第11話 東の辺境伯の孫

 騎士科の学舎は学年別に階が分かれている。全学年が共同で使う特別教室は渡り廊下で繋がる別棟に集約されているため、各クラスがある本棟内で違う学年の生徒同士が顔を合わせる機会はあまりない。


 だからだろう。堂々と三年生の教室が並ぶ三階の廊下を行くティリーは、三年生たちの注目を集めていた。彼女の真っ直ぐ伸びた背中と前へ進む大きな一歩、そして何より、騎士科で脱落することなく学び続けてきた者たちにはわかる、ティリーの隙のなさ――とはいえ本人は視線に晒されることをまったく気にしていない。


 三年一組の教室の前に着く。入口は一年生の教室と同じく、後ろにひとつ、前にひとつだ。ティリーは後ろのドアを開けた。昼休みということもあり中にいた生徒はさほど多くない。長机の数は一年生の教室にあるものより少なかった。三年間のカリキュラムに耐え切れず脱落したり、家の事情で去ったりした生徒がいるのだろう。


 室内を見渡す。


 室内にいる生徒の中で誰が目的の人物なのか、彼女に心当たりはない。近くにいた男子生徒に「ねえ」と畏まった素振りもなく声をかけた。


「マティアス=フォン=ハルティング、様はいる?」

「……え? あ、ああ、ハルティングなら――」


 その生徒が目を向けた先――教室の前方には二人組の男子生徒がいる。背の高い屈強で筋骨隆々な青年と、その隣で朗らかに笑う人の良さそうな顔の細身の青年だ。ティリーの頭に辺境伯の老人と、その嫡男の壮年の男性の顔が浮かぶ。


(ハルティング辺境伯家の顔だ)


 彼女はうんうんと頷きながら教室の中へ歩みを進めた。真っ直ぐ、堂々と、なんの緊張感もなく歩を進める姿は、廊下を歩いて来た時と同じく注目されていたが、本人はやはり気にしていない。


 ティリーが近付いて行くと、それに気付いた青年たちがこちらを見た。身体の大きな青年――もしかすると護衛なのかもしれない――は怪訝そうな顔で眉を寄せ、マティアスは不思議そうに首を傾げている。


 頭の中で、礼儀作法とは別に臣下としての挨拶を教えてくれた元子爵夫人が、しっかりやるのですよと背中を教えてくれていた。ティリーはマティアスの前へ立つと、胸に手を当てて腰を折る。


「フェッツナー男爵家が長女ティリーが、ハルティング辺境伯家の若き星に挨拶いたします。拝謁を賜り光栄です」


 習った通りに言えたティリーは首(こうべ)を垂れたまま満足そうな表情を浮かべた。しかし何故か沈黙が流れる。五秒、十秒――


(む? 言い間違えた?)


 沈黙が長い。何かおかしいと思い頭を上げたくなるが、脳内の元子爵夫人が許しもなく上げてはいけませんと眉を吊り上げている。さらに五秒――ティリーが姿勢を戻さずにいると――


「あー、フェッツナー男爵令嬢、頭を上げてくれ」


 落ちついた声が降ってきた。


 頭を上げてマティアスを見ると、彼は困ったような顔で苦笑している。


「その、違うんだ」

「違う?」

「きみは間違っている。僕はマティアス=フォン=ハルティングではないよ」

「……え?」

「マティアスは――」


 こっちだ、と指差したのは、筋骨隆々の大男だった。無表情でティリーを見下ろし、唇を固く引き結んでいる。


「……こっちがマティアス=フォン=ハルティング?」


 敬称をつける余裕も敬語を使う余裕もどこかへ吹き飛んだ。


「ああ、そうだよ」

「辺境伯様たちと全然似てないのに!? あなたのほうが似てるのに!?」

「ははは、よく言われるよ。落胤ではないかとかいろいろね。でも両親と一緒にいるところを見てもらえればそんなことないってわかるはずだ。僕はふたりの顔を混ぜたような風貌だから。ああ、僕はアクセル=アッカーマン。東部のアッカーマン伯爵家の人間だ」

「アッカーマン伯爵家……」

「知ってる?」


 ティリーは頷く。


「去年、行ったところ」

「そうそう。うちの領地で魔物が発生してね。赤狼騎士団に世話になったんだ。僕はその時学園にいたんだけど、男爵の後継者も一緒に来ていたって、家からの手紙に書いてあったよ」


 マティアスだと勘違いしていた相手――アクセルが朗らかに笑った。声音や話す速度が耳に心地よく、彼の纏う空気は穏やかだ。


 去年アッカーマン伯爵領に赤狼騎士団が派遣された時、父親が伯爵夫妻と顔を合わせている間、ティリーは伯爵家の子供たちと一緒にいた。十歳になったばかりの男の子と、その子の三つ下の弟にあたる双子の兄弟だ。アクセルは三人の男の子の兄で、よく関わっていたのだろう。あのねあのね、とまとわりつく子供の相手ができる余裕と懐の広い『兄』としての雰囲気を感じる。


「アクセル、もういいだろう」


 低い声がアクセルの笑い声を制した。


「ん? ああ、そうだな。すまん。話しすぎた」


 ティリーは本物のマティアス=フォン=ハルティングを見る。何度見ても、彼の父親にも祖父にも似ていない。まだ挨拶ができていない母親か、すでに亡くなっている祖母に似ているのだろうか。


(ものすごく強そうな女傑!?)


