第48話 初恋の少女へ・後:Sideコンラート


 遠くの山々の間から太陽が昇ってくる。


 夜明けの時間だ。差し込む眩い光に照らされたルーカス伯爵家の周辺には魔物の死骸が転がり、美しかった街並みは血に彩られていた。


 しかしそれを汚いとか、不潔だとは思わない。コンラート少年は昨夜からずっと、一睡もせずにフェッツナー男爵家の『赤狼騎士団』が戦う姿を見ていた。義父や義兄には戻っていいと言われたが、彼は城壁の物見通路に居続けたのだ。思えばこれが初めて、義家族相手に自分の意見を通した瞬間だった。


「開門! 開門願う!」


 赤狼騎士団のひとりが閉ざされた門の前で叫ぶ。周りを濠に囲まれているため、門へ続く道は一本だけだ。ルーカス伯爵はすぐに門を開けるように指示をし、開け放たれた門から赤狼騎士団が入って来た。


 戦闘を終えた集団が入ってくる。様子を見に来た領民や家臣たちは、喜色の浮かんだ顔で彼らを迎え入れた。義兄たちが言っていたように、赤狼騎士団は羨望の的なのだろう。子供はもちろん、かつて彼らに憧れた青年や壮年の男性たちも目を輝かせて歓迎している。


 今回の一団を率いているのはフェッツナー男爵の弟にあたる人物らしく、筋骨隆々とした偉丈夫だった。少し暗い色の赤髪で、周辺にいる同じ赤髪の青年たちは息子や従兄弟といった、近い親族だとか。


 男爵の弟はルーカス伯爵である義父と挨拶を交わしていた。心なしか義父の顔は高揚しており、どうやら伯爵も赤狼騎士団に憧れていたようだ。


「魔物の死骸は後続の処理班が担当します。お望みの素材などがあれば被害に遭った領地に低価格で融通すので、担当者を選出しておいてください」

「お気遣い感謝します。湯の支度をしていますので、歓迎の食事の用意ができるまでごゆるりとおくつろぎください」


 伯爵家と男爵家には随分と家格の差がある。しかし義父は丁寧に、相手を敬いながら会話をしていた。男爵の弟の彼は伯爵の態度に恐縮した様子もなく、どうやらその扱いに慣れているらしかった。どの領地でも同じように歓迎されて、感謝されているのだろう。


 コンラートは義母や領民たちと共に、湯へ行く前の騎士団員に果実水や度数の低いワインを振る舞った。


 少年はひと目で赤狼騎士団に惹かれ、ひと晩を経て彼らに憧憬の感情を抱くようになった。差し入れを渡す手が微かに震える。とんでもなく強かった騎士に屈託のない笑顔で「ありがとよ!」と声をかけられると、柄にもなく緊張した。


「なあ、坊主」


 話しかけて来たのは暗褐色の髪色の青年だ。


「見たとこ、十二、三歳ってとこか?」

「っ、うん」

「時間があるなら、向こうに行っちまったウチの仔狼を捕まえて来てくれ」

「仔狼?」

「昨日の夜から飲まず食わずで暴れ回ってやがるのさ。美味いモンがあるって誘えばついてくる……どうだ? 頼めるか?」

「わ、わかった!」


 憧れの赤狼騎士団の団員に頼みごとをされたコンラートは、使命感を胸に抱いてその場から走り出した。後ろから「おー、早ェ、早ェ!」と声が聞こえ、少年はさらに走る速度を上げる。


 途中、仔狼の手掛かりがゼロだと気付いたが、走り出した足は今さら止まらない。コンラートは謎の『仔狼』を探して、伯爵家の敷地を走り回った。


 そして、その瞬間は唐突に訪れる。


 屋敷から離れた場所にある馬小屋で、コンラートは仔狼――燃えるような真っ赤な髪の少女を見つけた。血がべっとり付着しているのに、彼の目にはそんなもの映らない。馬を見上げるキラキラ光る黄金色の瞳と、朝陽を反射させる艶やかな深紅の髪がまぶしくて……鼓動が速まっていく。


 胸が掴まれたみたいに苦しくて、コンラートはぎゅっと胸元を握り締めた。息苦しいのに、その少女から目を逸らすことができない。数十秒か、数分か――時間の感覚がわからなくなるほど、少年は少女を見つめていた。


(見間違いじゃなかった……)


 昨日、戦場で子供の姿を見た気がした。小さな身体はすぐに戦場の混乱に飲まれて見えなくなり、気のせいかもしれないと思ったのだ。


 じっと見つめていると、不意に少女がこちらを振り向いた。黄金色の瞳がコンラートの姿を捉えたのがわかり、体温が急激に上昇する。その場から逃げ出したい衝動に駆られたが、反して、足は縫い付けられたかのように動かない。


