー」
私としてはあまり実感が無い。私になる前の私のことはよく知らない。
「でも……」
「ん?」
「私は、今のお嬢様の方がいいと思います。雪からもよくお嬢様の話を聞いているんです。最近はとてもよくしていただいていると嬉しそうにしていました」
心なしか、政七さんの顔がほころぶ。いつも生真面目そうな顔をしているのに珍しい。
雪ちゃんの名前を呼ぶ声が、なんだかとても親しげだったような気がする。それに、呼び捨てにするとは……。
「え、まさか、政七さんと雪ちゃんってそういう?」
「あ、その。私たちはそんなっ……」
政七さんが慌てている。しかも、顔がどんどん赤くなる。わかりやすい。
「なるほど」
あの雪ちゃんと政七さんがそんなことになっているとは知らなかった。でも、なんとなくお似合いだ。もし何かあるなら応援したくなる。
「へー、雪ちゃんとかぁ」
思わずによによしてしまう。私自身にはそういう話は無いけれど、人のことになるとなんだか心がほわほわしてくる。
「あ、お嬢様。あちらが何か騒がしいですよ」
「ほー」
あまりにわざとらしい話のそらし方だが、そちらも気になったので私は目を向けてみた。
ざわざわと、どこにこんなに人がいたんだろうと思うくらいの人だかりが出来ている。あれはエキストラ、じゃなくて江戸の町の人たちなんだろう。
「なんでしょうね?」
政七さんと一緒に近付いていくと、騒ぎの中心にはどうやら
「本物の瓦版売りだ!」
私はきらきらと目を輝かせてしまう。更に、その瓦版売りを囲むようにして話を聞いている人々。
これは、時代劇でよく見るあの光景だ。外に出るだけで何か面白いことと出くわす説、合ってた。
瓦版売りの口上が聞こえてくる。
「さあ、て~へんだ、て~へんだ! 大黒屋が抜け荷を行っているって話だ! 大黒屋と言ってもこの江戸には二つあるがのれん分けした方の大黒屋だよ! こりゃ天下の一大事! さあさ! 詳しいことが知りたかったら買っとくれ! この瓦版に書いてあるよ!」
「ぶっふ!」
思わず私は噴き出す。
しかも、本家の方かと一瞬思った直後にわざわざ名指しでうちの方だと言っている。
「こっちに一枚おくれ!」
「こっちもだ!」
「おいらにもくれよ!」
動揺する私の目の前で、時代劇でよく見る光景が繰り広げられている。
瓦版売りの方へと手を伸ばす人々。瓦版をまき散らすように投げる瓦版売り。ひらひらと派手に舞う瓦版。
うちの店のことでなければ、私も手を伸ばすところなのだけど。
隣の政七さんを見るとぽかんと口を開けて、瓦版売りを見ている。
「政七さん、あれって」
声を掛けると、政七さんがハッと我に返ったように私を見た。そして、
「行きましょう、お嬢様」
くるりと瓦版売りから踵を返した。
「あの瓦版、いいんですか」
「いいんです。あの瓦版売り、たちの悪い奴でして。いつもあることないこと書いているんです。中身も大したことが書かれていなくて。ああやって売りつけるのがうまいんですが、まさかうちの店があんな……」
「そうなんですか? でも、中身がどんなのか気になって……」
「お嬢様にあんなものをお見せするわけにはいけません。それにうちの店のことが書いてあるのです。お嬢様がここにいれば何か危害を加えられるかも知れませんし」
そう言って私のことを守るように、視線を遮りながらその場を離れる。その姿が頼りになったので雪ちゃん、いい人を選んだなと思ってしまった。
ただ、本当に中身が気になったのも確かだ。あんなに舞っていたんだ。一枚くらいどさくさに紛れてもらって、かすめ取っておけばよかった。
が、私はハッと気付いた。
もしかして、政七さんは私にあの瓦版が真実だから見られたら都合が悪かったのではないのか、と。
どちらが本当なのだろう。
と、頭をひねっていると、なんだか知っている顔が目に入った。
知っている顔というか、あのチンピラ若旦那だ。若旦那もあの瓦版が気になるのか、建物の陰から様子を伺っている。今日は一人のようだ。
そして、
「あ」
なぜか若旦那の足下に子犬がすり寄っている。
私はハラハラとその様子を伺ってしまう。チンピラ若旦那のことだ。子犬が邪魔だから、なんて蹴り飛ばすかもしれない。若旦那が手を上げる。
殴ろうとしている!?
子犬を守ろうと飛び出しそうになった私は、驚きの光景を見た。
若旦那はシッシッと面倒くさそうに追い払おうとしていただけだった。が、更にそれでも去って行かずにまとわりつく子犬を見た若旦那は、なんと、しゃがみ込んで撫で始めたのだ。しかも、なんだか優しげな顔で。
思わず私まで、ほにゃりと頬を緩めてしまった。
ろくでもないヤツかと思っていたけれど、動物には優しいみたいだ。
なんか、いい。
うちの店に怒鳴り込みに来たのは許せないけど、こういうのはズルい。
「どうされました? お嬢様」
突然足を止めた私に、政七さんが心配そうに声を掛けてくる。
「やはり、あの瓦版に衝撃を受けて……」
政七さんは若旦那には気付いていないみたいだ。
「なんでもないです。行きましょう!」
若旦那も私には気付いていないようなので、その場を立ち去ることにする。
なんとなく、あのキャラで子犬を撫でている姿を見られるのは恥ずかしいのではないかと思ったからだ。私個人としては可愛いと思うのだけれど。
「お嬢様、どこか行きたいところはございますか?」
「んー」
そういえば、考えていなかった。
家にこもっていて飽きていたから外に出たかっただけだし、時代劇的には外に出るだけで何か起こることも期待していた。大黒屋のことを聞いて回ったりもしたかったけれど、政七さんがいる前でそんなことをするわけにもいかない。
「あまり長く出ていると旦那様も心配されますし、今日のところは帰りましょうか」
「え、もう?」
「その前に、菓子屋に寄りますがよろしいですか?」
「菓子、屋? 雪ちゃんにお土産? 寄ろう寄ろう! 寄りましょう!」
それは是非是非寄るべきだ。すぐに帰るのもつまらない。
「ち、違います! 旦那様に頼まれているのです!」
そう言って、着いた場所は和菓子屋だった。
当たり前だ。さすがに時代劇の世界にケーキ屋があるわけがない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます