第22話 嵐の新入生:Sideミヒャエル

 帝国学園騎士科の三年生、ミヒャエル=エンデ。


 成績も容姿も家柄も周囲に埋没した彼は、入学当時からあまり目立たない生徒であった。本人の性格が内向的だったことも作用し、友人と呼べる人間は現時点でふたりしかいない。彼は自分が冴えない人間だと自負していた。


 中央貴族の末席に名を連ねるエンデ男爵家は、代々城に仕える文官――主に財政や経理を司る部門の人間を輩出している。しかし重要な役職にあるわけでもなく、政治の世界における影響力は皆無と言っても過言ではなかった。強大な後ろ盾もなければ、そもそも敵すらいないような、箸にも棒にもかからない家である。


 文官は高給取りだ。しかも長く仕えている家であればあるほど支払われる給与は加算されていく。貴族としての力は貧相だが財務的にはまったく苦しくなく、身の丈に合わない贅沢さえしなければ老後の心配はしなくていい程度の資金を貯められる――それがエンデ家で、ミヒャエルはそんな家の次男だった。


 家を継ぐのは長男である兄で、彼は幼少期のわりと早い段階から、自分はいずれ家を出て職を持って身を立てなければいけないと考えていた。ゆえに父や親類縁者たちのように、文官になろうと勉学に励んでいたのだが、ある日、状況が変わる。


 十歳になろうかという頃、遠縁の男爵家から養子の誘いを受けたのだ。その家の当主夫妻は長く子供ができず、悩んだ末に養子を迎える決断をしたらしい。家督を継げないはずだった彼本人はもちろん、ミヒャエルを想う家族は降って湧いた幸運に飛びついた。


 だが、ここで問題が起きる。


 養子先の男爵家は、武門の家系だったのだ。当主は皇帝に仕える騎士であり、ミヒャエルを迎える条件として『帝国学園の騎士科を卒業すること』と、提示したのである。


(まあ、そんなうまい話があるわけないよね……)


 当時のミヒャエル少年は勉学に励む時間を削り、その分を身体作りと武術を学ぶ時間にあてた。武術の師匠や教育にかかる資金は全て先方が用立ててくれたため、エンデ男爵家に損はない。しかしミヒャエルにしてみれば、日常はそれまでと百八十度変わったようなものだ。


 もともと身体を動かすのは得意ではない。身体も大きくなく、剣よりもペンを持つほうが得意だ。だがそんなことを言ってはいられない。時間は限られている。ミヒャエルは師匠に必死に食らいついて学び、なんとか教えを身につけ――六年後、やっとの思いで帝国学園の騎士科に入学した。


 エンデ家の家族は誉めそやしてくれたが、ミヒャエルは自分が優秀だとか、才能があるだとか、そんなことは微塵も思わなかった。勘違いする間もなく、現実を見たからだ。


 ちょっと周りを見渡せば、同い歳だとは思えないほど体格に恵まれた屈強な同級生がゴロゴロいた。クラスにいるのも、幼少期から一流の戦術を叩き込まれ、ペンよりも先に剣を握ったのであろう連中ばかりだ。近衛兵の息子もいた。各地の武門の名家の子息もいた。


 現実を早くに見れて良かった。ミヒャエルは自分に才能なんてものが微塵もないことを知っている。だから十代の男子特有の熱に浮かされ、驕ったり、卑屈になったり、調子に乗ったりせずに済んだ。彼は己の立ち位置が、全体の限りなく下のほうで、ギリギリぶら下がっているだけであると自覚していた。


 騎士科の授業は厳しい。最初の年で半分の生徒が辞めていき、二年の時もさらに生徒は辞めていった。三年生になった現在、クラスは二度の編成を経て、入学時よりも遥かに少なくなっている。


 二年間なんとか騎士科の最底辺にしがみつき、三年目の学園生活を迎えた、ミヒャエル=エンデ。彼は今、なんの因果か――あるいは必然か――帝国学園最弱と囁かれる『篝火の団』の団長の役職を担っていた。


 篝火の団は三年生が二名、二年生が五名、一年生が一名が所属する、存続可能な規定人数ギリギリの団である。


 団員は彼と同程度の能力や立ち位置の――言葉を選ばないなら――冴えない学生ばかりだ。皆、地味でおとなしく、例え成績が振るわなくとも卒業さえできればいいと考えているような、積極性皆無、やる気もない面々だった。大声では言えないが、重要な団長の役職にしても、もうひとりの三年生とコイントスで決めている。


