第27話 十日後(雨)・前:Side Various

Sideミヒャエル


 五月十日。


 前日の夜中から降り出した雨は、翌日の昼になってもやむ気配はない。曇天からしとしとと雨粒が落ち、漂う空気さえ灰色に染まっているかのようだ。


 『篝火の団』の団長である三年生のミヒャエル=エンデ。彼は狭い団室のベンチに腰を下ろし、昼食のホットサンドを膝に広げていた。ひと口かじられたホットサンドはもう随分とそのままで、それ以上食べ進められる様子はない。


「はぁ……胃が痛い……」


 団室は湿気でジメジメしていることもあり、余計に気分が沈んでいく。少し前までこの場所にいたヒンネルクも、自分と似たような表情と顔色をしていた。わずか十日間で劇的に変化した現状に、彼らはついていけずにいる。


 五月に入り、新入生にとって初めての団対抗行事『指輪狩り』が始まった。例年であれば、上位の団が一年生を総動員し、人海戦術で弱小の団から指輪を奪っていくのだが、今年は違う。誰も予想していなかったイレギュラーな事態が起こっている。


 今年の指輪狩りでどこの団の誰よりも早く動き出し、もっとも大きな戦果を挙げているのは――下位の団の中でも、下から数えたほうが早い弱小の団――篝火の団の一年生だ。


 初日の段階でミヒャエルとヒンネルクは、団員の二年生たちに詰め寄られた。何が起きているのか、どうして東部の赤狼が入団しているのか、上位の団に喧嘩を売っているのか……など、全員が驚愕と困惑を隠せずにいた。


 団活動に本格的に腰を入れている上位や中位の団とは違い、下位の団はそれほど積極的ではない。名前だけを置く『幽霊団員』ほどではないが、篝火の団も例に漏れず積極的に活動してはいなかった。


 ゆえに篝火の団の二年生たちは、指輪狩りが始まり、同じ団の一年生の快進撃を第三者の口から聞いて初めて知ったのだ。副団長の弟であるファルコを除き、今年入団した一年生の四人が東部の貴族で『赤狼騎士団』の身内だということを――


 ミヒャエル=エンデを筆頭に、篝火の団の団員たちは目立たず、波風立てず、五体満足で無事に卒業することを念頭に置いて学生生活を送っていた。二年生は一年間、三年生は二年間、じっと、息を潜めていたのだ。それがここに来て急に注目の的になり、もっと言えば渦中に投げ込まれた。


 指輪狩りは新入生主体の行事ではあるが、上級生にまったく関係ないというわけではない。今回の結果で、騎士科における現一年生の代の代表格が決まるのだ。良くも悪くも、その代表格は『顔』だ。当然、抱えている団は一年生という学年で大きな影響力を持つ。


 ――篝火の団の総意か? なあ――


「っ!!」


 クラスメートに投げかけられた言葉を思い出し、ミヒャエル=エンデの身体が大きく震えた。かつてないほど注目され、団同士の対抗戦の渦中に足を踏み入れ――有力者が自分たちに鋭い目を向けている。


(ティリーさん、やりすぎだって……)


 ほどほどにするように言っても、十中八九、彼女たちは聞き入れないだろう。口出しできるだけの信用や影響力を、ただの『団長』である自分は持ち合わせていない。今後どうなってしまうのかまったく想像がつかない中、ミヒャエルはきりきりと痛む胃を押さえるのだった――。





Sideクルト


 クルト=レッシュ。


 東部貴族レッシュ男爵家の長男で今年『暁の団』に加入したピカピカの一年生だ。暁の団の団長であるマティアス=フォン=ハルティングと喧嘩別れした、問題児ティリー=フェッツナー……彼は彼女と同じクラスだったため、副団長のアクセル=アッカーマンから『それとなく様子を見ておくように』と、やんわりとした監視を命じられている。


(『赤狼』の相手なんてムリだって!)


 十日前の五月初日、クルトは早々に指輪を奪われた。彼だけではない。七組の指輪保持者は五月一日の時点で全員陥落したのだ。


 その日、一限目の授業の終わりを告げる鐘が鳴り終わるのと同時に、最初のひとりが潰された。顔面を机に叩きつけられ、あっさりと指輪を抜き取られたのだ。休み時間は十五分。ドアに近い者や状況を瞬時に理解した者は教室から逃げ出せたが、残っていた保持者は呆然としている間にやられた。


 クルトの席はドアから近く、その時は逃げ出すことに成功した。だが、一度だけ逃げられたところで意味はない。二限目の休み時間、三限目の休み時間、四限目終わりの昼休み――その時間で七組の指輪保持者はティリー=フェッツナーを除きいなくなった。