「だれ?」


 少女がこてんと首を傾げる。


「あ……」

「あ? しゃべれないの?」

「っ、しゃ、べれる……」

「なるほど。じゃあムクチなんだね」


 彼女がウンウン頷く度に、見惚れるほど綺麗な髪が揺れた。


「いいと思う! エーメンさんが言ってたよ。オトコは口よりも手を動かす、マジメに働く人のがいいんだって!」

「え? エーメンさん……?」

「エーメンさんはね、牧場の奥さんなの」

「そう、なんだ」

「この前、仔馬が産まれたのを見に行った時『ケッコンするならうちのヌルイエみたいな男にしなさい』って言われた。わたしの周りはオチョウシモノのオバカサンばかりだから、そういうのはダメって」


 よくわかんないけどね、と続けて、彼女は口を開けて笑う。綺麗に並んだ小さな白い歯が眩しい。ドキドキしながらも視線を逸らせずにいると、ふと、少女のほうからお腹の鳴る音が聞こえた。


「今の……」


 へにょんと少女の眉尻が下がり、血の付いた手が腹を撫でる。


「おなかすいた」

「え?」

「おなかすいた!」

「あ……伯爵家で食事の支度をしてる、って」

「ごはん!? どこ!?」


 そう言いながら彼女が近付いてきた。距離が一瞬で縮められ、コンラートは思わず息を呑んだ。


「あっちのほうで……」

「わかった! でも、その前に……出して!」

「出すって?」


 差し出された手の平に少年は目をまたたかせ、首を傾げた。嫌だなんて微塵も思わない。彼女が望むのであればなんだってあげたいと思う。だが気持ちとはうらはらにコンラートには何を渡せばいいのかわからなかった。


 彼女がくんくんと鼻を動かす。


「いいにおいがする。おかし、もってるでしょ?」

「おかし……? そんなの――」

「早くちょうだい!」


 隠している誤解されたらしく、仔狼と称された彼女はムッと唇を尖らせた。そんな顔をされても……と思うのと同時、コンラートはふと気付く。少女が言ったお菓子の正体はおそらくソレだろう。


 ポケットからハンカチに包まれたクッキーを取り出し、彼女の手に乗せた。ハンカチを広げた瞬間、黄金色の瞳が輝いた。


「ナッツのクッキー!」

「好きなのか?」

「うん。チョコレートのクッキーも好き。上に砂糖がかかってるのも!」


 満面の笑みを浮かべた彼女は、口を大きく開けてクッキーを食べる。それなりのサイズのクッキーをひと口で食べ、咀嚼する彼女の表情は幸せそうだ。そんな顔を見ていると、最前線で魔物と戦っていた少女だとは想像もつかない。


 兄たちがわけてくれたクッキーだが、彼女が美味しそうに食べてくれる姿を見ていると胸が温かくなる。よくわからない、うまく説明できない感情だ。


 じっと見つめていたからだろう。彼女がふとコンラートを見て動きを止める。


「? ひと口食べる?」

「え?」

「しょうがないなあ。ひと口だけだよ?」


 残りは全部わたしのね、と、赤髪の彼女が言った。元は全てコンラートのもので、貰い物なのによく言えるな、という態度だ。それなのにコンラートは「ありがとう」と、一枚を半分に割ったクッキーを受け取った。


(食べるの、もったいないな)


 そう思いながら大事に食べれば、昨夜食べた時より甘く感じた。


 少女はあっと言う間に二枚半のクッキーを食べ終わり、二ッと笑う。


「おいしかった! あとはごはんを食べるだけだね!」

「あっ」

「早くあんないして!」


 血とクッキーのクズがついた手が、コンラートの手を取った。彼のものよりも熱くて、手の平は固い。武器を握る人の手だとすぐにわかった。魔物を相手に怯まず、戦う少女の手の感触に、尊敬の念を抱く。


 行き先を知らないのに走り出した彼女に手を引っ張られて、コンラートもその場から駆け出した。少女の背中と揺れる深紅の髪が、仄かに香る血のにおいが、明るく弾むような声音が――彼の脳裏に鮮明に焼きつく。


 この出会いを経て、コンラートは変わった。義家族に剣を覚えたいと強く訴え、いずれ赤狼騎士団に身を置くという願望を抱くようになった。毎日鍛錬をし、義兄たちに心配されるほど己を鍛え抜く。


 そして一番の変化は――


(男は無口で、冷静沈着なほうがいい!)


 最初は違和感のあった『冷静沈着な男』の振る舞いも、それから数年経てばすっかりと板についていた。コンラートは着々と成長した。背が伸び、同年代と比べて体格にも恵まれ、才能があったらしい剣の実力は確かなものとなった。


 その後、彼はフェッツナー男爵家のひとり娘が――あの日の輝く少女が結婚相手を探していると知り、義父に頼み込んで釣り書きを送ってもらった。当時はわからなくても、今ならわかる。


 あの日の、あの感情は――


「ティリー=フェッツナー」


 彼女の名を、呼ぶ。


 黄金色の瞳を向けられ、胸の高鳴りはあの頃と変わらない。否、それどころか増しているようにすら感じる。


 コンラート=フォン=ルーカス――彼は、何よりも美しく、尊いとされる『初めての恋』を、ティリー=フェッツナーに捧げていた。






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