第3話 不満たらたら馬車の中

 ティリー=フェッツナーは、刺繍にも詩にも音楽にもお茶にも興味がない。それにも関わらず、春の良き日、彼女は右腕のトムと共に馬車に揺られていた。


 つまらなさそうに唇を尖らせて、馬車の窓から帝都の街並みを眺める。美しく整然とした背の高い建物の群れは、男爵領ではお目にかかれないものだ。とはいえ、ティリーの関心はあまり向かなかったのだが。


「なんて顔してんだよ」


 正面に座ったトムが笑う。


「馬車、嫌い」


 彼女はうんざりした顔で言った。


「馬ならもうとっくに着いてるのに。乗れないならともかく、乗馬できるのに。なんで箱に入って移動しなきゃいけないのかさっぱりわからない」

「帝都で馬を爆走させるわけにはいかねえだろ。目立ちすぎだ」

「目立ったらダメなの?」

「入学前から悪目立ちする必要もないさ。馬を爆走させるくらいなら、まだ屋根を走って行ったほうが目立たないぞ」

「む!」

「『それだ!』みたいな顔すんなよ」

「……してない!」


 子供の頃からの付き合いがあるため、表情ひとつで考えまで読み取られてしまう。同じだけの時間を過ごしているが、ティリーはトムほど相手の考えを察することができない。鈍いのではないと思う。単にトムが自身の感情や思考を読み取らせない技術に長けているのだ。


 貴族にとって感情などを隠し、表に出さずやり取りをするのは、必須スキルである。正直さが美徳と言う者もいるが、貴族の身分でそれをすれば、余程の権力や財力でもない限り、有象無象に食い物にされるだろう。そして基本的に権力や財力を持つ貴族は、ひと癖やふた癖もある者ばかりだ。


 ティリーは馬車の窓枠に肘をついた。


「この格好なら走れるのに」

「侯爵家からのオマネキだっつーのに、ドレスじゃなくて良かったのか?」

「スカートは好きくないから。それにこの格好ならフサワシイって言ったのはトムなのに、今さら何言ってるの?」

「そりゃそうだけどよ」


 彼女が身に纏っているのは、学園の騎士科の制服だ。学園の女子の制服は裾の長いドレスを元にした形だが、ティリーは騎士科特有の白を基調とした服とズボンの姿だ。胸には金糸のラインが一本で、この本数が学年を表していた。


 帝国学園の騎士科は最高峰の騎士育成機関で、武術は元より軍略なども学ぶことができる。厳しい指導が行われることで有名だが、その分、卒業者には輝かしい栄光と栄誉、何よりも進路が約束されていた。ゆえに武門の家柄を継ぐ子息令嬢はもちろん、家や爵位を継げない貴族の青少年たちは騎士科に入ろうと躍起になる。


 フェッツナー男爵家を継ぐティリーは、迷うことなく騎士科を選んだ。現当主も、先代当主も、先々代当主も、そのまた前の当主たちも、帝国学園の騎士科を卒業した。そのため、騎士科を選ぶ令嬢――女性はほとんどいないが、彼女は三年の時間をそこへ懸けることを、微塵も躊躇いはしなかった。


 一方、トムが身に纏うのは学園指定の黒い制服である。胸元の金糸のラインこそ同じだが、色合いもデザインもあまり似てはいない。


「格好のことをゴチャゴチャ言われたら、入学のアイサツだから制服姿を見せに来ましたって言えって、トムのアイデアでしょ」

「お前も、金も権力もある侯爵家の夫人の前に出るドレスをどうするか悩みたくはなかったろ?」


 ティリーは頷く。


 男爵領にいた頃もドレスを着る機会はほとんどなかった。かろうじて数着は所持しているが、侯爵家に招かれるのに相応しいレベルのドレスはない。一から仕立てるには金も時間もかかる。父のオラフ=フェッツナー男爵はせっかくだから仕立てなさいと言ってくれたが、いかんせん、彼女は面倒だと思った。


 だからこそ、自分よりも頭のいいトムに相談したのである。困った時の頼れる男がトムだ。この男に相談すれば基本的になんでも解決する。丸投げ万歳。どうしたらいいか尋ねれば、制服で行けばいいと、彼はすぐに答えを出してくれた。親戚へ制服姿を見せるのはおかしなことではないのだ、と。


「でも、ティリーが急に行くって言い出して驚いたぜ。てっきり行くつもりはないと思ってたんだけどな」

「うん。そのつもりだったけど、タイロンが――」


 ――ある日の鍛錬終わり、侯爵家から招待があったこと、それを断るつもりだということを、ティリーは何気なく悪友たちに話した。死屍累々から復活した三人は、使用人の女の子から差し入れてもらった水を飲みながら、ティリーの決定を口々に非難する。


