第46話 きみが大人になる頃に:Sideトム


(イモムシ……いや、ミノムシだな)


 騎士科の円形闘技場にある控室のベンチで、ティリー=フェッツナーが毛布にくるまり、丸くなっていた。リズリー夫人が用意してくれた手触りのいい毛布は、よほど温かく、心地いいのだろう。彼女は安心しきった顔で眠っている。


 決勝戦の控室は、準決勝やその前の第一試合とは違う場所だった。


 闘技場への入場門は、舞台を挟んだ対角線上の白門と黒門のふたつしかない。これまでの二試合『篝火の団』は白門から入場したが、今日の対戦相手――『暁の団』もそうだった。


 今回どちらが黒門から入場するかという話になった時、ティリーがあっけらかんと『どっちでもいいよ』と言ったため、篝火の団がこれまでと違う控室と入場門を使うことになったのである。彼女があまりにもあっさりと言い切っていたため、打診に来た教師が驚いていた。


 戦いを控えている身ならば、少しでも慣れた場所に身を置きたいものだ。急な変化が影響を与えないとも限らず、闘技場を主戦場にする武人の中には、朝食のメニューやどちらの足から靴を履くかまで、まったく同じ行動をする者もいるらしい。


(慣れない場所でも関係ねえんだよな、コイツは)


 験を担ぐ必要がないほど彼女の実力は圧倒的だ。すでに前線に出て戦いを経験しているティリーが、これから騎士になるために学び始めた学生に後れを取ることなど、決してありえはしない――とはいえ、今日のティリー=フェッツナーがどれだけ動けるのか、その点には疑問があるのだが。


 今朝の騒動は記憶に新しい。トムとチャールズは何があったのか、リズリー夫人の口から説明を受けた。


 女性の身体のことだ。普通であれば秘匿されてしかるべきではある。だが本人の自覚と知識が乏しいこと、トムたちがただの幼少期からの友人としてではなく、従者としてサポートの立場で同行していることを考慮し、夫人が話してくれたのだ。


 夫人の話を聞き、チャールズがどこまで理解したか、トムにはわからない。日常ではタイロンやツィロ、ティリーと馬鹿騒ぎしている男だが、意外と器用な部分も持ち合わせている。その時がくれば過不足のないサポートをするのだろう。実際、馬車にクッションを持ち込んだのは彼だった。


 途中までではあるが、今朝は入学以来初めて馬車で登校した。朝早い時間だったため人目にはついていないが、情報収集能力に長けた人物が暁の団にいれば、狂犬の不調を悟られているかもしれない。というのに本人は至って気にした様子もなく、控室に入った途端、夢の世界へ旅立った。


「ティリーさん、大丈夫かな?」


 不安げにファルコが言う。


 彼には詳細は伏せ、ティリーは体調不良だと伝えた。するとそれを聞いたファルコは真っ青になり『た、食べすぎだと思ったのに、止められなかったから……! 一緒に屋台まで回って……ッ!』と、涙目で悲痛の声を上げた。どうやら、食べすぎによる腹の不調だと、中らずとも遠からずな勘違いをしているらしい。


「戦える、の?」


 ファルコの問いに、トムとチャールズは顔を見合わせた。


「まあ、俺が出てもいいけど、ティリーが納得するとは思えねえな」

「だろうな。昨日は不戦勝で、その前は獲物をチャールズに譲った形だ。一昨日から観戦しかしてねえし、戦いへの欲っつーもんがだいぶ溜まってるに違いない。そんなヤツから戦いの場を取り上げようもんなら……」

「怒って暴れるぞ」

「おう、十中八九な」

「そ、そっか……」


 ティリーが暴れるのは、トムの望むところではない。止められないでボコボコにされるだろうから、という理由もあるが、体調不良の人間に余計な戦闘をさせたくはなかった。


 トムはベンチへ目を向ける。


 あどけない寝顔だ。いくら狂犬と呼ばれて、自分では到底敵わない実力者だとしても、眠る顔は子供の頃と変わらない――そう思うのに、心のどこかで、彼女が変わってしまったことを、トムはひしひしと感じていた。


(チャールズのほうが器用だったのかもな)


 変化に順応できていないのは、チャールズではなく自分のほうだ。


 幼馴染みで、悪友で、そう遠くない未来の主君であるティリー=フェッツナーが、少女から女性へ変わる過渡期へ足を踏み入れた。いずれそういう時が来るとわかっていたはずなのに、思っていた以上に動揺する自分がいる。


