第29話 雨音は破滅への序曲・A面
がらにもなく、ティリー=フェッツナーはソワソワと視線をさまよわせていた。
落ちついた色味の個室だ。ホワイトベージュの壁と白い床、強すぎない明かりの照明、金の縁取りがされたアンティークのテーブルセットと、緑の自然が描かれた絵画――そこに窓こそないが、閉塞感は微塵も感じない上品な部屋だ。
テーブルにはケーキスタンドが置かれ、色鮮やかな菓子が並んでいる。普段のティリーであれば目が釘付けになっていただろう。そうなっていないのは、彼女の目がケーキスタンドの向こう――麗しの令嬢を映しているからだ。
「どうぞ。召し上がって。フェッツナー令嬢」
そう言って、エリザベート=フォン=ウィルデンは微笑む。優雅で美しい笑みに、ティリーの背筋がピンと伸びた。
真っ直ぐな金色の髪は糸のように細く、艶やかで、星のように輝いている。小さな顔にバランス良く――という言葉が陳腐に聞こえてしまうくらい完璧な配置で――筋の通った鼻と血色のいい唇、神秘的な紫の目、少し垂れがちな眉が並んでいた。いっそ青白いほど透き通った肌をしており、頬だけはほんのりと薔薇色に色付いている。
(ビスキュイ・ドールみたい)
ビスキュイ・ドールは貴族階級の婦人や令嬢に人気の人形で、帝都のみならず、帝国中に専用の工房がいくつもあった。
着飾らせた磁器製のドールには美しい硝子の瞳が埋め込まれ、精巧な彩色が施されている。特に人気なのは金色の髪に寒色系の瞳を持つドールだ。金額はピンキリだが、目の前にいる彼女は、最上級のビスキュイ・ドールすら足元にも及ばない美貌だった。
幼少期のティリーは興味を持てなかったが、男爵家の屋敷には何体ものビスキュイ・ドールがあった。亡き母の遺品だ。
ティリーはエリザベートを見つめて、目が合ったらハッと逸らして、再び見つめてと――それを繰り返していた。落ち着かない。そんな内心を知ってか知らずか、ケーキスタンドの向こうに座るビスキュイ・ドールは微笑みを絶やさないまま赤く色づいた唇を持ち上げた。
「急に呼び出してしまってごめんなさい。何か用事があったのでなければいいけど」
「………………」
「フェッツナー令嬢?」
「っ!! 用事なんてありません!」
放課後はチャールズと共に九組に殴り込む予定だった。今現在、彼は待ち合わせ場所で待ち惚けを食らっているのだが、美しいその人を前にしたティリーの頭の中からは綺麗さっぱり消えてしまっている。
帰りのホームルームが終わるのと同時に、エリザベートの遣いだという騎士科の女子生徒に声をかけられた。胸のラインが三本――三年生だ。
ティリーがおとなしくついて来たのは相手が三年生の先輩だからではない。その先輩が彼女の友人であるクリスティーナ=ニュンケと同じ団の先輩だったからだ。ティリーはクリスティーナの顔を立て、三年生の女子生徒と共に、淑女科のサロンに足を運んだのである。
(来て良かった……!)
輝く美しさの侯爵令嬢に会えた。ティリーは内心――否、ついデレデレしてしまうくらい、浮かれている。
「今日、あなたを呼んだのは忠告をするためです」
「……ちゅーこく……忠告?」
「騎士科では『指輪狩り』と呼ばれる行事の最中だと聞きました。随分と活躍なさっているそうですが、大変ではありませんか?」
「いえいえ! まったく!」
ブンブン首を横に振れば、エリザベートが微笑みを深くした。
「わたくしのところには、多くのレディが来ます。みなさん、いろいろと悩みを抱えているようでして……相談を受けるのです」
「へえ! 頼りにされてるんですね!」
「そう思いますか?」
「はい!」
ティリーは浮かれに浮かれている。これまでに見たことがない美少女と同じテーブルについて、会話を交わしていることが楽しくて仕方がない様子だ。
「昨日、ある女子生徒がわたくしの元へ来て、言いました。ティリー=フェッツナー令嬢、あなたに危険が迫っている、と」
「はあ……」
「『百鬼の団』をご存知ですか?」
「……なんとなく?」
「相談に来た彼女の知人がそこに所属しているそうで、ある計画を耳にしてしまったと怯えている様子だったのです。多くの人数を集め、あなたを襲撃し……淑女の口から発するには憚られるようなことを、行うと……」
エリザベートは微笑みを消していた。
(笑ってない顔も綺麗!)