「もったいねえなあ。侯爵家なんてめったに行ける場所じゃないぜ?」


 そう言ったのはチャールズだ。ついさっきまで、差し入れをくれた女の子は自分に気があるんだぜと楽しげに話していたが、今はもったいねえもったいねえと繰り返している。ちなみにその女の子は赤狼騎士団の若手ホープに夢中なのだが、幸か不幸か自称美形の見習い騎士はそれを知らない。


 隣でツィロが「ぅおあぁぁっ」と声にならない声を挙げながら、タオルで豪快に顔を拭いていた。同年代とは思えない顔の男の、おじさんくさい声や仕草にはもうとっくに慣れている。顔を拭き、そのまま身体を拭き、タオルを首にかけたツィロがチャールズに同調した。


「そうだぞ。たまに帰ってくるとはいえ、これから三年も帝都で暮らすんだ。知り合いのひとりやふたり作っといたほうがいいんじゃねえのか?」

「だよなあ。おい、ティリー。悪いこたー言わねえ。使えるコネは使っとけって」

「でも、入学前のバタバタしてる時に面倒だよ」


 ティリーがなんともなしに言うと、チャールズとツィロが目を胡乱げに細めたまま顔を見合わせる。そしてどちらからともなく、わざとらしく肩を竦めて溜め息をついた。


「あーあー、そういうとこだぜ」


 自称美形の見習い騎士が口を開く。


「なんだかんだオジョウなんだよ。コイツ。面倒だなんだって理由で強力なコネをパーにしちまおうってんだからな」

「そうそう。下位貴族の必死さっつーもんがねえ」

「何それ。嫌な言い方だ」


 ティリーは眉を寄せた。


「事実だもん。なあ、ツィロ?」

「まあ、爵位は男爵でもフェッツナー家だからな。余裕があんのさ。もしくは……なーんも考えちゃいねえのか。頭弱いもんな!」

「ハハハッ! それだ、それ!」


 チャールズとツィロがゲラゲラ笑う。ティリーはひたいに青筋を浮かべて「好き勝手ほざいて……!」と拳を握っていた。今にもふたりに飛びかかっていきそうな彼女を止めたのは、汗を拭くこともなく、鍛錬場に持ち込んだ補食を貪っていたタイロンだ。


「コネだなんだってのはどうでもいいけどよ――」


 卵と砂糖をふんだんに使った焼菓子が大きな口に吸い込まれていく。さんざん叩きのめされて疲労困憊の中で、よく口内の水分を奪う小麦粉の塊を食べられるものだ。呆れを通り越していっそ感心してしまう。


 キラリと、目蓋の肉に埋もれつつあるタイロンの目が光った。


「侯爵家が出す食い物は、絶対美味いはずだぞ」

「は?」


 タイロン以外、三人の声が重なる。


「帝都の菓子はどんなのだろうな? きっと洗練された味なんだろうぜ。そんな中でも侯爵家が選んだようなのだ。最高級の素材を使った、最高級の菓子……それがタダで食えるんだろ? 腹いっぱい食ってこいよ! ついでに土産も頼む!」


 標準の倍以上の体重を誇る彼だが、単純に量を食べるだけで満足する男ではない。美味しい物を山ほど食べることで、本人曰く、強靭なパワーを秘めたパーフェクトボディを育てているらしい。


 それからタイロンは帝都の菓子がどんなものか思いを馳せ、熱く語った。彼の口は喋りと補食の咀嚼で止まることなく、チャールズとツィロが「聞いてられっか!」と怒鳴るまで動き続けていた――


 ――馬車が揺れる。


 トムが苦笑を漏らした。


「なるほどな。つまりお前は、帝都の菓子に釣られたわけだ」

「違う。帝都の最高級の焼菓子に釣られたの。グルメだから」

「グルメねえ……その辺の野鳥さばいて食ってる奴が?」

「それは非常食であって、好き好んで食べてるわけじゃないもん。わたしはグルメなんだよ。うん。センサイな舌を持ってるの」

「まあ、本人が言うならそういうことにしておくか」


 十五年振りに――実質ティリーにとっては初対面に等しい――伯母と会うことよりも、華やかな帝都の最高級の焼菓子に釣られた。笑うトムがにフンと鼻を鳴らして、ティリーは窓枠に肘をつく。


 華やかで、整然と、洗練された街並みに興味はないとばかりに、彼女は目を伏せたのだった。







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