 まだ見ぬ辺境伯家の女衆の姿を想像していると、マティアスがアクセルからティリーへ視線を映した。


(む?)


 睨まれている――気がする。目が鋭いだけではなく、明らかな敵意を向けられている。他人の感情に鋭くはないが、敵意や殺気を察するのは得意だ。そして、それらの対象になった時、身体は自然と臨戦態勢を取る。


「それで? 俺になんの用だ?」

「『暁の団』に、入団させてもらいに来ました」


 ピクリと、マティアスの太い眉が動いた。


「何故うちに?」

「何故……何故? フェッツナー男爵家の人間は、代々『暁の団』に入るものだって聞いたから。です」


 正直に答える。


 ここにトムがいれば、もっと熱く、志高く、少しのおべんちゃらを入れて入団理由を答えろと言っていたことだろう。しかし生憎この場に彼はいない。あろうことかティリーは『何言ってんだコイツ?』という表情を隠すことなく、かろうじての敬語で答えた。


「つまり慣例だから『暁の団』に入団希望というわけか」

「うん? カンレイ……」

「はっきり言おう。お前を――フェッツナー男爵家の関係者を『暁の団』に入れることはない。さっさと自分の教室へ戻れ」

「……うん?」


 ティリーは目をまたたかせる。


「なんで?」

「なんでだと? 入学早々停学処分を食らうような、騎士道とは何かもわかっていない輩を懐に入れるつもりはない。それに俺の代では必要ないのだ。フェッツナー男爵家の赤狼騎士団は」

「停学のほうの理由はわかる。でも赤狼騎士団が必要ないっていうのは、何言ってるのかわからない」

「言葉通りの意味だ」


 だとすればなおさら理解できない。ハルティング辺境伯家とフェッツナー男爵家の関係の始まりは、家系の起源にまで遡る。深く強い繋がりがあることをティリーは知っているゆえに、マティアスの言葉を理解できなかった。


 さして頭の良くない自分が知っていることを、辺境伯の孫であるマティアスが知らないのだろうか。だとすれば……と考えて、ティリーはピンときた。


「ばかなんだ……!」


 ビシッと指を差して真理を突けば、三年一組の教室の空気が張りつめた。話を盗み聞きしていたのだろう生徒の内、誰かが「ヒッ」と小さく声を漏らす。


「貴様……!」


 『お前』が『貴様』に変わった。


「騎士道精神だけでなく礼儀も弁えとらんのか!」


 今にも掴みかかってきそうな勢いでマティアスが怒鳴り声を挙げる。だがその程度で怯むような少女ではない。彼女も掴み返さんばかりの勢いで吠える。


「図星だからって怒鳴らないでよ!」

「何が図星だ!」

「そうじゃなかったらおかしいでしょ! 赤狼騎士団がいらないなんて言うのは!」

「必要ないもんを必要ないと言っただけだろうが!」

「だからそれが変だって言ってるの!」


 ふたりは怒鳴り合う。ギリギリのラインだ。どちらかがほんの少し――わずかにでも爪先が線を踏めば、暴力を伴う喧嘩が始まるであろう緊張感がある。


 緊迫するふたりの間に入ったのは――


「おいおい。マティアス、その辺にしておけ。令嬢、きみもだ。思うところはあるだろうが、確かにきみの態度は先輩に対するものでも、主君筋の令息に対するものでもないぞ」


 アクセルがティリーとマティアスの間に身体を入れた。落ち着いた声音だが、先ほどよりも重く、剣呑さを孕んだ硬さがある。


 意外にもマティアスは振り払うことなく、ただ「フン」と鼻を鳴らして引いた。そうなればティリーも引くしかない。引きどころを見誤るほど未熟ではなかった。とはいえ臨戦態勢の解除はしないが。


「いろいろ言いたいことはあるだろうが……とにかく、話の続きは放課後にしよう。もうすぐ午後の授業がはじまる。フェッツナー男爵令嬢、きみは教室に帰るんだ」

「……わかった」

「話すことなど、俺にはもうないがな」

「マティアス、やめろ」


 何故マティアスが入団を拒否し、赤狼騎士団は不要だと口にしたのかわからない。午後の授業などどうでもいいが、このことはトムに話したほうがいいのだろう。ティリーは三年一組の教室をあとにしたのだった。




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