第12話 サボタージュ・前:Sideトム

 高いところで結んだ美しい赤色の髪は、まるで尻尾のように左右に揺れている。騎士科の中庭から走り去るティリーの背中はすぐに見えなくなった。


「おーおー、相変わらず速ェなー」


 タイロンが腹の肉を揺らしながら感心している。それに追随して同意するツィロとチャールズをトムは半目で睨んだ。


(コイツらなんのために学園に来てんだよ)


 アンデルセン帝国学園に入学の義務があるのは、男爵以上の爵位を持つ貴族の子息令嬢だけである。騎士爵を持つ者の子や平民の子は、試験を受けて結果を出せば入学を許されるが、それは決して義務ではなかった。


 トムをはじめとする彼ら四人の父親は、赤狼騎士団に所属する騎士ではあるが騎士爵を有しているわけではない。三馬鹿と呼ばれる三人は平民の子だ。そして実の両親を亡くして騎士爵を持つ男に養子として引き取られたトムは、騎士爵家の子だった。つまるところ四人に学園の入学義務はない。


 それにも関わらず簡単ではない試験――騎士科は実技試験を行っている――を突破してまで入学したのは、ひとえにティリー=フェッツナーをサポートするためである。しかしこの幼馴染みの三馬鹿はティリーを支える立場を自覚しているのかいないのか、領地にいた頃の『お友だち』気分が抜けていない。


 溜め息が漏れた。


「おい、お前ら。行くぞ」


 三馬鹿の目がトムを映す。


「追いかけるのか?」


 顔の造形に自信のある男、チャールズが首を傾げて言った。


「やめとけやめとけ。ティリーだぞ? 追いついたところで『ついて来ていいよ』とか言うやつじゃねえって」


 同年代に見えないツィロは嫌そうに顔を顰め、その隣ではタイロンが肩の肉にほぼ埋もれた首を竦める。


「ついてくと昼メシ食い損ねる」

「ホント、お前ら……」


 呆れて言葉も出ない。代わりに二度目の溜め息を吐いた。将来のためにとはいえ、ひとりだけ騎士科に進学しなかったことが悔やまれる。将来の彼女を支えるため、今の彼女を傍で支えられないというのは皮肉な話だ。


 ジーッと見据えるが、三馬鹿は梃子でも動きそうにない。


「もういい。わかった。俺ひとりで行く」


 トムは唇を尖らせながら言って、子供の頃からの友人たちに背を向ける――


「ちょちょちょ! 待てって、トム!」

「そうだぞ、拗ねんなって!」

「拗ねてねえよ!」


 ガシッと後ろから肩を掴まれた。ツィロとチャールズだ。そのまま両側から肩を組まれてトムは眉間に皺を寄せる。剣の腕では負けないが、ふたりに力ずくで引き留められてしまえば振り払えない。


 足を止めた彼に、悪友たちが左右からぐぐっと顔を寄せてきた。


「そう怒んなって。な? 俺たちだって、ティリーのサポートをしなくちゃいけないっつーことはわかってんだよ。でも本人不在の状況でサポートもクソもねえだろ?」

「ツィロの言う通りだぜ。ティリー=フェッツナーだぞ? 俺らが『気ィ遣って先んじて道を整えておきましたよ!』なんて言って納得するヤツか?」

「それは……」

「むしろ怒るだろ? 『余計な真似するな!』とか『自分の行く道は自分で決める!』とか言い出して、挙句の果てに暴れ回るのがオチだ。そうだろ?」


 ツィロとチャールズの言うことは間違っていない。


 気を利かせて友人候補を用意したフェッツナー男爵や、勝手に友人を用意しようとしていたグローネフェルト侯爵夫人に対し、ティリーは不満を隠そうともしなかった。彼女は『さあ、この道をどうぞ』と、決まった道を敷かれることを嫌う。道なき道――あるいは獣道を好む人間だ。


 彼らの言葉はもっともだと思う。だがそれが正解だとするなら、死すら恐れず怯まない性質の彼女を止めることなど、不可能だ。例え相手が嫌がろうとも、やらなくてはならないことがあると、トムは思っている。


