第5話 伯母との再会(ぶっちゃけ初対面):後

 伯母の言葉にティリーは動きを止める。


 ティリーは褒められるほど頭が良くはない。他人の言葉の裏を探れるほど鋭くもなく、気にするほど繊細でもない。彼女がトムを友だちだと紹介したあとに『お友だちは選ばないとダメよ』なんてことを言われて、それがどういう意味かわからないほど馬鹿でもない。


 姪が目を細めたのに気付いているのかいないのか、ラモーナ=フォン=グローネフェルト侯爵夫人はにこやかに微笑んでいた。優雅にカップに口をつけ、紅茶をひと口飲んで音もなくソーサーに戻す。


「ウィルデン侯爵家の令嬢も今年、学園に入学するの。エリザベート=フォン=ウィルデン。名前くらいは聞いたことあるわよね?」

「……?」


 まったく聞き覚えがない。首を傾げてトムを見れば、隣に座る彼は「第二皇子殿下の婚約者様だ」と教えてくれた。


「あら、よく知っているわね。家柄はもちろん、完璧な礼儀作法を身につけて、国政に必要な知識も豊富なレディよ。お傍で親しくしておけば、今後十年、二十年、ティリーさんのためになるわ」

「はあ」

「入学前に顔合わせの場所を用意しましょうね。来週は時間があるかしら?」


 理解が及んでいないティリーを置いて話が進む。


 隣のトムを見れば、表情こそ変わっていないが空気がわずかにひりついていた。幼い頃からの付き合いがなければ気付かなかっただろう。彼が平然を装っているということは、これは面倒で厄介な話なのだ。漠然とそう認識し――


(うん、任せておこう)


 ティリーはふたつ目のケーキを正面に引き寄せる。表面がツヤツヤしているチョコレートケーキだ。くるくる巻いた飾りは食べてもいいのか。少し悩むが、食べれないものを乗せはしないだろうと、フォークでケーキを切って飾りと共に口に運ぶ。くるくる巻いた飾りはチョコレートできていた。濃厚なチョコレートの香りが口いっぱいに広がる。


 もぐもぐ口を動かし続ける彼女のひと口は大きい。すでに『自分が思う半分の大きさで食べなさい』という、礼儀作法の先生の教えはどこかへ行ってしまっていた。


 小さく、溜め息にもならない吐息を、隣の男が吐く。


「侯爵家のご令嬢で、第二皇子殿下の婚約者である方のご学友は、引く手あまただと愚考いたします。何故わざわざティリー様をご紹介してくださると?」

「ふふふ、何もおかしくないわ。ティリーさんはわたくしの姪だもの。グローネフェルト侯爵夫人の姪とウィルデン家の令嬢が、学園で交友を深めるのは自然よ」

「なるほど。しかし侯爵夫人の姪御の前に、こちらは東部貴族フェッツナー男爵家の跡取りであらせられます」

「中央の貴族と東の貴族が仲良くしてはいけない、ということはないわ。学園は交友関係を広げる場所でもあるのよ。横の繋がりは大事にしなければいけないの。例えそれが表立ってのものではなくとも、ね。もっとも、貴方にはわからないかもしれないけれど」

「申しわけございません。若輩者ゆえ不勉強でした」


 扇で口元を隠して笑うラモーナに、トムが殊勝な笑みを返していた。普段の彼を知っている分、猫を被って対応する姿が笑えてくる。ここに悪友の三人がいれば大爆笑していたことだろう。ティリーも噴き出しそうになるのをこらえ、チョコレートケーキの最後のひと口を飲み込んだ。


 どうやら伯母は第二皇子の婚約者とティリーをくっつけたいらしい。友人と言えば聞こえはいいが、侯爵家の瑕疵ひとつないご令嬢と、剣を振り回すことにしか興味のない男爵令嬢が、対等の関係にはなれないだろう。良く言えば護衛、明け透けに言えば取り巻きになれと言われているのだ。


 しかし、どうして自分にそんな話が回ってきたのかわからない。家柄のいい、将来有望な十五歳になる歳の令嬢なら、すでに友人も護衛も取り巻きも腐るほどいるだろうし、例えいなくとも、候補は絞られているはずだ。そこに飛び入り参加させられようとしている。


「そうね。東部ではだいぶ緩いようだけれど、中央では身分というものはとても気を遣わなければいけないものなの。教えておいてあげましょう。入学したら、お友だちという言葉に甘えず、きちんと距離を取りなさい。貴方は平民でしょう?」

