第2話 伯母からの手紙

 ティリーは剣の切っ先を地面に向けると、鍛錬場をぐるりと見まわした。


 彼女が捻じ伏せた見習い騎士たちは地面に沈み、苦しげな唸り声を漏らしている。ボコボコにした同世代の青年たち――特に最初に突っ込んで以降、何度も立ち上がり、何度も撃破された、タイロン、チャールズ、ツィロの三人――を見下ろしながら、ティリーは満足そうな顔で頷いた。


 そこへ近付く青年がひとり。足音はなかった。気配を察知して振り返った彼女は、その人物を視界に入れた瞬間、表情を変える。そして、頭の高い位置で結んだ深紅の髪を尻尾のように揺らしながら、彼のほうへ駆け寄った。


「トム!」

「おーおー、お疲れさん。今日も絶好調だな」


 トムはティリーの幼馴染みだ。黒い髪を後ろに無造作に撫でつけており、日によって前髪の違う箇所がひと房垂れている。今日は垂れがちな右目の近くに黒が流れていた。


「どうしたの? 鍛錬にきたの? 剣は?」


 戦闘後の興奮を抑えられないままティリーが矢継ぎ早に尋ねる。トムは「鍛錬じゃないし、お前とはやらない」と軽口を叩きながら、手に持っていたタオルを差し出してきた。彼女は唇を尖らせ、つまらないと言わんばかりの表情で受け取って、顔に滲んだ汗を拭う。


 幼い頃から、彼女の周りには将来、共に肩を並べて戦うことになる同年代の子供たちが集められていた。ほとんどが赤狼騎士団に所属する団員の息子だ。子供の頃から同じ時間を過ごすことで、強い信頼関係を築く目的があったのだろう。


 しかし、子供だったティリーにそんな思惑がわかるはずもない。同じく、集められた子供たちも、同年代の少女が将来の主君だ団長だなどというのは、まったくわかっていなかった。今もなお頭の弱い面子だが、当然、昔の彼らもそうだったのである。


 集められた子供たちと一緒に、当時のティリーは暴れ回った。農家の牛の背に勝手に跨って騎士ごっこをしたり、夜の森に冒険に出て迷子になったところへ捜索隊を派遣されたり、魚を捕獲するために川を塞き止めてみたり、子供だけで盗賊の根城に突撃したり……挙げればキリがないほどの悪ガキぶりを発揮していた。


 男爵領の問題児の名を欲しいがままにしていたティリー。そんな彼女にくっついて回っていた少年のひとりが、トムである。ティリーと一緒に領内で暴れ回り、男爵をはじめとする大人たちに激しく叱られ、それでも懲りずに毎度ついて来れていたのは、わずか数人だ。その数人の中にいるのが、タイロン、チャールズ、ツィロたち三人に加え、トムである。


 本来であればトムも見習い騎士になっていた。実際、彼の剣はティリーに並ぶほどの光るものがあり、見習い騎士筆頭の三人よりも腕が立つ。しかし彼は騎士になる道を進まなかった。何故ならトムは、同年代の幼馴染み――悪友たちの中で唯一、馬鹿でも脳筋でもなかったからだ。


「手合わせしないのなら、なんで来たの?」

「手紙を届けに来たんだ」

「手紙?」

「そう。旦那様に持って行けって命じられてな」

「父上に……」


 タオルを返し、代わりに封筒を受け取る。一度開封されているようだ。薔薇を咥えた鷲の紋が押された封蝋は割れていた。中に入っていた手紙の文面に目を通せば、宛先こそフェッツナー男爵になっているが、その内容はティリーに向けてのものだ。


 差出人は皇帝の膝元――帝国中央で幅を利かせている高位貴族、グローネフェルト侯爵の夫人である。ラモーナ=フォン=グローネフェルト。名前は知っているが顔は思い浮かばない。


「トムも読んだ?」

「いんや。でも内容は聞いたぞ」

「この手紙、侯爵夫人――伯母上からだった」


 ラモーナ=フォン=グローネフェルトは、ティリーの亡き母――サンドラの姉にあたる人物だ。


 サンドラは中央貴族との婚約関係にあったが、東部の貴族であるフェッツナー男爵と運命的な出会いを果たし、駆け落ち同然で結婚に至ったという経緯がある。ティリーは詳細を知らないが、当時は大問題になったそうだ。


 ともあれ、すでに成っていた婚約を蹴っての結婚である。当たり前だが母方の親族との折り合いは悪く、交友は一切ない。サンドラが産後の肥立ちが悪く亡くなってしまった時は、葬儀に両親の伯爵夫妻とラモーナが来たらしいが、生まれて間もなかったティリーは覚えていなかった。