「もういい。お前たちの言いたいことはわかった。でもだからって、あいつをひとりにはできねえだろ」


 トムがそう言うと、一拍置いて両隣から「はあああ」とわざとらしい溜め息が聞こえた。


「なんだよ?」


 答えないふたりの代わりに、タイロンがのそのそと立ち上がって近付いてくる。そしてトムの顔をビシッと指差した。


「過保護なんだよ!! お前は!!」

「あいつをその辺のか弱い貴族令嬢だと思ってんのか?」

「邪魔者も危険も全部ぶっ飛ばす狼だぞ?」

「わかってねえなあ」

「ほんと。わかってねえ」


 やれやれと言わんばかりの三馬鹿に、トムのひたいに青筋が浮かぶ。


「どうやらお前らとはわかりあえないらしいな」

「痛っ!」

「テメェ!!」


 トムは素早く両隣の悪友の足を踏みつけ、肩を組むツィロとチャールズを振り払った。


「俺は追いかける。お前らは勝手にしろ」


 そう言って歩き出したトムを三人は追ってこない。


 だが少し距離が空いた時、後ろからタイロンの声が聞こえた。


「けどよー、三年の教室に乗り込むティリーは見てみたいよな?」

「確かに!」

「あいつのことだ! 何かやらかすに決まってら!」


 ドタバタと騒がしい足音が近づいてくる。余興じゃねえんだぞ、と怒鳴りたい気持ちを抑えてトムは三人の幼馴染みが追いつくのを待った――


 ――それから四人はティリーを追って、教室が並ぶ本棟へ入った。


 階段を上って三年生の教室がある三階を目指す。一年生が三年生の教室に向かうだけでも目立つのに、その中の一名は騎士科の制服を着ていないのだ。まさしく注目の的である。


「悪目立ちしてんな!」

「うるせー」


 後ろから、からかいの言葉を投げてくる三人。前を向いたまま言葉を返し、階段をひたすら登っていく。そして階段の踊り場に差しかかった時――


「あ?」


 上から人が落ちてきた。


 黒い制服――風を孕んだ長いスカートが膨らんでいる。咄嗟に手を伸ばし、降ってきた女子生徒を腕の中に抱え込んだ。後ろから「なんだ!?」「誰!?」「女子だ女子!」と騒ぐ声が聞こえたが無視する。


 腕の中の女子生徒は青白い顔で固まっていた。震えるでもなく、悲鳴を上げるでもなく、ただただ身を固くし、呆然と階段の上を見つめている。本当の恐怖に支配された人間は、往々にして動けなくなるものだ。制服の胸の金の線は一本。どうやら淑女科一年の生徒らしい。


 彼女の視線の先にトムも目を向けた。そこには肩で息をする騎士科の男子生徒がいた。胸の金の線は二本。騎士科の二年生ということだ。


「あんた、突き落としたのか?」


 男子生徒の目が鋭くなる。


 怒りに染まった顔だ。表情に後悔や反省の色はなく、女子生徒を助けたトムを鋭い目で睨んでいる。大丈夫かと心配する言葉も、助かって良かったという安堵の表情もない。突発的な事故ではなく、意図的であると察するのには充分だった。


「おい。聞いてんのか?」

「っ、貴様には関係ない!」

「ああ?」

「アイヴィ! いつまで男に抱かれているつもりだ!」

「ぁ……も、もうしわけございませ……」


 腕の中の彼女がか細い声を漏らし、離れて行こうとした。だがトムが支えていた腕から力を抜けば、細くしなやかな肢体は崩れ落ちそうになる。トムは力を込め直して、アイヴィと呼ばれた女子生徒を支えた。


「アイヴィ! 何をしている! 早く離れろ!」

「っ……」


 彼女の青い瞳には涙の膜が張っている。漏らした吐息に滲んだ恐怖を、抱きしめているトムも、すぐ後ろにいた三人も感じ取った。


「先輩よぉ、あんた騎士の風上にもおけねえ男だな?」

「騎士云々より男としてありえねえだろ?」


 ツィロとチャールズがトムの脇を抜けて階段を登って行く。


「こんなのが先輩? いっそ情けなくなるぜ」


 少し遅れて巨漢のタイロンも続いた。


 好戦的な雰囲気を隠しもしない三人である。後輩とはいえ、気迫に満ちた――入学前の実技試験を上位の実力で突破した、腕の立つ三人を前にしてようやく、その男の顔に恐怖の色が浮かんだ。


 そして男は「生意気なことばかり言って、後悔しても知らないぞ!」と怒鳴り声を挙げ――逃げるようにその場を立ち去った。










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