第28話 十日後(雨)・後:Side Various

Sideエリザベート


 エリザベート=フォン=ウィルデン。


 中央で権勢を振るうウィルデン侯爵家の長女である彼女は、今年、帝国学園に入学した。本格的な社交界デビューはまだながら、両親譲りの美貌は有名で、貴族の間では『白薔薇令嬢』と賞賛されている。


 幼少の頃、父につれられて皇帝が住まう城へ足を運んだ際、第二皇子のシュテファンにひと目惚れされたことで婚約者となった。当時エリザベートは六歳、シュテファンは十六歳――歳の差は十歳だ。歳が離れたふたりの突然の婚約は、その当時の貴族の間に大きな波紋となって広がった。


 当時、十六歳の第二皇子に対し、第一皇子は十九歳。どちらが皇太子となるかは、まだ決められていなかった。慣例で言えば、第一皇子に与えられるべきなのだが、彼の母親は側妃で、後ろ盾となる実家は伯爵家でしかなかったのだ。それに比べ、第二皇子のシュテファンは皇妃で、実家は影響力のある侯爵家――


 皇妃の懐妊が公になった時、中央のみならず各地の貴族はそれに合わせて子供を作った。性別はわからなくとも、同性であれば側近候補に、異性であれば婚約者候補に手を挙げようという魂胆だ。シュテファンが誕生し、歳の合う男児が生まれた貴族は予定通り、側近候補として書類を送った。


 しかし問題なのは、女児が生まれた家だ。


 条件が合う娘を抱える家門が次々と釣り書きを送った。しかし誰ひとりとして第二皇子は受け入れようとしなかった。その徹底ぶりは凄まじく、学園に入学するまで『婚約者候補』すら置かなかったほどだ。


 口さがない者は、同性愛者なのではないか、欠陥があるのではないかと囀ったりもした。いくら優秀で見目麗しく、後ろ盾も強力とはいえ、後継者を残せないのであれば、皇太子に相応しいのは第一皇子なのではないか、と――


 そんな中、シュテファンはひとりの令嬢を見初めた。


 十歳も年下の白薔薇の蕾を伴侶に選んだのだ。


 貴族たちは焦った。まさか十歳も歳の離れた令嬢を選ぶとは思っておらず、彼女と歳の合う娘を用意できていなかったのだ。未来の皇妃にもっとも近い令嬢の側近に、自身の家門の娘をつけられない。帝国のトップは皇帝だが、社交界のトップは皇妃だ。その皇妃の近くに侍れないことは、社交界で影響力を持てないに等しい。


 歳の合う娘がいる家門はこれ幸いにと、いない家門は親類縁者から丁度いい者を選んでエリザベートの元へ差し出した。とはいえ誰もが簡単に傍に侍れるわけではない。掌中の珠に近付く者を吟味し、許可の判断をするのは、次代の皇帝と名高い第二皇子である。家柄や背後関係はもちろん、人間性などを考慮されるため、側近は狭き門だ。


 放課後、淑女科専用の個室サロンにエリザベートはいた。外は雨が降っているが、窓のない個室にいてはそれもわからない。用意された菓子には手をつけず、彼女は白磁のカップに注がれたミルクティーにだけ口をつける。


 テーブルには本が置かれていた。異国の言語で記された農業関連の本だ。興味のある分野ではないが、知識を蓄える意味で読んでいる。


(わざわざ、わたくしが蓄えずとも、シュテファン様の頭の中にはすでにある知識なのでしょうけれど……)


 シュテファンは言う。


『きみは何も憂うことなく、私の隣にいておくれ』


 甘やかな声音はまるで誘惑だ。その場にいるだけでかまわない、何もしなくていいのだと、堕落を促すような言葉――決してそこに悪意も侮りもなく、あるのは慈しみと愛なのだとわかっている。だから反発などできないのだ。


 扉がノックされた。返事をすれば、外からサロンスタッフに声をかけられる。どうやら来客のようだ。エリザベートは来客の名前を聞くと「どうぞ」と許可を出す。


 中に入って来て淑女の礼を取ったのは、クラスメートのアイヴィ=フォン=バルツァーだった。南部の伯爵家の次女である彼女は、中央貴族の伯爵家の長男と結婚が決まっている。そんな彼女は、酷く青白い顔をしていた。