「一応、父は騎士爵を賜っております」

「一代限りの爵位など平民とそう変わらないわ。貴族にとって価値を持つのは、脈絡と続く血と名前だもの。弁えてもらわないと困ります。ティリーさんはフェッツナー男爵家の跡取り娘なの。従者でないのなら傍に侍るべきではないと、わたくし、思いますのよ」

「侯爵夫人のご忠告痛み入ります。ですが、ティリー様の力になれというのは、我が主、フェッツナー男爵に命じられたことです。私の一存ではなんともお返事しがたく。申しわけございません」


 ラモーナがピクリと眉を動かした。トムの返事が気に入らなかったのだろう。扇の下の顔はどうなっていることやら。年齢を感じさせない、金の巻き毛が美しい侯爵夫人の怒った顔を想像する。美人を怒らせると怖いらしいが、伯母もそうなのだろうか。


 なんにしても、ラモーナとトムの難しい話に口を挟むつもりはない。わからない話に首をつっ込むな。フェッツナー男爵家の人間は頭脳プレイは向いていない。父も祖父もそう言っていたし、ティリー本人も自覚していた。


 三つ目のケーキに手を出す前に、ぬるくなった紅茶に口をつける。ごく、とひと口飲めば口の中の甘さがスッキリした。もうひと口飲む。完全にリセットされた。これなら三つ目のケーキ――艶やかなフルーツがたっぷり乗ったタルトも、チョコレートの味に邪魔されず味わえる。


 タルトにフォークを入れる。苺とキウイフルーツ、たっぷりのカスタードクリームと共に、硬いタルト生地を割った。あまり小さく掬うとポロポロこぼれてしまう。フォークからはみ出す量を掬い、口の中に突っ込んだ。瑞々しいフルーツと甘すぎないカスタードクリーム、タルトの食感が絶妙だった。


「まあまあ、ティリーさんは甘いものが好きなのね」


 話の矛先がティリーへ向けられる。


「あの子も甘いスイーツには目がないの。きっと貴方と気が合うわ」

「……あの子? 侯爵令嬢、ですか?」


 咀嚼して尋ねれば、伯母は「いいえ、違うわ」と言って扇を下ろした。


「スミロ=ヴァルデという子よ。貴方よりもひとつ年上で、学園の騎士科に在籍しているわ。由緒正しい家柄のヴァルデ伯爵家の三男で、将来有望な青年なの。学園で頼りにするといいわ」

「ヴァルデ伯爵家……?」

「このグローネフェルト侯爵家の寄子だから、安心してちょうだい。きっとフェッツナー男爵のお眼鏡にも適うはずよ」

「グローネフェルト侯爵夫人」


 にこやかなラモーナを、トムが呼びかける。


「何かしら? わたくしはティリーさんとお話ししているのよ。無作法ね」

「申しわけございません。ですが、その件につきましては、この場ではなくフェッツナー男爵にお話ししていただきたく存じます」

「大げさね。わたくしは妹が遺した子が、学園で不自由をしないように、交友関係を整えてあげているの。学園や社交界で令嬢がどの家の誰とお付き合いするのかは、本来であれば母親がしなければならないことよ」


 ぱしり、と、侯爵夫人が自身の手の中で扇を打った。


「亡き妹に変わって、中央貴族に通じているわたくしの親切と心遣いを、貴族のなんたるかもわからない貴方が邪魔をするのではありません」


 伯母――ラモーナ=フォン=グローネフェルトは、毒を孕んだ言葉を真綿に包むのすらやめたらしい。血縁関係のある親族の情を盾に、身分を矛にして、トムを攻撃している。前者はともかく、後者を前に出されてしまえば『お友だち』としてこの場にいる彼は押し黙るしかない。


「ティリーさんは相応しい友人を選ばなければならないの」


 言葉のまま受け取ってはいけないのだろう。おそらく、言葉の裏を読む必要がある。けれど生憎、そういうのは苦手だ。もう充分、自分は上手くやった。ケーキはこぼさず食べたし、紅茶は音を立てずに飲めた。難しい話に余計な口を挟んでもいない。


 だから、もういい。


(攻撃されてる。盾になろうとしてくれた、トムが。攻撃されてる)


 トムは大事な『お友だち』だ。


 沸々と腹の底で渦巻く感情が、熱い血潮が、頭にまで昇ってくる感覚がした。






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