『すごいわ! ティリーさん!』

『いやー、それほどでも!』


 数少ない女子生徒のふたりがニコニコ笑いながら話す姿は微笑ましいものだが、状況はまったく微笑ましくない。指輪保持者ではなく、次代の赤狼の牙から逃れた者たちですら、引きつった顔でその光景を見ていた。


 指輪狩りが始まって十日もすれば、勝負の流れは見えてくる。序列一位の『大海の団』や上位常連の『颶風の団』などに続き、クルトの所属する『暁の団』や、新進気鋭の西の『西部連合団』などが追随する形だ。他にも『百鬼の団』『彩雲の団』『蛇頭の団』など、おおむね下馬評通りだといえる。


 唯一の例外は『篝火の団』だ。


(トップを独走してるらしいな……)


 七組はティリー=フェッツナーに掌握された。彼女は七組を拠点に、次は味方がいる八組を陥落させ、今は九組を襲っているらしい。彼女の――篝火の団の悪評は広まっており、なかなか攻め切れないようだが、それでも時間の問題だろう。


 放課後になっても雨はやまない。


 クルトは騎士科の中庭で、同じ団に所属するコンラート=フォン=ルーカスが、三人の男子生徒を叩きのめすのを見ていた。雨が降る中、訓練用の剣で圧倒している。雨粒が目に当たっても怯まず、目を閉じず、相手に打ち込んでいく姿には鬼気迫るものがあった。


 あっという間に三人を倒したコンラートは、倒れたひとりから指輪を抜き取る。そして手の甲で顔を拭いながらクルトのほうへ歩いてきた。


「おつかれ。相手にならなかったみたいだね」

「ああ。指輪」

「あ、うん。預かっておくよ」


 すでに指輪を奪われた者が仲間が集めた指輪を隠し持つ――指輪狩りでよく使われる手だ。各団最初の五人の保持者は配布された指輪の着用義務があるが、一度指輪を奪われた人間はその義務から外れることができる。また、追加分の指輪にはそれがない。ゆえに敵に狙いをつけさせないために、指輪の保管場所を『参加者』が担うのはよくあることだった。


 しかしこれまた篝火の団は例外で、ティリー=フェッツナーは集めた指輪を入れた『壺』を持ち歩いている。蓋があるとはいえ、あまりにも不用心だ。


(もしくは奪われない自信があるのか……あー、完全に規格外だ……)


 受け取った指輪は、重い。物理的な重さではなく、存在感や価値に対しての重さだ。小さな指輪ひとつが今後の自分たちの代の顔を決め、団における優位性を左右する。貴族にとって、学園における優位性は、そのまま今後の人生に直結してくるのだ。


 ぼんやり指輪を見ていると「あいつは……」と声が降ってきた。


「え? ごめん、何?」

「あいつ……フェッツナーはどうしてる?」

「どうしてるも何も普段通りだよ。ちゃんと授業に出て、ちゃんと九組に突撃して、ちゃんと指輪を奪ってる。赤狼の騎士団のことは子供の頃からずっと『すごい』って聞いてたけど、その『すごい』を目の当たりにしてる感じかな」

「そうか」


 聞いてきたのはコンラートなのに返事は短い。


(こいつもよくわからないんだよな)


 同じ東部の貴族で、同い歳。これまでに関わりがあっても良さそうだが、東部のパーティーなどでコンラートを見かけたことはない。それどころか学園に入学するまで名前すら聞いたことがなかった。


(ルーカス伯爵家に同い歳の子がいたなんて……しかも馬鹿みたいに強い)


 その上、コンラートは同性の自分であっても緊張してしまうほどの美貌だ。濡れて艶を増した黒い髪。長い前髪の下からスッと通った鼻梁。その下の薄い唇……同年代で噂になっていないほうがおかしい。


 とはいえ、彼を怪しむ気持ちはまったくなかった。辺境伯の孫であるマティアスが傍に置いているのだ。暁の団の団員の間では『辺境伯家が後援する秘蔵っ子だろう』という見解で一致していた。


 本人に直接確認すればいいだけの話なのだが、コンラートにはどことなく、人を寄せつけない雰囲気がある。話を振れば答えてくれるし、用事があれば向こうから声をかけてもくる。だが突出して麗しい外見のせいか、本人の気質のせいか、実際は違うのだろうが、他人を拒絶している空気を纏っているように思えてしまうのだ。


 だから、少し驚いた。


「ティリー=フェッツナーが気になるの?」


 コンラート=フォン=ルーカスが他人に興味を示すなんて。


「ああ」

「まあ……当然か。首位を独走してるわけだし……」

「婚約する相手だ」

「ふーん……え? なんて? 婚約!?」

「ああ」


 短く答えると、コンラートが歩き出した。


「待って待って! 何それ!? 詳しく!!」


 突然の告白――本人は告白とも思っていないのだろうが――に困惑し、クルトは声を上げながら、同じ団の同級生を追いかけるのだった。







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