ペンは剣よりも強いらしいけど、やっぱり剣を振り回したいショゾン

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第一章:狂犬? 犬ではなく狼です。

第1話 ティリー=フェッツナー男爵令嬢


 難しいことはよくわからない。


 貴族としてのあれやこれを学ぶより、父親から貰った剣を振り回しているほうが何倍も楽しかった。物心着いた時から厳しい訓練を積む日々だ。剣を持つ手には血が滲み、瘡蓋が塞がるよりも早く新しい傷ができた。何度も吐いた。汗と吐瀉物と涙でぐちゃぐちゃになったことも一度や二度ではない。


 それでも彼女――ティリー=フェッツナーはひたすら剣を振り続けた。


 フェッツナー男爵家は、代々アンデルセン帝国の東部を牛耳る、ハルティング辺境伯家の臣下である。古くから続く騎士の家系で、小さいながらも肥沃な領地を治めていた。


 しかし男爵家の主な収入は領地から徴収する税ではない。フェッツナー男爵家は騎士団を有しており、辺境伯家の命によって東部地域のあらゆる場所へ派遣され、魔物の討伐を行っていた。その褒賞が男爵家の収入の八割を占めている。


 男爵家の家紋に描かれているのは赤い狼だ。これはフェッツナー家の初代が爵位と同時に辺境伯から直々に与えられたものらしい。いたく感動した初代はそれ以来、自身が率いる騎士団の装具を全て赤い物に替えた。赤い鎧を身に纏い、魔物の血に染まった真っ赤な武器を手に暴れ回る集団は、いつしか『赤狼』と呼ばれるようになった。


 フェッツナー家の赤狼騎士団は一騎当千の猛者揃いだ。東部地域だけでなく、帝国中を見ても肩を並べられる騎士団はそうそうない。帝国屈指の実力を持つため、爵位こそ低いがその辺の貴族に侮られることはなかった。


 もっとも、陰で『辺境伯家の犬』と揶揄されることはあるのだが。幸か不幸か、男爵家の人間は陰で何かを言われても気にしない人間の集まりだ。何を言われても、いざとなれば腕力で捻じ伏せればいい。政治絡みの面倒ごとなら辺境伯様に投げればいい。有象無象の雑魚には好きに吠えさせておけ。はっはっはっはっはー!と、フェッツナーの名を持つ者は高らかに笑ってばかりだった。


 ティリーはそんな男爵家のひとり娘である。


 彼女が生まれてすぐ母親のサンドラが夭折した。産後の肥立ちが悪く、眠るように亡くなったという。父親のオラフはサンドラ以外の女性を娶るつもりはないと宣言し、神殿で神聖誓約までしてしまった。神聖誓約は神への命を懸けた誓いだ。破れば命を失うため、軽々しく行うものではない。それを若き日のオラフは独断で行ってしまい、辺境伯直々に大目玉を食らったそうだ。大らかで小さいことを気にしない血筋のフェッツナー家の人間も、さすがにこの時ばかりは男爵を筆頭に雷を落としたと聞く。


 そんな経緯もあり、ティリーの次期男爵就任は彼女が物心着く前に決定した。初めて訓練用の剣を持ったのは三歳の時、真剣を持ったのは五歳の時――それからおよそ十年。もうすぐ十五歳になる彼女は、長閑な男爵領でのびのびと成長した。デビュタントよりも先に初陣を済ませたティリーは大人たちに混じり、魔物相手に戦果を挙げる毎日を送っていた。


 ――冬が終わりかけたその日。


 フェッツナー男爵家の屋敷――どちらかと言えば砦と呼ぶほうが似つかわしい武骨な石造りの古城である――に一通の手紙が届いた。宛先こそフェッツナー男爵ことオラフになっていたが、内容はティリーに関するものである。封蝋に押された紋章は、薔薇を嘴に挟んだ鷲。中央貴族の中でも幅を利かせているグローネフェルト侯爵家の家紋だ。


 ちょうどその頃、ティリーは鍛錬場で十数人の青年たち――同世代の見習い騎士軍団に囲まれていた。誰も彼もが立派な体躯で、凶悪そうな顔面をしている。幼い頃からよく見知っている面々は、いずれ彼女が家督を継いだ時、戦場で肩を並べて戦うことになる者たちだ。