真剣な雰囲気の彼女とは反対に、ティリーのテンションは上がり続けている。緊張感が皆無のティリーに、正面の彼女は戸惑っているらしい。これまで手をつけていなかった紅茶の入ったカップに触れ、飲むわけでもなく、手を離した。
「何かあってからでは遅いわ。身を隠すべきではありませんか?」
「……え?」
「百鬼の団は、十年ほど前までは『幽鬼の団』と呼ばれていたそうですが、問題を起こして解体されたと聞いています。もちろん当時の在籍者はいませんが、今籍を置いている方は幽鬼の団の関係者であったり、理念に賛同する者だとか……」
「へえ、詳しいですね。さすがです!」
「……ありがとうございます。それで、結局のところわたくしの忠告は受け入れていただけるのでしょうか?」
「んー……」
避けて身を隠すということは、自らの指輪を放棄することになる。授業や演習に出なければ指輪保持者として失格になるのだ。もっともそうなったところで、ティリーや三馬鹿、ファルコは困らない。篝火の団はすでに既定の指輪を集めているため、決勝へ進むのは決まっているのだ。
美しい少女に面と向かって身を案じられるのは、初めてだった。彼女に言われるがまま身を隠してもかまわない。ティリーはしばし思案し――
「ケーキ食べてもいいですか? それと、なんで忠告してくれるんです?」
「……ケーキもお菓子も、お好きなだけどうぞ」
「やった!」
「忠告の理由は――」
ティリーはフォークを手に取ると、青紫色のソースがかかった白いチーズケーキを半分に切る。片割れに突き刺して大きく開けた口に入れた。ソースはブルーベリーだ。チーズの風味ともったりした食感がたまらない。
(いくらでも食べられる味!)
もう半分も口に運んだ。
エリザベートは驚いた様子で目をわずかに見開いた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに表情を取り繕う。そして小さく息を吐いて口を開いた。
「忠告の理由は、グローネフェルト侯爵夫人です。あなたのことは夫人から聞いています」
「おあうえ?」
もしゃもしゃと咀嚼しながらティリーは首を傾げる。ラモーナ=フォン=グローネフェルト侯爵夫人。ティリーの母親の姉にあたる人物だ。どうして伯母の名前が出るのだろう。
「夫人はおっしゃっていました。わたくしたちは親しくなれるはず、と。聞いておられませんか? 側近や護衛のお話しを」
「んー……」
聞いたような気もするし、聞いていないような気もする。ティリーはぬるくなったミルクティーを数口飲みながら考えた。そして、問いかける。
「侯爵令嬢は自分の伯母さんと仲良しですか?」
「え? ええ、関係は良好ですよ。外戚になるから頻繁に会うことはないけれど、パーティーでは顔を合わせますし、季節ごとにお手紙を送り合ったりします」
「おー、仲良しですね。わたし、伯母上とは二回しか会ったことないです。しかもその内の一回は赤ん坊の時」
手紙を送り合うこともない。つい先日、入学前に一回会いたいという手紙が来て、それに返信した一度切りだ。加えて、そのお茶会は菓子が美味しいだけで楽しいものではなかったと、エリザベートに説明する。
「伯母上は他人よりも遠いとこにいる親戚ってやつです」
ティリーはきっぱり言い切った。さすがのエリザベートも口を閉じて笑みを消している。どうやらティリーとグローネフェルト侯爵夫人の、決して良好とは言えない関係を知らなかったらしい。
「だから、伯母上がどうこうって理由でわたしに良くしてくれるつもりなら、そういうのはいい。です。忠告は……うーん……ありがとうございます。でもまあ、やれるだけやるつもりなので」
「身を隠す気はないのですか?」
「はい! 今のところは。とりあえず、鬼だか幽霊だかが来ても、ぶっ飛ばせそうだったらぶっ飛ばす! ので!」
「そう……後悔することになるかもしれませんよ?」
「その時はその時です。今考えるより、その時考えます」
そう言って、ティリーはケーキスタンドのマカロンに手を伸ばす。サクサクした食感のマカロンはひと口で頬張るとより美味しいのだ。ティリーはモリモリ食べる。
「わたくしの忠告を聞いてくれない人は初めてです。あなたに何かあったら……寝覚めが悪いでしょうね……」
「心配ですか?」
「ええ。とても」
「伯母上のことは関係なく?」
「ええ。そうです」
「美少女に心配されてる……!」
「美少女……?」
面と向かって美少女など、俗な賞賛を受けたことがないのだろう。エリザベートは神秘的な紫の目をまたたかせる。
一方、感動に震えるティリーは「きれいな人の前だと食が進む!」と、余計に混乱を与える言葉を高らかに発し、一個、二個と、マカロンを頬張るのだった。
個室の中では、外の雨音は聞こえない。
数日前に振り出した雨は、まだまだ降り続いている。ティリーは時間が許す限り、美味しい菓子と、ビスキュイ・ドールのような美しい令嬢を満喫した。そしてもうすぐ夜になろうという時間、雨の中、学園を出て屋敷に帰宅した。
しかしそこに、先に帰っているはずの三馬鹿――チャールズ、タイロン、ツィロの姿はなかった――。
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