第6話 緊迫のお茶会:Sideトム

 トムが、ティリー=フェッツナーをひと言で表すとするなら、活火山だ。平時であれば傍に寄ることはできるが、いつ噴火するかわからない。そして、ひと度噴火してしまえば人の手には負えず、落ちつくまで逃げることしかできない、自然の脅威。


 かつてティリーの友人に選ばれて、周囲に問題児仲間と認識されるくらい親しくなった頃、養父に言われたことがあった。


 フェッツナー男爵家の人間は獣――狼の本質を捨て切れず、苛烈さと冷酷さ、獰猛さを持っている。人間でありながら戦いへ向ける欲求は、獣のソレであり、戦場だけで発散しきれるものではない。ゆえに誰かが、フェッツナーを人間として在れるように、繋ぎ止めておかなければならないのだ、と。


 当時のトム少年は養父の言いようが気に入らなかった。友人――ティリーの一族を獣扱いし、それを上手く操れと命じられているようだったからだ。トムに世間一般よりも早い反抗期が訪れた。


 しかしすぐに養父の言葉の意味がわかった。


 いつものようにティリーを筆頭とする問題児集団で森へ入り、野盗と遭遇した時のことだ。友人たちを怯えさせ、泣かせ、傷つけた賊に対して、彼女が大暴れしたのである。まだ剣を握って数年のティリーは大男の集団相手に暴れ回り、ひたいから血を流すほど傷付いても止まらず、決して敵を逃さなかった。


 その姿を見た時、養父の言っていたことが理解できた。誰かが歯止めを掛けなければ、彼女は牙を剥き続ける。敵がどんなに強大でも、逃げず、怯まず――もしかすると、敵わず敗れるとわかっていても立ち向かうかもしれない。


 ゾッとした。大事な友人である、ティリー=フェッツナーが、惨たらしい死を迎える瞬間が、トム少年の脳裏をよぎった――


 ――古い記憶を思い出していたトムは、フォークの切っ先と皿がぶつかる甲高い音を聞き、意識を浮上させる。


 ラモーナ=フォン=グローネフェルト侯爵夫人の招待を受けた茶会に同席し、おおよそ想像通りの扱いを受けた。高位の貴族夫人と騎士爵の息子の――それも養子である――自分とでは、まともに相手にされないことも、ぞんざいに扱われ、見下されるであろうこともわかっていた。


 だから、何を言われても気にせずに相対していたのだが、ティリーは違ったらしい。友人であるトムを馬鹿にされていると感じたのだろう。それでもしばらくの間は、相手が伯母だからか、侯爵夫人であるからか、黙々とケーキを食べることで聞き流していたようだが、ついに限界を迎えたらしい。


 彼女の皿には、フルーツタルトが半分ほど残っていた。ティリーは逆手に持ったフォークをタルトに突き刺している。礼儀作法もクソもない。そして啞然とする伯母のラモーナを見据えながら、口を大きく開けた。狼を思わせる、真っ赤な口内と白い歯が見える。彼女は大きな口で、フルーツタルトの残りの半分を頬張った。


 もぐもぐと、ティリーは頬を膨らませて味わっている。だがその視線は真っ直ぐラモーナを貫いており、今にも飛びかかって、侯爵夫人である伯母にフォークを突き立ててしまいそうな雰囲気だ。


 相手が伯母であるとか、侯爵夫人であるとか、女性であるとか、権力者であるとか、自分の立場であるとか、そんなことは、ティリー=フェッツナーには関係ない。このまま中央貴族の有力者の妻であるラモーナに一撃を食らわせて、中央貴族と東部貴族の諍いに発展するだとか、彼女にそこまで考えるだけの頭はないのだ。


(本気でヤバいな)


 トムはいつでも反応できるように座り直し、椅子に浅く腰掛けた。


 フェッツナー男爵家の寄親は、東部を仕切るハルティング辺境伯家だ。辺境伯家は男爵家を重宝しており、中央貴族と衝突したからと切り捨てたりはしない。守るために、それこそ領土を挙げてやり合いかねないのだ。