 細かいことを気にしない性格とはいえ、十五年の間まったく関わってこなかった相手からの手紙を不思議に思わないわけではない。しかも内容が内容だ。


「伯母上、わたしに会いたいんだって」

「らしいな」

「学園に入学する前に一度侯爵家でお茶をしようって。緊張するならお友だちもどうぞって……なんで?」

「さあな。侯爵夫人の意図なんて、俺にわかるはずねえもん」

「そっか」

「けどまあ……ただお茶飲んでオシマイってことにはならねえだろうな」

「そう思う?」

「十五年も会ってなかった姪を呼びつける理由が、お茶シバくってだけなら、中央の貴族様はよっぽどヒマなんだろうぜ」


 トムはフッと笑って肩を竦めた。


 頭のいい彼にわからないのなら、自分にわかるはずがない。ティリーは心の中でそう結論づけた。貴族の令嬢として最低限の学問とマナーを教えられたが、残念ながら完璧に身についてはいない。何かを学び、身につけるのに、重要なのは意欲と熱意なのだろう。彼女は机に向かうことに対し、剣へ向けるほどの情熱を抱けなかった。


 そんな状態だからこそ、ティリーの周囲の人間――男爵家の血筋以外の一般的な価値観を持つ人間――は、彼女が学園へ入学するのに不安を抱いている。それを知っていてなお勉学に身を投じないことを申しわけなく思うが、いかんせん、机に向かうと睡魔に襲われるのだ。意志でどうにかできるものではない。


 アンデルセン帝国の貴族の子供は、十五歳になる年の春に、帝都にある学園への入学が義務付けられている。期間は三年。これは建国当時から変わらない。


 設立の起源は、子息令嬢を膝元に置くことで、東西南北に散らばる貴族の離反を防ぐ目的だったとされている。だが今となってはその理由は形骸化しており、帝国全体の貴族の繋がりを作るとか、派閥の結束を固めるだとか、まだ婚約者がいない第二子以降の子息令嬢の結婚相手を探すだとか、就職先を探すためだとか、時代の経過と共にだいぶマイルドな理由になっていた。


 そして二十年ほど前からは、一代限りの爵位である騎士爵の貴族の子息令嬢の受け入れも始めている。驚くことに、三年前からは優秀な平民の入学も認めているらしい。ティリーは、へえそうなんだ、くらいにしか思わなかったが、トムが思い切ったことするぜと言っていたのを覚えていた。


 ティリーは次の春には帝都へ居を移し、学園に入学すると決まっている。帝都へ来るなら会いたいというのが、ざっくりとした手紙の内容だ。


「会ったほうがいいかな?」

「それよりも、お前が会いたいかどうかじゃないか?」


 トムの言葉に、ティリーは「ふむ……」と腕を組む。


「これまで存在を意識したこともないし、会いたいか会いたくないかもわからない。お茶に興味もないし」

「だろうな。ティリーは飲めればなんでもいいんだろ?」

「うん」


 真面目な顔で頷けば、トムが小さく笑みをこぼした。


「まあ、ゆっくり考えればいいさ。強制でもないし、時間はまだある」

「そうだよね。うん。父上にも聞いてみる」

「会うことにしたなら辺境伯様にも報告がいるだろうな。血の繋がりがあるとはいえ、相手は中央の力のある貴族だ。妙に勘繰られても煩わしい」

「そういうのは任せるよ。難しいのはよくわからない」

「ああ。お前はそれでいいさ」


 考えてみるとは言ったが、ティリーの中の天秤は会わないほうへ傾きつつある。実母の姉とはいえ、そこまで会って話したいとは思わない。剣ひと筋で生きてきた。血族であったとしても、生粋の貴族の女性とお茶を飲んでも楽しみは見い出せそうにない。貴族令嬢が嗜む刺繍や詩、音楽などの教養は、爪の先ほどしか身についていないのだ。


 その時――


「隙ありーーーー!」


 地面に倒れていたチャールズが飛びかかってきた。


「どこに? 隙なんてないよ」


 チャールズの勢いにタイミングを合わせる形で顔面に拳を振りきる。絶妙なカウンターが決まり、自称美形の見習い騎士は「顔ーーーッ!!!」と断末魔を残して地面へと帰っていった。


「懲りねえやつ!」


 トムがケラケラ笑う。その隣でティリーは「ふんす」と息を吐き、拳を高らかに掲げたのだった。




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