 同年代の女性の中では長身の部類に入る彼女だが、騎士見習いの青年たちと比べれば細身である。だが彼女に怯んだ様子はない。頭の高い位置で男爵家特有の深い赤の髪をひとつに結んだティリーは、飾り気のない武骨な剣を手に好戦的な目を周囲に向けている。


「ティリー=フェッツナー! 今日こそお前に勝ーーーつ!」

「そんで春には赤狼騎士団の正式団員だ!」

「将来的にはティリーがボスだが……今はまだ違う。やってやるぜ!」


 見習い騎士たちの先頭にいる三人が吠えた。


 左から順に、巨漢のタイロン、自称美形騎士のチャールズ、老け顔のツィロだ。実力だけは見習い騎士の中でも頭ひとつ分抜きん出ているが、いかんせん、頭が弱い。机の前でジッとしていることができず、勉強という勉強から逃げ出して武術ばかりを身につけてきた面子だ。そしてそれは――


「はっはっはっはっはー! かかってきなさーい!」


 男爵令嬢――ティリーも同じだった。


 彼女の言葉を皮切りに青年たちが飛びかかってくる。到達が一番早かったのは、両手に軽量型の剣を持ったチャールズだ。ティリーは剣を一閃し、右手の一撃を弾くと、左手の一撃を刃で受け止める。そして呼吸の間を置くことなく、足を振り上げてチャールズの横っ面に強烈な蹴りを打ち込んだ。


「グヴォハッ俺のイケてる顔!!」


 自称美形が数人の青年を巻き込んで吹き飛ぶ。


「そいやぁぁぁぁ!!」

「む?」


 ティリーが体勢を整えるのを待たず、槍の先が向かってきた。顔面に迫るそれを軽く避けて槍を握る人物を見据える。ツィロだ。貫禄のある顔立ちと鼻と口の間にあるヒゲのせいで同年代に見えない。


「やるじゃねえの!」


 ニヤリと笑うツィロに、ティリーもニヤリと不敵に笑う。


「突きは速いけど戻りが遅い」

「なっ!?」


 剣を振り上げ槍の柄めがけて振り下ろす。真っ二つになった槍を前に目を見開く青年。その顎にティリーの拳が叩き込まれた。


「ぶげばっ!!?」

「はっはっはっはっはー! まだまだだったね!」


 その時、崩れ落ちるツィロの身体の後ろから、大きな影が姿を現した。


「もらったーーー!!」


 巨漢を揺らすタイロンの両手には籠手が装着されている。見習い騎士に赤い装具は許されていない。どこにでもある訓練用の籠手だが、体重を乗せて放った右手による一撃は鍛錬場の地面を抉った。


「バカヂカラめ」

「ふんぬっ!」


 続けざまに左手による追撃がある。だがティリーは軽々とかわした。


「あたるか。タイロン。単純に遅い」

「え?」


 ティリーは腰を落とし、鋭い一閃をタイロンの大きな腹に叩き込む。刃を潰した訓練用の剣だが、力任せに振り切った。頭上から「グブホッ!?」と息を詰まらせた声が聞こえる。確かな手応えを感じたのち、巨漢が地面に落ちた。


 土埃が舞う。ティリーは剣の柄を握る手にぐっ、ぐっ、と力を抜いたり込めたりして、握り心地を確かめた。思いきり振りきったせいか微かに痺れている。だがそれも心地いい。未来の赤狼はニィーっと唇の端を持ち上げ、昂りを孕ませた目で周囲を見渡した。


 誰かが息を呑む。見習い騎士の中でも指折りの実力者である三人があっと言う間に撃破されたのだ。緊張感が漂った。何も、初めてのことではない。鍛錬場での囲み稽古で三人が突っ込んで行くのも、それを彼女が捻じ伏せるのも、いつものことだ。そしてこれから、ティリーの手により青年たちが叩き伏せられるのも、常である。


 少女と呼んで差し支えない年頃の彼女は、この場にいる誰よりも小柄だ。しかし溢れ出る風格は歴戦の猛者を思わせるものだった。当然だ。ここにいる面子の中で唯一、初陣を済ませて実戦経験があるのが、彼女なのだから。


「さあ、三馬鹿の次は誰!?」


 見習い騎士の青年たちは覚悟を決める――だが、それから間もなくして、鍛錬場に男爵令嬢の高らかに笑う声と、見習い騎士たちの悲鳴にも似た叫び声が響き渡った。






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