「……ティリーさん」


 ラモーナが扇を握る手に力を込めた。


「あまり褒められた食べ方ではないわね。わたくし……いえ、侯爵家から礼儀作法の先生を紹介してさしあげるわ。帝都に留まり、学園に通う間は、ぜひこの侯爵家に滞在してちょうだい」


 ティリーは頷くことすらせず、もぐもぐと咀嚼を続けている。


「中央の洗練された教育を受ければ、貴方も立派な淑女になれるはずよ。大丈夫。不安があるのなら、伯母であるわたくしを頼って。ね?」


 にこやかに微笑みかけられても、やはりティリーは何も答えない。正面の侯爵夫人を視界に入れながらも、トムの意識は完全に隣の彼女へ向いていた。いつ、ティリーが飛びかかるかわからない。素早い動きに反応できるだろうか。否、何がなんでも反応して阻止しなければならない。


 緊張感が漂う。


 その中でもラモーナは笑みを絶やさない。さすがは有象無象が蠢く中央の社交界で侯爵夫人として上位に君臨する、海千山千の淑女だ。睨み据えられていることに気付いているであろうに、彼女は怯えも不快さも顔に出していなかった。


(なんとか言えよな)


 ティリーの喉が上下する。どうやらフルーツタルトを嚥下したらしい。


 しかし、やはり彼女は喋らない。開いた口は言葉を発するためでなく、三段のスタンドに乗っていたマカロンを食べるために使われた。サクサクと軽い音がする。手掴みで食べているのに、ティリーは何故かフォークを手放さなかった。


 彼女は無言で食べた。マカロンも、キュウリのサンドイッチも、タマゴのサンドイッチも、マドレーヌも、チョコレートも、マフィンも、ティリーの口の中に吸い込まれるように消えて行く。上品さなどなく、かといって、下品でもない。あるのは獲物に食らいつくかのような、獣の獰猛さだ。


 幼馴染み――悪友のひとりのタイロンは、よく食べる男で、その量に見合った体格の青年である。ティリーはそんなタイロンと同じくらいよく食べる。そして、食べた分、剣を振って動き回るのだ。食べた物を全てエネルギーにしているのだろう。だとすれば、今食べている分のエネルギーはどこへ――誰へ向けられるのか。


 侯爵夫人は笑みを絶やさないまま、けれど確かに絶句していた。自分を見据えながらひたすら食事をされて、不気味さを感じないはずがない。


 もしも、ティリーがフォークを手に飛びかかったら――否、相手は歴戦の猛者でも魔物でもないのだ。武器などなくとも、素手で殴り飛ばせる。いざとなったら、後ろから羽交い絞めにして倒れ込もう。テーブルも一緒に巻き込んで転倒すれば、ティリー=フェッツナーであっても一瞬の『間』ができるはずだ。その隙に侯爵夫人に逃げてもらって――


 今後の動きを頭の中でシミュレーションしていると、ガンッと音を立ててティリーがフォークを置いた。


(素手でやる気か)


 そう思って、腰を浮かせる。


 ティリーはすっかり冷えた紅茶を一気に呷った。喉が上下する。全て飲み干し、彼女はカップをソーサーに戻した。陶磁器同士がぶつかる音がする。割れてはいないが、もしかすると傷はついているかもしれない。


 おもむろに、ティリーが立った。


「ごちそうさまでした」


 トムは目をまたたかせる。


(飛びかからない、のか?)


 まだ油断はできない。いつでも対処できるように、爪先に重心を置いた。隣のティリーが身に纏う空気は静かだ。それが、不気味だった。


「紅茶、なくなったから帰る。ます。さようなら」

「……ティリーさん、まだ話は――」

「紹介はいらない、です」


 ティリー=フェッツナーは侯爵夫人に背を向ける。真っ直ぐ伸びた背中で、血に濡れたような赤い髪が躍った。緊迫する空気の中で、もうすぐ十五歳になる少女の声が響く。牙のような、磨き抜かれた剣のような、鋭い声だった。


「友だちくらい自分で選べる」


 そう言い残し、ティリーはガラス張りの温室の出口へ歩き始める。呆然とする侯爵夫人や使用人たちを気にする余裕もなく、トムは慌てて彼女のあとを追った。


 自分よりも小さな背中が、やけに大きく見えた。







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