 それが、情けない。


「そろそろ起こすか?」


 上――円形闘技場のほうから歓声が聞こえる。騎士科の総長が挨拶をしているのだろう。例年であれば決勝を戦う者たちもその場にいなければならない。だがギリギリまで控室にいることを認めさせたのは、トムの功績だった。


『慣れた控室を譲るんです。精神統一の時間、もらえますよね?』


 教師は渋々といった様子だったが、ダメだとゴネたりはしなかった。当然だ。その前の段階で――本人は意図していないが――生徒であるティリーがあっけらかんと控室を譲るという、懐の深さを見せつけたのだ。指導者である教師がそれ以上のものを見せなければ、立場がなくなる。


 こうして篝火の団は、試合開始までの最大限の時間を手に入れた。けれど、それもそろそろ限界なのだろう。上の歓声はだんだん大きくなっている。両者とも中央貴族とはあまり関わりのない団だが、観客は随分と盛り上がっているようだ。


(それが決勝戦か。お祭り騒ぎだな)


 三人の目が眠り続けるティリーへ向けられる。


 穏やかな寝顔だったが、不意に眉間に皺が寄った。目を縁取る睫毛がふるふると動き――彼女はゆっくりと目蓋を持ち上げる。しかし身体は起こさない。ベンチに横たわったまま、胡乱な目で三人を見た。


 トムはティリーに歩み寄ると、ベンチの横に片膝をつく。


「起きたか?」

「うん」

「意識は?」

「ぼんやりしてる」

「体調は?」

「……良くない。朝のほうがまだ良かったかな」


 胡乱な目のまま動かずにいたのは、どうやら自身の体調を正確に把握しようとしていたから、のようだ。ティリーの顔色は良くない。


 リズリー夫人曰く、今の彼女の体調は動き回るのに適していないそうだ。体温は普段よりも高く、熱っぽい状態で、腹にも腰にも鈍い痛みを抱えているのだとか。トムにはわからないが、内臓をぎゅっと握られているかのような鈍痛らしい。精神面にも影響が出てくるため、判断力も鈍るかもしれないと言っていた。


「なあ、ティリー」

「……うん?」

「お前、戦えるのか?」

「? 何言ってるの? そんなの余裕だよ」

「本当か?」


 念を押して尋ねれば彼女は小さく息を吐き、横たえていた身体を起こす。そして眩い金の目をトムへ向けてきた。


「しつこい。大丈夫だよ」


 これ以上聞けばティリーは怒る。


 それを察したトムは口を閉じた。自身の体調を把握しようとしていたくらいだ。当然、戦う意志があるに決まっている。そこに、ああだこうだと水を差すような問いを投げられれば不快にもなるだろう。


(こっちの気も知らねえでさ)


 チャールズとファルコもティリーの元へ歩み寄る。


「む、無理はしないでね?」

「聞く限りじゃ、なかなかやるらしいぞ。暁の団のコンラート=フォン=ルーカスってヤツ。油断すんなよ」

「はいはい」

「ンだよソレ。俺は本気で言ってんだからな? お前がコケたあと、尻拭いすることになるのは俺なんだぞ? で、俺が負けたらファルコだ」

「……そ、そうなったら、勝てないよ?」


 ビクビクと青い顔で言うファルコに、チャールズは「その時はヤられる前にさっさと棄権しろ」と告げた。


 三人の様子を見たトムは内心で息をつく。


(このふたりはティリーを戦わせるって決めてんのか)


 心配してアレコレ言うのはトムだけだ。十数年生きてきて初めて自覚したが、やはり自身の順応性は低いのかもしれない。チャールズとファルコのほうがよっぽど状況を受け入れている。


 変わるべきなのだろう。自分も。トムもそう思いはするのだが――


「なあ、ティリー。薬はどうする? 飲むか?」


 ――やはり、心配するのはやめられないのだ。幼少の頃、自分の身を挺してまで仲間を守ろうとし、傷付いてもなお、戦った彼女の姿を覚えている。死ぬまで戦い、惨たらしい死を迎える姿を想像し、ゾッとしたことも……。


 だからこそ、強く、たくましく、獰猛で凶暴な、ティリー=フェッツナーを必要以上に心配し、歯止めを掛けるのは、自分の役目だ。


「飲まないよ。頭がボーッとして眠くなるって、夫人が言ってたから。それよりはまだ、痛みがあったほうがいい」


 トムはしつこいなあ……とボヤきながら、彼女が赤い髪をひとつに結ぶのを、彼は黙って見守る。これからの戦いを観客席で見守ることしかできないことに初めて、騎士科に入学できなかったことを、恨めしく思ったのだった――。








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