「バルツァー令嬢、頭を上げてちょうだい。いったいどうなさったの?」

「っ、あの……」

「顔色が良くないわね。どうぞ、座って。温かい飲み物を持って来させるわ」

「い、いえ! そんなっ、大丈夫です!」

「そう?」


 真っ青な顔と言葉に詰まる様子は、ただ事ではない。会話をスムーズに進めるために、席と飲み物を勧めたのだが断られてしまった。こうなるとあとは待つしかない。


(どうしたものかしら)


 エリザベートは内心で息を吐く。


 アイヴィ=フォン=バルツァーはクラスメートだが、特別親しくしているわけではない。けれどエリザベートの穏やかで温かく、寛大な雰囲気と、第二皇子の婚約者という立場のおかげか、彼女は多くの女子生徒に慕われていた。そのため入学してひと月と少しの間に、いろんな生徒に相談を持ちかけられていた。


 おそらく、今回もそうなのだろう。


 白薔薇令嬢は口元に微笑を湛えながら、クラスメートの言葉を待つ。


 一分、二分と沈黙が続き――やがて、アイヴィが口を開いた。


「わ……わたくし、聞いてしまったのです……恐ろしい、計画を……」

「計画?」

「このままでは……大変なことになるかもしれません……騎士科の、ティリー=フェッツナー様が……」

「ティリー=フェッツナー? その方は、確か――」


 聞き覚えのある名前だ。


 中央貴族の重鎮、グローネフェルト侯爵家の夫人が、エリザベートの側近兼護衛として推挙していた令嬢がそんな名前だった。側近の許諾権限はシュテファンが握っているが、彼をもってしても、グローネフェルト侯爵家は無視できない家である。


「バルツァー令嬢、やはり座ってちょうだい。落ち着いて話したいわ」


 エリザベート=フォン=ウィルデン。


 彼女は毎日、放課後はサロンの同じ個室にいる。そして、何か相談がある生徒は、この部屋へと足を運ぶのだ。皇子妃教育はほとんど全て終了しており、公式の行事や公務の時間を除けば、学生の間は比較的自由に時間を使うことができる。


 相談を受け、時に問題へ首をつっ込み、口を出し、手を差し伸べるのは――



 そこに在るだけでいい。


 そう言われ、愛され続けてきた少女の初めての反発なのかもしれない――。





Sideマティアス


「あーあー、彼女の独走は今日も変わらず、か」


 外から聞こえる雨音に混じり、アクセル=アッカーマンがぼやく。


 マティアスは『暁の団』の団室で窓際に立ち、未だ降りやまない雨空を見ていた。彼の表情は険しく、太い腕を組む姿はお世辞にも近寄りやすいとは言えない。実際、団室に立ち寄った二年生は早々に退散し、今はアクセルしか残っていなかった。


「意地を張らずに入団を許可しておけば良かったんだ。マティアスの展望は理解しているけどね、実際、彼女が騎士団を率いるのは、きみの御父上の代だろう? 学生の間は傍に置いて、波風立てずにいるべきだったんじゃないか?」

「明日から貴様らに用はない――と、奴の次の代を急に切り捨てるのは不義理だ」

「執行猶予期間か。きみらしいけど、首を絞めてる感は否めないぞ」


 ティリー=フェッツナーの――弱小の『篝火の団』の快進撃の話は嫌になるほど耳に入って来ている。自ら情報を集めようとしなくとも、逃がした魚は大きかったなという揶揄と共に、彼女の活躍を語る者の、なんと多いことか。


 彼はフンと鼻を鳴らした。


「まだ十日だ」

「ここから巻き返す団がいるとでも?」

「そうじゃない。まだ十日しか経っていないにも関わらず、二年だけでなく、三年の間でもあいつは話題になっている。どういう意味かわかるか?」

「それは……あっ……」


 気付いたのだろう。アクセルが小さく声を上げ、言葉を途切れさせた。


「あいつらは目立ちすぎた。団のメンツを潰されて黙っていられない者も少なくないだろう。指輪狩りは新入生限定の行事だが、抜け道がないわけではない。二年か、三年か……動く輩が出てくるぞ」

「そうなったら……」

「無事では済まんだろうな。他所の上級生に、実力や交渉で対抗できる上級生は、篝火の団にはいない」


 雨が降っている。


 まだまだ、雨はやみそうにはない――。








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