第三章:五月です。指輪争奪戦の始まりですね!

第26話 五月一日(快晴)

 五月一日。


 その日は朝から快晴に恵まれ、雲ひとつない青空が広がっていた。どこまでも澄んだ青の空は美しく、頬を撫でる春の風は温かい。


 敷地をぐるりと高い塀に囲まれた、帝国学園。その塀の外――『大門前』には多くの馬車が列を成している。侯爵家以上の高位貴族の登校風景だ。伯爵位以下の貴族の子息令嬢や平民は、そこから少し離れた場所にある『正門』を通って登校しなければならない。


 学園におけるそんな不文律から外れている例外が、騎士科だ。騎士科の学生は大門でも正門でもなく、専用の『黒門』から登校する。


 黒門は非常時に血で汚れても目立たないように真っ黒に塗られているらしい。もっとも、学園は帝国の貴族の子息令嬢が集まる場所だ。当然、警備も厳重であり、学園創立以来、非常事態など起こったことはない。むしろ黒色は土埃などの汚れが目立つため、一年生が持ち回りで清掃している。


 そんな黒門を入ってすぐの場所に、ティリー=フェッツナーはいた。


 彼女は目を細めて黒門を通ってくる生徒を見ている。ティリーを訝しげな顔で見る者もいたが、仁王立ちの女子生徒――名前を知っているならなおさら――に積極的に関わろうとはしなかった。


(あ、いた)


 ティリーの目が、騎士科の一年生――男子学生の指を捉える。左手の薬指。そこには彼女と同じデザインの指輪があった。銀輪につけられた円形の台座は青く、帝国を象徴する獅子の紋章が刻まれている。


 その男子生徒が一歩、黒門の中に足を踏み入れた――瞬間、ティリーは地面を蹴った。弓矢のように速く、一直線に突っ込んでいく。


「え――」


 困惑の声を発するよりも先に、青年の身体は後方へ吹き飛んだ。側頭部を捉えた彼女の回し蹴りは凄まじい威力で、決して小柄ではない男子生徒の身体は地面を転がって動かなくなった。


 動かなくなるのを確認し、ティリーは足音なく近付く。もしかすると気絶したフリをしているだけで、反撃する機会を狙っているのかもしれない。注意しながら接近していき、傍らに立った。動かない男子生徒を見下ろす。


 どうやら本当に意識がないらしい。


 ティリーは彼の指から銀のリングを抜き取る。


「なんてことないや」


 周囲にいた騎士科の一年生はざわめいた。しかし二年生、三年生は止めることも、騒ぐこともない。彼らは何が始まったのか、正しく理解しているのだ。


 五月一日、天気は快晴。


 指輪狩りの開始を告げたのは、ティリー=フェッツナーだった――


 規則によると、指輪狩りは授業中や演習中以外であれば、いつでも行動することができる。範囲は騎士科の敷地内のみであり、指輪の保持者は期間中必ず学園に登校した上で授業に出なければならない。つまり家や寮に立てこもり、逃げることができないということだ。


 目につく指輪保持者を片っ端から狩っていく。ひとりずつ狩っていくと、その隙をついて先に進む者もいた。そういった者を追ったりはしない。できるだけ、ひとりあたりにかかる時間を減らすためだ。追いかける時間はもったいない。


 着実にひとりずつ仕留めていき――


「なあ、そろそろいいんじゃねえか? 朝のホームルーム始まんぞ」


 後ろから声をかけられ、彼女は男子生徒を踏んでいた足を退けて振り返った。そこには手の中でじゃらじゃらと指輪を弄ぶチャールズがいる。彼も彼で指輪を集めていたが、成果は上々のようだ。


「お前さー、普通素手でやるか? 訓練用の剣の使用が許可されてんのに、なんで置いてきてるんだよ」

「剣を持って立ってたら警戒されるってトムが……」

「殺気立ってる時点で警戒はされるだろ」

「そう?」

「おう。オマエとヤり合うのを避けたヤツ、けっこういたぜ? 指輪持ってない仲間を生贄にしたりしてな」

「何それ。嫌なヤツだね」


 ティリーは眉を顰める。


 言われてみれば、獲物を狙うティリーに、指輪を持っていない生徒が攻撃をしかけてきていた。指輪を求めているのかと思っていたが、単に、肉の盾だったわけだ。今の彼女の周囲には気絶して倒れている一年生がたくさんいる。あっさりと生贄に差し出された彼らを、ほんの少しだけ哀れに思った。