「――とはいえ、来年のことを考えるくらいはしてやらないとね……」


 ある日の放課後のこと。


 窓すらなく、ロッカーと背もたれのないベンチだけが置いてある狭い団室に、ミヒャエルともうひとりの三年生――ヒンネルクがいた。ふたりは青白い顔で話をしている。気が重い。重すぎる。彼と同じく体格に恵まれなかった友人は、ミヒャエルの言葉に「……う、うん……」と小さく頷いた。


「きみの弟くんが入ってくれたから、ぼくらの代までは八人いるけど、来年は足りない……たぶん、二年生がそのまま五人全員残らないだろうし、新入生が何人も入るような団でもないから……」

「……うちに、入っても……メリットないしね……」


 基本的に地方の貴族は同郷の人間が在籍する団に所属する。中央の貴族にしても、実家が属す派閥の有力者がいる団に加入するのがほとんどだ。厳しい試験を突破してくる平民は家の縛りなどないが、将来のことを考えれば、できるだけ力のある貴族の元へ行きたいと思うのは必然である。


 篝火の団にいるのは、宙ぶらりんな学生だけだ。


 ミヒャエルにしても文官畑のエンデ家に武門関連の知人はおらず、自然と決まった団に入れるような道はなかった。養子に迎えてくれる男爵家のほうの繋がりはあるが、ミヒャエルはまだ正式に養子にはなっていない。卒業できなければこの話はなくなるのだ。入学時の段階で、そちらの繋がりを頼ることはできなかった。


「……せめて、ふたり……抜けるおれたちの、数くらいは、補充してやりたいけど……」

「難しいよね……もうほとんどの学生は、どこかしらの団に入ってるだろうし。宙ぶらりんになってる子を探すしかないかなー……」

「……気が、重い……弱小の、団が勧誘なんて……」

「それをしてきた先輩たちがいるんだよ」


 事実、ミヒャエルもヒンネルクも一年生の時、当時の篝火の団の三年生に勧誘されて入団した経緯がある。今思えば、自分たちと似た属性の先輩が、よくそれだけ積極的に動けたものだと感心してしまう。


「とにかく、昼休みにひとりでいる子とか、教室の隅っこで静かにしてる子とか……探して声かけてみようよ」

「……く……胃が痛い……」

「わかる」


 漏れた溜め息が重なった。


「わかるけど……やるしかないよ。さっそく明日から――」

「こんにちはー!」

「っ!?」


 その時、団室のドアが押し開けられた。勢いよく開けられた扉は中の壁にぶつかり、ガンッと盛大な音を立てる。ノックすらなかった。あまりにも唐突なできごとに驚き、ベンチに座っていたヒンネルクは肩を跳ねさせ、ミヒャエルに至っては尻から落ちた。


 目を白黒させるふたりのことなど気にせず、来訪者はなんの躊躇いもなく中へ入ってくる。五人組だ。先頭にいるのは深紅の髪を頭の高いところでひとつに結んだ女子生徒。制服を見る限り、騎士科の一年生だ。


 彼女の一歩後ろには騎士科ではない一年生がおり、そのまた一歩後ろに三人の男子学生がいる。巨漢の青年と、髪型を気にしている青年、制服は一年生のものだが見た目は成人男性に見える青年――彼らはもちろん、先頭の女子学生も、そこにいる五人は体格に恵まれ、堂々とした雰囲気を纏っている。


(この子たちと廊下ですれ違ったら、ぼくは目を逸らして道を譲るんだろうなー……)


 突然すぎて言葉が出ず、ミヒャエルの頭は現実逃避をはじめた。


「どうもはじめまして。わたしはティリー=フェッツナー。この『篝火の団』を乗っ取るためにきたから、ま、よろしく」


 乗っ取り宣言。


 入学して一か月も経たない後輩に、喧嘩を吹っ掛けられているのだろうか。明らかに舐められている。厳しいと評判の騎士科で、最下層とはいえ三年目を迎えた自分たちを馬鹿にするなんて許せない――なんてことを思えるミヒャエルではない。


 ミヒャエルとヒンネルクは状況を理解できず、かといって強く言い返すこともできず、乾いた笑みを顔に貼りつけた。


「お、お手柔らかに、お願いします」


 尻もちをついたままのミヒャエルが言うと、深紅の髪の女子学生は目を細めて笑う。顔立ちはかわいらしい子なのに、何故だろうか。その笑みは、獲物を捕らえた肉食の獣を彷彿とさせた――。




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