第47話 初恋の少女へ・前:Sideコンラート


 コンラート=フォン=ルーカス。


 彼は東部貴族のルーカス伯爵家の人間である。七つ上に嫡男である長男、五つ上に双子の次男と三男がおり、六年ほど前、十歳になったばかりのコンラートは、伯爵の四番目の子として家に入ることになった。


 血筋を正確に表せば彼は伯爵の甥にあたる。コンラートの実母が伯爵の妹で、南部に嫁いだが揉めて出戻った。その後すぐ病に罹り、精神的に参っていたせいか、回復することなく病没。親権者たる母を亡くしたことで、縁を切った父親が口を出してこないとも限らず、伯爵が妹の子を養子として引き取ったのである。


 ルーカス伯爵家の面々は善人ばかりだ。血縁の義父はもちろん、血の繋がりがない義母もコンラートに良くしてくれた。邪険にされたことや虐げられたことはない。御家騒動が多々ある貴族としては珍しく実子と同じように可愛がってもらい、義兄らも歳の離れた彼を実の弟のように面倒を見てくれた。


 義理の家族から愛情を注がれた分、コンラートは――申しわけなさを感じていた。実の息子が三人もいて、例えコンラートが実の子だったとしても、四男なんて政略的な価値はほとんどないだろう。三人が愚息であるなら話は変わるが、ルーカス伯爵家の揃いも揃って優秀だった。


 無償の愛を与え、自分を大切にしてくれる義家族に何が返せるのか。子供の頃のコンラートは常にそのことばかりを考えていた。恩と引け目――優しいはずの人たちにそれらを感じてしまうのは、南部にいた頃の扱いが良くなかったからだ。


 コンラートの母と実父は帝国学園の同級生として出会った。生まれ育った地域こそ違うが、家格の差や政治的な対立がなかったため、誰に反対されることもなく結婚に至った。


 結婚当初の両親の関係は良好だったそうで、すぐに第一子の嫡男――コンラートが生まれた。


 しかし母は産後の肥立ちが悪く、体調を崩しがちになってしまい、伯爵家嫡男の嫁としての役目をこなせなくなったらしい。元々東部の人間である母には、南部に親族などの味方がいない。次第に孤立していき、コンラートの物心がつく頃には、体調が良くても寝室から出なくなっていた。


 愛し愛され結婚したはずの両親だが、その頃には実父の心は母から完全に離れていたのだろう。周囲が役目をこなさない妻を非難する内に、彼自身、妻をないがしろにするようになった。


 事実、コンラートには母親の違う異母妹が二歳下にいる。南部の子爵家の女性が産んだ子で、その女性は父の幼馴染みだった。彼女は父の両親――コンラートの祖父母である伯爵夫妻が昔から可愛がっている人で、子を産んでからは伯爵家の内向きの仕事を任されるようになっていた。事実上の、妻である。


 幼いコンラートは詳しいことまではわからなかったが、母が阻害され、孤立していることは察していた。早熟だった彼は、自分が上手く立ち回れば、母の状況が改善するのではないかと考えた。


 だからコンラートは努力した。母がないがしろにされていても、彼は嫡男だ。幼い頃から家庭教師がついていた。コンラートは自ら積極的に家庭教師に教えを乞い、自主的な予習復習を欠かさず行い、優秀な嫡男としての立場を築いていった――


 ――しかし彼が八歳になった時、状況が変わる。内縁の妻だった子爵令嬢が男児を出産したのだ。


 その頃になると、母へ向けられる父の愛情や関心といったものは完全になくなってしまっていた。それと同じように、新たな息子の誕生は、コンラートへの無関心を助長させた。


 足りなかったと言われればそれまでだが……結局、コンラート少年の努力虚しく、両親は離縁することになった。


 妻が病がちだったとはいえ、父は不貞の末に子をふたりも設けている。母は慰謝料を求めず持参金の返還だけでいいと主張し、代わりにコンラートの親権を要求した。


「わたくしの息子を、あなたは愛してはくれないのでしょう? あなたの家族の中にわたくしたちはいない。あの日、あなたに捧げた初恋も愛の結晶も、全てわたくしに返してもらうわ」


 これまでどんな扱いをされても沈黙を貫いていた母は、コンラートが初めて見るような凛とした様子でそう言い放った。父は、何故か傷付いたような顔をしていたが、反論することなく、息子を伯爵家の籍から抜いた。そして、そのまま両親は離婚したのだ。


 どんなに努力をしても手に入らなかった、家族愛というものが、何もしていないにも関わらず与えられる。無償の愛だ。コンラート=フォン=ルーカスとなった少年は混乱の中で生活していた。


 コンラートが十二歳になった年の冬――ルーカス伯爵領で魔物が発生した。義父は手早く領民を伯爵家の城に避難させ、東部の主たるハルティング辺境伯家に連絡――その間、ルーカス伯爵家の私兵は防戦にあたった。


(防戦では魔物を追い払えないのに)


 南部では領内に魔物が現れると、その土地の領主が私兵を派遣して討伐にあたる。コンラートが生まれた伯爵家でもそうだった。


 普段よりも少ない量の夕食を食べたあと、伯爵家の息子たちはリビングに集まっていた。それぞれの部屋に分かれれば、その分、暖炉や照明の燃料を消費してしまうからだ。暖炉の火がパチパチ音を立てている。毛足の長い絨毯の上に直接座り、燃える火で暖を取っていた。