「バーカ。嫌なヤツじゃなくて賢いヤツって言うんだよ」


 鼻で笑うチャールズをひと睨みし、足蹴にしていた生徒の指から指輪を抜く。そして、これまでに集めていた分と同じように制服の上着のポケットに突っ込んだ。


「指輪集める箱かなんか用意しねえとな」

「それなら壺があるよ」

「壺ぉ?」

「トムが出がけに渡してくれた」

「へえ、相変わらず気が利くヤツだぜ。で? その壺はどこだ?」

「玄関に忘れた」

「意味ねえな!」

「く……否定できない……」


 ティリーは苦々しげに呟き、校舎に向けて歩き出した。


 今日、トムは登校していない。


 近頃の彼はティリーの父親であるオラフ=フェッツナー男爵や、男爵の補佐官、家臣団の有力者らと頻繁にやり取りをし、学園に通う間もないほど忙しく動いている。東の辺境伯の孫で次の次の代の辺境伯が、フェッツナー男爵家不要論者であることを懸念し、それなりに大事になっているようだ。


 トムも父のオラフも、ティリーに詳細を話してはくれない。余計なことに気を取られず勉学に励めという気遣いだと受け取っている。もっとも、仮にそうでなかったとしても、小難しい話はよくわからないのだが。


「とりあえず、俺が集めた分の指輪も持っててくれ」

「不安?」

「ま、いくつも持ってたんじゃ、狙ってくれって言ってるようなモンだろ? よっぽど腕に自信がなけりゃ持ち歩きたくねえわな」

「ケンソンしなくていいのに。わたしほどじゃないけど、チャールズは腕が立つよ。わたしほどじゃないけど」

「二回も言ってんじゃねえよ」


 彼はそう言いはしたが否定はしなかった。事実、三馬鹿と馬鹿にした呼び方をしているが、彼らは同年代の中では際立って腕が立つメンツだ。


 だからこそトムは、ひとりをティリーの補佐に、あとのふたりをファルコの護衛につける采配をした。割り振りは単純にクラスの近さだ。七組のティリーには八組のチャールズをつけ、五組のツィロとファルコの元へすぐ駆けつけられるように、そのふたりと四組のタイロンを組ませている。


「そういやツィロたちはもう来てんのか?」

「朝一で来て隠れてるはずだけど。戦闘を避けるために、ホームルーム開始直前に駆け込むって言ってた」

「ファルコがいるからしかたないとはいえ、あいつらも暴れたかったろうな」

「かもしれないね。でもその内、大暴れできるはずだよ」

「ファルコって穴を狙ってきたヤツらを返り討ちにするんだっけ?」


 ティリーは「そういう作戦だったね」と頷きながらも、隣を歩くチャールズの名を静かな声音で呼んだ。ほんのわずかにだが、その場の空気が重く、剣呑になり、彼の肩が小さく跳ねた。


「な、なんだよ……」

「穴なのは事実だけど、そういう風に言うもんじゃない。同じとこに所属して、共闘するんだ。身内だよ、彼は」

「っ、わかってるって! 言葉のアヤだっつーの!」

「ならいいけどね」


 ふ、と空気を緩めて彼女は前進する歩みを少し早める。


 そのまま歩いて校舎に入ると、ティリーはチャールズを八組へ送ってから、七組に引き返した。ポケットの中で指輪がじゃらじゃらと音を立てている。


(トムは初日に集められるだけ集めろって言ってたんだよなあ)


 緻密な作戦は時間をかけるべきだが、奇襲は即座に行うべし――というのがトムの言い分だ。それに反対する気などさらさらなく、ティリーは朝一番で指輪狩りをはじめた。


 教室に一歩足を踏み入れた途端、クラス中の視線が注がれる。当然、気付きはしたが意に介さず、ティリーは堂々と進んで行く。そして、五月になってもなお愛らしい彼女と目が合うと、パッと笑顔を浮かべる。


「クリスティーナさん! おはようございます!」

「ふふ、おはよう、ティリーさん。今日も元気いっぱいね」


 クリスティーナ=ニュンケ子爵令嬢――初めてできた『女の子』のお友だちは、眩しい笑みを返してくれた。今日のクリスティーナはふわふわの茶色の髪に若草色のリボンを結んでいる。


 ティリーは彼女の隣の席に腰を下ろし――さりげなく左手の薬指を見た。そして、クリスティーナの薬指に標的の証がないことを確かめて、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。







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