第4話 伯母との再会(ぶっちゃけ初対面):前
ティリーの母の姉――伯母が嫁いだ先のグローネフェルト侯爵家は、中央貴族の有力者と言っても過言ではない。馬車で侯爵家の門を通り、敷地を進んで行く中で、彼女はひたすら「広い!」「デカい!」「派手!」を繰り返していた。
侯爵家の権力と財力、権威に相応しい屋敷は、広い敷地と巨大な建物と豪華な造りで訪問者の芽を惹きつける。不相応な客を怖気づかせ、尻込みさせるような、堂々とした雰囲気の空間だ。もっとも、男爵家の娘でしかないとはいえ、ティリーはそんな繊細さを持ち合わせてはいないのだが。
お茶会の会場はガラス張りの温室だった。その辺の貴族よりもよっぽど優雅で気品のある執事に案内されて温室に入ると、甘やかな花の香りと温かい空気に出迎えられる。夫人は奥に用意されていた椅子に座っており、その前にはたくさんの菓子が乗ったティーテーブルがあった。
「……まあっ、こんなに大きくなったのね」
最初に口を開いたのは伯母――ラモーナ=フォン=グローネフェルト侯爵夫人だ。
男爵家にある肖像画の亡き母とは、あまり似ていない。輝く金の巻き毛と四十代とは思えないほど色艶のいい肌は、高位貴族の女性として投資を惜しんでいないのがわかる。ラモーナは華やかでしっかりとした顔立ちの美人だった。
肖像画の亡き母――サンドラは、どちらかといえば柔らかい雰囲気で描かれており、金色の髪は白に近い薄い色合いだ。亡くなって十五年近く経つ今でもなお父は母に愛を捧げており、酒に酔うと『俺の蜂蜜ちゃんはな』と、惚気話を聞かせてくれる。他人の長い話を聞くのは面倒だと思っているティリーも、その惚気話だけは、聞くのが好きだった。
ラモーナが「最後に会ったのは、貴方の母――サンドラの葬儀の時だったわ」と、感慨深そうに語っている。話が長い。彼女は立ったまま、伯母の言葉を聞き流す。
「本当はわたくしも、貴方のおじいさまやおばあさまも、ティリーさんに会いたかったのよ。でもね、貴族の社会ではいろいろと複雑なことが多くて……違う派閥の……フェッツナー男爵家の跡取り娘と、中央貴族で権威のある家の嫁という立場では、血が近いという理由だけで親しくできなかったの……」
話を聞き流す。
彼女の目は白色の丸テーブルに釘付けだ。色とりどりのスイーツが皿に乗っている。フルーツタルトの果物はキラキラと輝き、チョコレートケーキの表面はツヤツヤで周囲の景色が映るほどだ。三段のスタンドには鮮やかな色の小振りの焼菓子や、ひと口サイズのチョコレート、シンプルだが美味しそうなキュウリのサンドイッチなどが乗っている。
(絶対に美味しいやつだ……!)
悪友で食にうるさいタイロンが言っていた通り、帝都の権力者が出すスイーツは、華やかで洗練されていて、食べずともわかる高級感が漂っていた。
「サンドラがあんなことになって、とても心配だったわ。中央で生まれ育ったわたくしたちのような令嬢に、水が合わないかもしれないって……妹の忘れ形見である、姪の貴方が東部で育つことも不安だったの。サンドラがいないのに、淑女としての道を教えてくれる人はいるのかしら? 礼儀作法を教えてくれる立派な先生はいるのかしら? 戦いに明け暮れる親族しかいない中で曲がって育つのではないかしらって……」
一歩後ろにいるトムが放つ空気が張り詰めた。それは一瞬のことで、ティリーは気付きはしたが、気にしない。相変わらず話を聞き流し、チョコレートケーキの上のくるくる丸まった飾りを凝視し、あれも食べられるのだろうかと考えていた。
「でも、こうして会ってわかったわ。こんなに立派になって……もうすぐ十五歳、ティリーさんも学園に通うようになって、貴族令嬢として一人前になったのね。伯母として嬉しいわ」
感極まったように、ラモーナが目を潤ませる。感動の伯母と姪の再会――とはならず、美しい温室に沈黙が落ちた。
ティリーの意識はテーブルの上に向けられたままだ。伯母と感動の再会をするタイミングだとわかっておらず、彼女の頭の中では、淡いピンク色のケーキの味が、苺か桃か、はたまた別の何かなのかと想像するのに忙しい。
「んんっ」
後ろから聞こえた咳払いで、彼女はようやく意識を食べ物から逸らした。首だけで振り返ればトムがまばたきをひとつ。
「うん?」
何か合図を送られたようだが、さっぱりわからない。トムが眉を寄せ、小さく顎をしゃくった。その仕草は何を言いたいのかわかる。前を向けというジェスチャーだ。ティリーが振り返っていた首を戻すと、伯母が扇で口元を隠していた。
ラモーナは何か言いたげな視線を送ってくる。だが、十五年振りに再会した――当時のティリーは生まれたばかりだったため、実質、初対面に等しい――相手の、目の動きひとつで意思がくみ取れるはずもない。ティリーは小首を傾げ、口を開く。
「座ってもいい、ですか?」
辛うじて敬語で言えば、伯母のラモーナは扇を下ろしてにこりと微笑み「ええ、もちろんよ」と許諾した。
「む」
執事が椅子を引く――のを見て、ティリーは動かそうとしていた足を止める。
「伯母上」
「なぁに?」
「椅子が足りない、です」
空いている席は執事が引いたひとつしかない。そこに彼女が座れば、同行しているトムの座る場所がなかった。
ラモーナが首を傾げる。
「足りないかしら?」
「お友だちもどうぞって手紙に書いてあった。そのお友だちの分の席がない、です」
「あら? 後ろの子はお友だちだったの?」
緩く目を細めた侯爵夫人は目線をティリーの後ろへ向けた。誰を見ているのかわからないほど鈍くはない。ティリーは眉を寄せて「お友だち、です」とはっきり口にした。
「子供の頃から。ずっと」
「……そうなの。ごめんなさいね。従者だと勘違いしてしまったわ」
にこりとそつなく笑い、ラモーナが執事に「もうひとつ椅子を用意してちょうだい」となんでもないように声をかける。ティリーは立ったまま、不貞腐れた顔で椅子が揃うのを待っていた。
少ししてトムの分の椅子が届き、彼女は自ら椅子を引いて腰を下ろす。執事が濃い色合いの紅茶を注いでくれた。白磁のカップから湯気が立ち昇る。
(熱そう)
すぐに飲むのをやめて、ティリーは目の前のケーキと相対した。ピンク色のクリームがふんだんに使われており、赤いベリーがちょこんと鎮座している。フォークを入れようとして、かつて礼儀作法の先生が教えてくれたことを思い出す。夫を亡くし、息子が家を継いだあとは隠居していた元子爵夫人は言っていた。
(自分が思うより、半分の大きさで……と)
三口で食べ終わりそうな大きさだ。ただし、そうするのは品がないと教えられている。おそるおそるフォークを入れ、ピンク色のケーキを口に運ぶ。予想していた苺でも桃でもない味だ。甘酸っぱく、ベリー系の味がした。滑らかなクリームとしっとりしたスポンジの口当たりは震えるほど美味だ。ふた口、三口と食べ進める。
「ティリーさんは学園の騎士科で学ぶのでしょう?」
「……はい」
口の中のケーキを嚥下し頷くと、再びフォークを口に運んだ。テーブルの下――侯爵夫人には見えない位置でトムが足をコンと蹴ってくる。会話に集中しろ、ということだろう。友人の考えを読み取った上で、彼女はピンク色のクリームを堪能する。
「騎士科には女子生徒が少ないのもご存知?」
「……はい」
「もしよければ、わたくしが何人か紹介してあげようと思うの」
「はい?」
「わたくしの友人の子供たちも、今年入学する子がいるのよ。どの子も家柄も作法も完璧な令嬢たちだから、きっと貴方のためになるわ。お友だちは選ばないとダメよ」
ラモーナ=フォン=グローネフェルト侯爵夫人が――伯母が微笑む。姪のティリーのために手を貸したいと語る、彼女の甘く柔い表情と言葉。伯母の吐く言葉は、毒を孕んでいる。それに気付いたティリーはピンク色のケーキに鎮座するベリーを掬おうとした手を止めた。
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