「籠城するだけでいいの?」


 彼がそう尋ねると、三人の兄は安心しろとばかりに笑みを浮かべた。そして等しく配給された保存食のクッキーをそれぞれ一枚ずつコンラートにくれる。遠慮したらハンカチに包んでポケットにねじ込まれた。


 それから三人は防戦に徹する理由を話してくれる。


「東部にはフェッツナー男爵家の『赤狼騎士団』がいるからね。彼らが来るまで持ちこたえればいいんだよ」


 長兄の言葉に双子が「そうそう」と同意した。


「ルーカス伯爵家の屋敷もだけど、東部貴族の屋敷や城は高い塀に囲まれていたり、濠が掘ってあったりして、防御力が高いのが多いだろ? それはな、こういう非常事態に領民ごと籠城戦ができるようになんだぜ」

「どこの貴族も、領民がいつでも避難できるように兵糧を一定量備えるように、辺境伯家からのお達しが出ている。主体は籠城戦だ。兵の訓練の時間を防衛能力向上に割ける分、守りに特化させられる」

「攻撃と防御に割く訓練の時間を、防御に多く振り分けられる」

「うん、正解だよ。コンラートは賢いね」


 穏やかな気風の長兄がコンラートの頭を優しく撫でる。双子の兄ふたりはやや乱暴な手つきで、ガシガシと撫でてくれた。


「魔物の討伐は赤狼騎士団が担ってくれてるんだ。すごく格好いいんだぜ。一騎当千の騎士や戦士ばっかりでさ!」

「特に男爵家の血筋の、赤い髪の人たちは尋常じゃない。彼らの戦いぶりを見ると、呆気に取られてしまう」

「東部の男の子たちはみんな、フェッツナー男爵家の赤狼騎士団に憧れて、一度は剣を握るものだよ。もっとも、そのあと続けられるかは才能次第だけれどね」


 赤狼騎士団のことを語る三人の目には憧憬が浮かんでいる。コンラートがじっと見ていると、暖炉の灯りが彼らの髪に反射した。


 彼の黒髪は義家族との誰とも同じではない。その色は南部の実父の家系の色だ。ルーカス伯爵家の面々は淡い緑系の色を纏っている。亡き彼の母も眩いばかりの若草色の髪の持ち主だ。


 三人の兄たちのなすがままにされていると、次第に眠気で目蓋が落ちてくる――その時、屋敷外で警鐘が鳴り渡った。


「魔物だね。行かないと」


 伯爵家の後継である長兄が立ち上がると、双子の兄たちもそれぞれあとに続く。長兄は父親と合流して指示を仰ぐらしい。避難所に顔を出し混乱が起きていたら伯爵夫人と共に鎮めるのが次男と三男の役目だ。


 コンラートは長兄と共に伯爵の元へ向かう。義父と義兄の決定を避難所にいる義母たちへ伝えるのが彼の役目だった。コンラートは足が速い。バランス感覚も良く、ちょっとした高さから平気で飛び降りたり、大人の通れない細い道を速度を落とさず走ることができた。そのためこの役目を任せてほしいと、自ら手を上げたのだ。


 義父や主だった家臣は、城壁の上に築かれた物見の通路にいた。


「お父様、魔物の量は?」

「少なくはない。だが、あまり心配をする必要はないだろう。門を固く閉じたまま、我らは彼らの間を抜け逃れて来た魔物を倒すだけでいい」

「彼ら?」


 コンラートは城壁の上から下を見る。暗くて遠くまでは見通せないが、音が聞こえた。たくさんの馬の激しい足音だ。地面が揺れている。


 城壁の灯りと月光に照らされて、地揺れの正体が見えてきた。波のように押し寄せて来る、禍々しい魔物の群れ――そして、それを追う騎士たちの姿。


 彼らの戦いは騎士と呼ぶには荒々しく、戦士と呼ぶには統率の取れたものだった。長い槍が魔物を貫き、鋭い剣が魔物を一刀両断する。雄叫びを挙げて殴り飛ばす者もいれば、踊るような身軽さで跳ねて急所を狙う者もいる。


 一騎当千の騎士と戦士が揃う、赤狼騎士団。


 三人の兄たちが話してくれた存在だと、誰に説明されなくともわかった。


(すごい……)


 特に群を抜いているのは先頭付近にいる、赤髪の騎士たちだ。魔物の群れを突破していく姿は、まるで波を割っているかのようだった。離れているのに、あまりの迫力に鳥肌が立つ。その名の通り、眼下にいるのは獰猛な狼だ。


 冬の夜を裂くような熱気に、空気が震え――


「え……?」


 不意にコンラートの口から声が漏れた。


「どうしたの?」

「な……なんでもない」


 義兄には咄嗟にそう繕った。嘘をついたわけではない。彼自身、一瞬だけ目にした光景が、見間違いかどうかわからなかったからだ。気のせいだろうか。


 もっとも激しく戦う赤い狼たちの中に、ほんの一瞬、子供の姿が見えたような気がした――








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